2020年9月28日月曜日

これでこのブログは終了します。

 2018年8月に日本に帰り、京都の山科にある京都橘大学で教鞭を取っています。とても良い大学で自分としては素晴らしい日々を送っています。それでは皆様のご多幸を祈って、このブログを終了します。ありがとうございました。

 怒濤のように日が過ぎた。ハノイから2日に帰って来た。ハノイでは30日と1日にズン君夫妻とマイチャウに出掛けて田舎を満喫した。
 2日の夕刻はトアン先生のお宅で夕食会、そして昨日はホテルでの送別パーティがあった。
 3日の昼からソンチャ半島の山に連れて行ってもらった。大変に美しい景色と豊かな自然に感嘆させられた。とくに樹齢が800年を越える菩提樹の大木は今までに見たなかでも大きな木の一つだろう。もちろん幹の太さは屋久島の縄文杉に比すべきもないが、気根が高い幹から降りて、それが地面に到達し、立派な根を張った様子は他ではなかなか見られない。
 送別パーティではトアン先生から丁寧な挨拶があり、僕とみち江で返礼をしたが、みち江の挨拶は学生交換に触れてすばらしいものだった。やるじゃないか。
 ということで今朝は引っ越しと思って張り切っていたのだが、大失敗だった。今朝、待っているとまったく日通が来ないのである。どうなっているのかと日通のメールを確認したら今日でなく明日とある。そういえば4日というのは僕が勝手に覚え込んでいたが、実際は5日の9時だった。6日の飛行機を取っていて良かった。日を間違えるなど、どうしようもない。経済やビジネスを教える人間としては恥ずかしい。
 いいわけをすると、このところいろいろな旅行をしており、スケジュール作りがずさんになっていた。そのためだと思う。まあ大過なく済んで良かった。一日、引っ越し作業を延ばして、明日もう一度、ここにくれば良いだけだ。いつまでも終わったことでクヨクヨしない、しない。
 そろそろホテルに移動しよう。今日はSPAを受ける予定である。

2018/07/06 14:46 金曜日
 一昨日は上に書いたとおりでホテルに移り、そのあとホテルでマッサージを受けて、日本食の夕食をとり、ゆっくりとした。実際の引っ越しは5日の9時からになった。家主のトゥアンさんとの鍵の引き渡しは修理をするので、大工に渡してくれと言うことでいつもの大工さんの指示通りに水の置き場に隠しておく。トゥアンさんとは最後の二日ほど会えたので、彼に僕の絵の写真を渡しておいた。本当に良い家だった。周りの環境がすばらしい。よく壊れたが、そのたびにトゥアンさんが手際よく対応してくれた。最後に電気掃除機と炊飯器、電気コンロをおいていく。処分に要する手間だけでも惜しい。
 引っ越しのあと、日通の服部さんが大事なことを忘れていましたという。引っ越しに必要な書類を忘れていたという。しょうがないので日通の事務所に行って仕上げる。プロらしくないと思うが、こちらもベトナム慣れしているためか、腹も立たない。
 あと関空でやる仕事が残っている。パスポートのコピーなどをサービスカウンターで手渡すのだが、一部の書類が電子ファイルしかないので、とりあえずUSBに取っておく。これをコピーして貰えばよいのだが。
 引っ越しの手続きを全部終えたら既に2時半を過ぎており、日本食はおわっていたので、前の開店して間もないカフェでサンドイッチとハンバーガーを食べるがこれがうまい。その後は昼寝をして、午後5時からまきさんとホアンサの海鮮料理屋タンマップに行く。みち江がお気に入りの店である。今回も大変にうまかった。
 グランブリオホテルは韓国人に大人気で客の9割は韓国人ではないかと思う。日本人はほとんど見ない。このホテルは韓国の人が大好きだ。朝食も韓国料理が多い。日本料理屋もあって非常においしかったが、空いている。ホテルとしては成功であり、結構なことだが、日本料理が続けられるか心配である。
 マッサージの担当者たちとみち江は写真を撮りたいという。1年近く通ったので情が通じている。最後も大サービスをしてくれた。

 たった今、ダナン空港を飛び立ったところだ。空港までは、トゥイアン副学長、質の保証部長、ハイ君が運転者のフン君の運転で送ってくれた。お祝いのアオザイを貰った。空港前でさよならをして出国手続きをする。いつものようにクリスタルジェードで軽い昼飯を食べて、ホッと一息。ビールを飲んだ後、マッサージ機で40分ほどもんでもらったが、これが非常に気持ちよい。寝てしまったぐらいだ。
 
