「停電の一日、早朝編」
9月17日の朝、5時頃である。朝起きたら妙に静かである。そして明かりをつけようとしたら明かりがつかない。停電である。まいったな、朝から停電だ。ようやく明るくなってきたので着替えて朝のラジオ体操をする。ラジオ体操のあと4キロほど走りたいのだが、走ると汗をかく。停電ではシャワーが出ない。ここの水道は水圧が低いので、ポンプで水道を汲みだして使っている。日本のように水圧が高く、一軒家なら停電でも水が出るのとはまったく違う。トイレも貯まっている水を使ってしまうともう出ない。トイレの使い方も考えないといけない。シャワーなどもっての他である。
冷蔵庫も止まってしまうからむやみに開けるわけにもいかず、水は冷えていないペットボトルから飲んでいる。
普通は1時間以内ぐらいに回復するのだが、時に2時間や3時間もある。そうなると大変だ。
こちらの人は慣れているせいか、平然としている。この国に長く住んでいると「ある時に買っておく」「やれるときにやっておく」というのが大事になってくる。昨日の午後と夕方もインターネットを使ってやらねばならない仕事があり、なんとか午後9時頃までやって直ぐに寝てしまったのだが、もしやっていなかったら、今朝は気が重かったろう。
この国に来て生活の不便についての抵抗力は大いに付いた。銀行のATMに行くと現金が切れていて引き出せないなどということも驚いてはいけない。現金がATMから引き出せないなどということはかなりの頻度で起こるのだ。日本だったら取り付け騒ぎになりそうである。
そういえば家内からAPECに備えて停電の訓練があると聞いていたことを思い出した。どこかにそういう情報が流れていたらしい。午前3時から7時までの訓練となっていたらしいが、もう8時前なのに復旧しない。この辺がベトナム的だと思う。
電気が止まると人間までだるくなる。現代では人間まで電気で動いているのではないかと疑いたくなる。何もできないからだるくなるのか、エネルギーが来ないのでだるくなるのか。自分がロボットになったような気分だ。
停電の間にポメラで今日打たないといけないようなメールは全部書いてしまった。停電が収まったら、これらのメールを打てば今日の仕事の8割は終わりだ。後はのんびりしよう。一日一善だ。
「停電の一日、昼前」
電気は依然として回復しない。驚いたね。朝の7時には復旧すると思っていた。幸い、ほとんど冷蔵庫のドアなどは開けていなかったので、何とかまだ大丈夫だろうと希望的な観測かもしれない。朝飯はバナナ2本とおつまみ用のひものをかじってすました。昼もこのままだと同じようなものになるかもしれない。日本だったら大騒ぎだろうが、ベトナムでは何もなしで済むのだろう。
幸いに気温が32度ぐらいで風もあり、当地としては涼しいと感じるので、家中の窓を開け放して生活している。こういうときは大理石の床が心地よい。
「停電の一日、昼過ぎ編」
暑くて、とても我が家には居られない、外に出ようと家の前に出たら、隣に住むマレーシア人のリーさんにビッグC(ダナンのショッピングセンター)と一緒になり、車で送ってもらい、おまけに中華料理をご馳走してもらうことになった。初めて黒い鶏のスープを食べた。甘いスープである。有り難かった。リーさんから、停電が何と夜の7時までということが分かりびっくり。リーさんの会社は自社で変電所を持っており、そこからの情報なので間違いない。ビッグCでの買い物が終わって我が家に帰って大理石の床の上にべったりと横になって昼寝をしたが、どうにも時間が進まない。ついに5時過ぎになり、まだ2時間もあるが、このままでは熱中症になって死にそうだというので、もう一つのショッピングセンターであるビンコムに行くことにした。
ビンコムの「すもうレストラン(日本風を売り物にしている)」でビールを飲み、たらふく焼き肉を食べたのだが、これでようやく元気が出た。7時半頃に我が家に帰ると幸い電気が通じていた。
本当に厳しい停電の一日だった。リーさんによればベトナム人のお金持ちは皆ホテルに部屋をとって過ごしているよという。今後にこのようなことがあったら高くてもよいので、冷房の利く高いホテルに行こう。
「停電の一日、後日談」
停電の2日後、ダナンに来て初めて本格的な風邪を引いてしまった。停電の一日に、30度以上の我が家と冷房の効いたショッピングセンターを往復したり、半分熱中症になりかけていたのが効いたらしい。
そして冷蔵庫であるが、16時間に及ぶ停電ではほとんど扉を開けなかったにかかわらず、ほとんどの物がダメになっていた。我が家のゴミ箱はおかげで一杯。
それにしてもAPECの予備訓練とは何だろう。どうして朝3時から午後7時までの長時間停電が必要なのだろう。ベトナムには分からないことが多い。