 飛行機の上から思い出の深いハイバン峠が見えた。昨日の早朝、今朝の早朝とホテルのそばのバクダン通りや、ホテルの裏手を40分ずつ歩いた。昨日のホアンサへの行き帰りは大きな吊り橋からの景色を楽しんだ。美しかった。ダナンは美しい街だと改めて思った。この2年間、いろいろなことがあった。自分としてはもう少し違うことも出来たのではないかと後悔がないと言えば嘘になる。ただベトナムを思いっきり見てやろうという夢は実現できた。
 この調子で行けば関空には8時45分頃には着きそうである。日本はこの数日、豪雨に見舞われており、九州や四国、近畿で被害がでている。ホテルで見たNHKのニュースでは桂川の様子を頻繁に写していた。高野川はまだ大丈夫そうだが、東山区や北白川では土砂崩れの警報もでている。心配である。関空から京都でのバスの乗り換えも大変なので、空港タクシーを予約しておいた。9時半としておいたが、もう少し早く着きそうだ。ただ引っ越し関係の手続きもあるので、実際にはそのぐらいの時間になるのではないか。
 11時前には我が家に着きたいが。今は日本時間の5時15分である。あと3時間半ほどだ。

2018年8月19日日曜日

ブオンマトット (4)

 象のあとは一旦、ブオンマタットに戻り、それからドゥレイヌア滝に向かう。これも相当に遠い道のりだった。ドゥレイヌア滝は南に下ったところだが、途中の道は結構厳しいものがある。途中からまた林の様子が変わって、両側はほとんどカシューの木になった。見渡す限りのカシューである。
 ベトナムの舗装道路は一般にメンテがよいが、このあたりはさすがに道路の傷みもあり、車は時々、道の穴を避けて大きく蛇行して走る。
 ようやく目的地の滝の入り口に到着した。そこから5分ほど歩くと目指す滝になる。15メートルほどの道を降りると柱状節理がごつごつとした足場のところから滝を間近に見る。なかなか歩き難い。かろうじて写真を撮る。ただこの場所からは中心の滝を見られるが、全体像は分からない。場所を滝の流れに沿って降りていく。すると大きな菩提樹があり、根が崖一面を覆っている。この根の迫力はまるで前衛芸術である。
 子供たちがこのあたりでは遊んでいる。肌寒いぐらいの気温だが、泳いでいる子もいる。
 だんだんと滝の全体像が見えてくる。左右に広がる非常に大きな一枚の岩である。そこから何条もの滝が落ちる。今は水量が多くないので、滝の数も限られていたが、多いときはこの岩壁全体がなるらしい。岸壁の下はえぐられて、とても深い窪みが滝全体の下に続く。
 滝の前の広場で写真を撮っていると、チン氏がもう少し先に吊り橋があり、そこからの写真がよいという。皆で移動をする。吊り橋からの眺めはたしかによい。全体像を眺め、足下の柱状節理を眺める。若いカップルは二人で写真を撮り合っている。我々もチン氏にシャッターをおしてもらう。このあと橋の上の茶店でコーヒーを飲んで休憩する。
 一服後、コーヒー園の木のなかを歩く。ここはロブスタコーヒーなので大きな葉である。もういっぱい実がなっている。
 コーヒーの次にはカシューの林があった。実の時期は終わっていたが、なかに数本、まだ実を残していたり、樹下に実が落ちている木があった。はじめてカシューがなっているところを見たのは感激である。
美しいゴークエン通り
滝からまた来た長い道を戻る。昨日は高いおみやげ屋に行って参ったが、今日はホテルに戻って欲しいと思っているとホテルの前を素通りしてゴークエン通りの一番奥まで行く。またお土産かと思ったが、実は違った。チン氏はここはエデ族が1945年ごろから住んでいる一帯で、これらのエデ族はコーヒーの栽培で大きな富を成した。この街でももっとも豊かな人々だという。表側は伝統的な長い高床式の住宅があり、その裏側に近代的な住居がある。高床式の住宅は老人が住んでいたが、これを最近はカフェにしたりしている。
エデ族の住居の入り口
大変に美しい通りである。ベトナムの小数民族というと貧困でというイメージがあるが、ブンメトンの小数民族は貧困ということはない。ダナンに帰って大学の先生と話をしたが、ブンメトンの小数民族は豊かだという。ラオスなどと比較するとベトナムの小数民族政策はしっかりとしていると多くの場所を見て思う。
 ということで一日が終わる。

(最終日)
 ブンメトンからハノイの飛行機は早い。朝6時40分にホテルを出て空港に移動する。待合室の外のまどにはチョウがたくさん飛んでいる。昨日見た緑がかった紋白蝶である。空港には2機のジェット機が止まっており、乗客は滑走路を歩いて飛行機まで行く。
 帰りの飛行機からベトナムの高原の景色がよく見えた。深い森、豊かな水量の川、ベトナムは自然豊かな国である。
 ダナンには55分後の定刻に到着。我が家に無事帰り、今回の旅も終わった。

ブオンマトット(3)

(3日目)
 朝起きるとまた雨である。7時に食事をすませて8時半になるとチン氏が迎えに来る。今日はベトナム人二人のペアーと一緒である。英語は話せないようだが、商売をしているのだろうか、奥さんにはしょっちゅう電話が架かってくる。何か旅の間だの3分の1ぐらいは電話していたようだ。
 さて今日はまずYork Don国立公園である。これはブオンマトンの西からカンボジア国境までの広大な国立公園である。野生動物が多く住み、かつては野生の象を捕まえて調教していたという。今も野生の象は生息しており、カンボジアの国境を行き来している。象はパスポートは不要だが、人間は要りますと冗談も出ている。
 公園に向かう道は昨日とだいぶ様相も違う。まず水田がない。あまり農業には向いていないとのことだ。窪地では水田があるが、少し高いところはトウモロコシやサトウキビなどが栽培されている。もう少し上がると見慣れない大きな木が植えられている。コーヒーではない。もっと大きい。チン氏はこれがカシューナッツだという。驚いた。今までカシューナッツはベトナム土産として人にも勧めてきたが、実は僕自身がカシューの木を見たことがなかった。道路の舗装はかなり悪く、所々は減速せねばならない。そして見渡す限りのカシューナッツの林である。
 ベトナムのカシューナッツの生産高は大きい。トップはインドであるが、おそらくベトナムは世界の3位ぐらいではないか。
 人家もほとんど無いような場所をかなりの時間走るとようやくヨクドン国立公園の入り口に着いた。ここはムノン族の村がある。ここを暫く歩く。昨日の村に比べるとやや貧しい感じがある。ただ物乞いのような雰囲気はまったくない。これがベトナムの嬉しいところだ。
 土産物屋は似たようなものを売っている。トイレなどの施設は非常によく整備されている。
 ここからまた車で10分ぐらいのところで橋を渡りヨクドン国立公園のなかに入る。車を止めて降りるともう象が2頭少し先の林のなかで草を食べている。黒い小型のイノシシのような豚も草を食べている。
 我々はこれまでもインドやタイで象に乗っているので、あらかじめ象に乗ることは興味がないと言っておいたので、チン氏は一緒に森の散策をしようと言ってくれる。
 森のなかは大きな木はあるが、とても明るい。チン氏によると住民が時々木を切っていくので、明るいのだという。これは里山である。
 日本の里山に似ているが、何と言っても木の葉の大きさが皆大きいのが違うところだ。木の下には黒い腐葉土も見える。これは冬の気温が低いためだろう。ダナンのような気温の高いところでは落ち葉の分解が早いので黒くなるまえに分解してしまう。ここでは黒い葉が残って腐葉土になるようだ。
 ところどころに大きな土の塊がある。直径が1メートルほど、高さも1メートル近い。これは蟻塚だろうと思って聞いたが、チン氏は違う生物の名前を言う。ただ理解できなかったので、残念ながらここには書けない。
 30分ほど歩いて道に迷うのではないかと心配したが、チン氏は大丈夫と歩いている。やがてそろそろ戻りましょうと戻る。道にはいろいろな花が咲いていることに気付く。途中、チン氏は道ばたの木の葉を取って手で揉み、「ベトナム戦争の時にベトナム兵はこれを怪我の出血止めに使った。」と説明してくれる。
 象のところまで戻ると、ちょうどベトナム人のご夫妻が象に乗って帰ってくるところだった。写真に収める。
 10人ほどの人が集まったところで象への餌やりが始まった。餌は青いバナナとサトウキビである。サトウキビは大好物のようであるが、堅いサトウキビをばりばりと食べていく。近づいて与えるのが怖いほどである。

ブオンマトット(2)