9月17日の朝、5時頃である。朝起きたら妙に静かである。そして明かりをつけようとしたら明かりがつかない。停電である。まいったな、朝から停電だ。ようやく明るくなってきたので着替えて朝のラジオ体操をする。ラジオ体操のあと4キロほど走りたいのだが、走ると汗をかく。停電ではシャワーが出ない。ここの水道は水圧が低いので、ポンプで水道を汲みだして使っている。日本のように水圧が高く、一軒家なら停電でも水が出るのとはまったく違う。トイレも貯まっている水を使ってしまうともう出ない。トイレの使い方も考えないといけない。シャワーなどもっての他である。
冷蔵庫も止まってしまうからむやみに開けるわけにもいかず、水は冷えていないペットボトルから飲んでいる。
普通は1時間以内ぐらいに回復するのだが、時に2時間や3時間もある。そうなると大変だ。
こちらの人は慣れているせいか、平然としている。この国に長く住んでいると「ある時に買っておく」「やれるときにやっておく」というのが大事になってくる。昨日の午後と夕方もインターネットを使ってやらねばならない仕事があり、なんとか午後9時頃までやって直ぐに寝てしまったのだが、もしやっていなかったら、今朝は気が重かったろう。
この国に来て生活の不便についての抵抗力は大いに付いた。銀行のATMに行くと現金が切れていて引き出せないなどということも驚いてはいけない。現金がATMから引き出せないなどということはかなりの頻度で起こるのだ。日本だったら取り付け騒ぎになりそうである。
そういえば家内からAPECに備えて停電の訓練があると聞いていたことを思い出した。どこかにそういう情報が流れていたらしい。午前3時から7時までの訓練となっていたらしいが、もう8時前なのに復旧しない。この辺がベトナム的だと思う。
電気が止まると人間までだるくなる。現代では人間まで電気で動いているのではないかと疑いたくなる。何もできないからだるくなるのか、エネルギーが来ないのでだるくなるのか。自分がロボットになったような気分だ。
停電の間にポメラで今日打たないといけないようなメールは全部書いてしまった。停電が収まったら、これらのメールを打てば今日の仕事の8割は終わりだ。後はのんびりしよう。一日一善だ。
「停電の一日、昼前」
電気は依然として回復しない。驚いたね。朝の7時には復旧すると思っていた。幸い、ほとんど冷蔵庫のドアなどは開けていなかったので、何とかまだ大丈夫だろうと希望的な観測かもしれない。朝飯はバナナ2本とおつまみ用のひものをかじってすました。昼もこのままだと同じようなものになるかもしれない。日本だったら大騒ぎだろうが、ベトナムでは何もなしで済むのだろう。
幸いに気温が32度ぐらいで風もあり、当地としては涼しいと感じるので、家中の窓を開け放して生活している。こういうときは大理石の床が心地よい。
「停電の一日、昼過ぎ編」
暑くて、とても我が家には居られない、外に出ようと家の前に出たら、隣に住むマレーシア人のリーさんにビッグC(ダナンのショッピングセンター)と一緒になり、車で送ってもらい、おまけに中華料理をご馳走してもらうことになった。初めて黒い鶏のスープを食べた。甘いスープである。有り難かった。リーさんから、停電が何と夜の7時までということが分かりびっくり。リーさんの会社は自社で変電所を持っており、そこからの情報なので間違いない。ビッグCでの買い物が終わって我が家に帰って大理石の床の上にべったりと横になって昼寝をしたが、どうにも時間が進まない。ついに5時過ぎになり、まだ2時間もあるが、このままでは熱中症になって死にそうだというので、もう一つのショッピングセンターであるビンコムに行くことにした。
ビンコムの「すもうレストラン(日本風を売り物にしている)」でビールを飲み、たらふく焼き肉を食べたのだが、これでようやく元気が出た。7時半頃に我が家に帰ると幸い電気が通じていた。
本当に厳しい停電の一日だった。リーさんによればベトナム人のお金持ちは皆ホテルに部屋をとって過ごしているよという。今後にこのようなことがあったら高くてもよいので、冷房の利く高いホテルに行こう。
「停電の一日、後日談」
停電の2日後、ダナンに来て初めて本格的な風邪を引いてしまった。停電の一日に、30度以上の我が家と冷房の効いたショッピングセンターを往復したり、半分熱中症になりかけていたのが効いたらしい。
そして冷蔵庫であるが、16時間に及ぶ停電ではほとんど扉を開けなかったにかかわらず、ほとんどの物がダメになっていた。我が家のゴミ箱はおかげで一杯。
それにしてもAPECの予備訓練とは何だろう。どうして朝3時から午後7時までの長時間停電が必要なのだろう。ベトナムには分からないことが多い。