(2日目)
 二日目の朝は雨だった。あとで知ったが、ここは雨期である。朝8時半にあらかじめ頼んであったHappy Tourのチンさんの車が迎えにくる。ベトナム人の家族連れ6人と一緒の観光である。
 最初に向かったのはラク湖のムノン(M'nong)族の村である。ラク湖はベトナムの天然湖としては2番目の大きさであり、元々は火山の火口だったとのこと。ブオンメトットには3つの民族が昔から住んでいた。
 ムオン族の神聖な木が湖畔に立っている。ベトナム人家族はここでたくさんの記念撮影。集落に入るとムオン族の家は高床の奥行きの長い家である。もともとはインドネシアからやってきた人たちだという。この村のなかをゆっくりと歩く。牛や鳥がのんびりと歩いている。ラオスのモン族の村と違って無理な商売などしていないのがよい。それなりの生活レベルがあるようだ。
ムオン族の住居
はじめてアボガドの木を見た。マンゴーと同じようななり方をしている。ただしアボガドはクスノキ科であり、マンゴーとは異なる科に属する。
マンゴーの木
この丸木舟に乗りました
救命具を付けて丸木舟に乗る。これで15分ほど湖を竿で漕いで回る。船頭さんは女性である。立つと揺れるので座ったままであるが、姿勢が年寄りにはきつい。とても静かな湖である。同乗のベトナム人の女性が今回の家族旅行の話や自分の仕事などずっと話をしてくれたのであまり湖の静寂を楽しむことはなかったが。
 このあたりの農作物は低地では水田が多く、年に3度の刈り入れをする。3期作である。また少し高い場所にはトウモロコシ、また山がちの場所にはコーヒーが植えられている。
 帰りに大きな岩のある村に立ち寄った。「愛の岩」と呼ばれているらしい。昔、村の若い男が豊かな家の娘にあこがれた。しかし貧しい青年は女性に会うことができない。そこで男はこの岩に上って毎日女性への思いを岩に話していた。岩はその思いを娘に伝え、男は娘と幸せな結婚ができたという。この大岩に上るのもツアーのなかにあったが、みち江は最初からパス、私は30メートルほど上ってこれは降りてこられないと思ったので止めることにした。二人で下の茶店で飲み物を飲んで、若い人たちが戻ってくるのを待つことにした。残念ながら歳は欺けない。もし上っていたら皆さんに迷惑をかけたことだろう。
  このあたりには多くの教会がある。フランス人牧師たちが入って仏教の強いキン族を避けて、教化の容易な小数民族を中心に広めたのだろう。
 昼はブオンメトットに戻り、皆さんと一緒にベトナム料理を一緒にする。鶏肉、豚肉、カボチャの茎の炒め物、ハムといろいろな野菜たっぷりの鍋である。いずれも旨かった。
 雨がぱらついている中で市の中心にある民族博物館に向かう。ここはネットのガイドには何もないと書いている人もいたが、我々にはとても面白かった。戦争の時の従軍画家の絵のコピー展示も彼らの水彩の書き方が勉強になる。また民族のところでは各民族の生活様式などの展示がよく出来ている。
 特に興味があったのはコーヒーなど農産物の展示がよく出来ていたと思う。
ロブスタコーヒーの実
そこからチュングエン・コーヒー・ヴィレッジに向かう。ここにはロブスタ、アラビカ、チェリー(本来の呼び方は忘れた)の3種類のコーヒーの木が植えられており、チンさんがそれぞれの木の特性を説明してくれた。
 ロブスタは5から6百メートルの高度の場所に適しており、アラビカは8百~1千メートルの高度が適しているので、ダラットではアラビカが植えられている。どちらのコーヒーがよいということは言えない。それをどうブランドするかがコーヒー店の味の秘密だ。チェリーは接ぎ木して他の品種を生産するのに使うという。
 一日の最後にベトナム人家族がおみやげ屋に寄りたいというので、おみやげ屋に寄ったが、普通の店の価格よりも3倍以上高いものが多い。我が家は店の外で待つことにしたが、ベトナム人家族は結構買っていた。我々の方がケチである。
 夕飯はホテルで食べる。これもおいしかった。


2018年8月2日木曜日

ブオンマトット(1)

(6月月初のブオンマトットへの旅行記です)
 一昨日からBuon Ma Thot(ブオンメトット)というDak Lak州の州都に来ている。Dak Lakは現地の言葉でDakが湖、Lakが水ということらしい。もともとは3つの少数民族が住んでいたが、今は40以上の民族が住む。ブオンメトットの人口は34万人、Dak Lak全体では200万人ということだ。ブオンメトットはベトナム中部の高原にある5つの州の経済的な中心都市であり、そのためにダナンからも直行便があるようだ。ダナンからの時間は55分で到着する。

(6月2日)
 空港には事前に頼んでおいたHappy Tourのチン氏が迎えに来てくれた。この日はホテルまでの送りだけだ。
 ダナンを朝7時の飛行機なので朝8時にはもう着いており、ホテルには9時前に到着。アーリーチェックインも出来るが30%増しということで利用料は1500円だけということで早めに部屋に入る。15階の角部屋で眺めがとてもよい。
 天気は今一つでパラパラと雨が降っている。あとで分かったことだが、5月から10月はここは雨期になる。ただし雨期といっても一日中降るようなことはなく、夜や午後に軽い雨が降るようだ。
 気温は23度ぐらい。30度を超えるダナンから来るととても涼しい。ホッとする。ハー先生に前の日にダクラックに行くと言ったら、「涼しくていいですね」と言っていたのを思い出す。
 まずは朝の市場の様子をみようということになった。ホテルのそばの市場に行く。かなり規模が大きい。売っている野菜はダナンとあまり変わらない。特に目に付くのが、ブドウとライチである。とても新鮮なものでこの二つを買う。
 ホテルの隣にCoop Martという大きなスーパーがあるので、次にこれを見る。キッコーマンの醤油は最上段にある。目に付きにくい場所でる。ということはこの街の購買力は高くないのだろう。キユーピーはあったが、家内に言わせると小瓶である。
 この二つを見たあと、部屋に戻り、暫く寝る。朝の5時頃から起きて空港に向かったので眠い。
 目が覚めて古い市街に向かうことにした。Tripadvisorで調べると旧市街には食べ物屋が揃っているようだ。タクシーでHai Ba Trung通りで降りて、しばらく散歩したあと、春巻きの専門店に入る。ここのメニューは揚げ春巻き、生春巻き、そして揚げ春巻き入りのソバの3つである。揚げ春巻きとソバを注文する。いずれもうまい。二人でたっぷり食べて10万ドンである。
 春巻き屋の側に小さな彫刻の店がある。人の良さそうなおやじがやっている。ここで小さな胡椒入れを買う。この店で買ったのが正解であとのどこのおみやげ屋よりも安かった。
 そのあと中央市場を見る。規模は午前に見たものほど大きくない。もっとも朝早くはもっと多くの出店がでているのかもしれない。ここでは生きた鳥をたくさん売っている。
 ホテルに帰り二人で昼寝をする。4時頃まで寝てしまう。4時半から隣の映画館で「ドラえもん」をやっているので見てみようと言うことになった。ベトナムでは映画館に行ったことがない。ドラえもんなら分かるだろうと思った次第である。ドラえもんは吹き替えになっており、大きな劇場に10人ぐらいしか入っていなかった。一人4百円ぐらいだから高いこともあるだろう。他の映画も空いていそうだ。
 この日はホテルのレストランで明日に備えて早く寝る。


ラオス ルアンプラバン(4)

(最後の日)
 最終日は朝ゆっくりとして9時過ぎに歩いて街に散歩に出る。家内の背中の痛みが残っているので無理はしない。ぶらぶらと1キロメートルほど歩いてダラ市場まで来て地元の人が着るスカート刺繍を見る。美しいものが多い。
 そのあとカフェでコーヒーを飲むと通りを挟んだ反対側に「伝統工芸と民族博物館」があることに気付いた。これを見てみようと言うことになった。坂を少し上ったところにある博物館は小さいが居心地のよい場所だった。
 まず驚いたのは展示の説明の完璧な日本語訳を貸してもらえたことだ。ラオスの主な民族分布やそれぞれの民族が持つ装飾文化の見本が美しく展示されている。
 

さらに奥の展示室には「数珠玉」を使った装飾についての展示があった。正確に言うと「種」を使った装飾であるが、日本では数珠玉という方がわかりやすいかもしれない。植物の乾いた種を刺繍のなかに織り込んで美しい装飾を作ることだ。
 ここでは龍谷大学の落合雪野教授が集めたこれらの刺繍が展示されている。龍谷大学と東南アジア研究所の協力で出来たということが書かれており、とても嬉しかった。
  織物を見られるカフェなど、のんびりと過ごした後、ホテルからタクシーを頼み、ハノイ経由ダナンに帰る。