2017年11月17日金曜日

活け花の指導

 家内の日本文化クラスで朝買った花を運び、活け花教室を開催。文化の違いを学ぶのはいつも面白い。花瓶が揃わないのでオアシスで代用。

ベトナムの花は安い!!!!

家内がクラスで活け花の演習をするので、今朝はマンタイ市場で花を買ってきました。こんなに沢山買って1150円ほど。花屋さんも活け花と聞いて多少おまけしてくれたのかも。

クレジットカードの不正防止

  今日は日本のクレジットカードで12月の新幹線の予約をしようとしたが決済できない。所用で日本に一時帰国し、新幹線に乗る必要があった。切符の予約ができない。
 実は3週間前にホイアンのホテルでこのカードが使えず、おやっと思ったことがあった。ウェブサイトで確認すると利用可能額が表示されていない。そこでスマホで日本のカード会社に直接電話をしたが、まず音声メッセージで今回の用件を選択し番号で入力しろと言う。番号が表示されていないスマホの画面からどうやって入力するのか、それがまず分からない。画面をよく見ると気付かぬほど小さな番号のマークがあるので、これを押して電話番号の入力画面を呼び出す。使用可能額の番号の3を入れる。でもなにも起こらない。下にある赤い電話のアイコンを押したら電話が切れてしまった。もう一度、最初からやり直しだ。参ったな。絶望的な気分。昔の電話の方が分かりやすいじゃないかとブツブツうなる。
 もう一度かけ直す。人間ならよいのに、また同じ音声メッセージだ。選択番号を入れろと言うメッセージ。もう分からない。何でもいいから番号3を押してシャープを押して、ついでに番号のマークを押すと「番号が確認できませんので、係りにおつなぎします。」というメッセージが出た。最初からつないでくれればよいのに、と勝手なことを考える。
 「ただ今電話が大変混んでおります。」というメッセージ、「はいはい待ちます。」と応えて待つ。「お待たせいたしました。掛のXXXです。」と生きた人間の声!やった。話をすると、とても丁寧な受け答えでホッとする。事情を説明すると、もう一度先方から電話をしますということで、ベトナムの電話番号を伝える。ベトナムだとこれでかかってこないことがありそうだが、日本だから信頼できるだろうと自分に言い聞かせる。本当にかかってくるのか不安である。なんとも手持ち無沙汰な時間が過ぎる。
 クレジットカード決済ができない理由が思い当たらないわけではない。先々月だったか、このカードでかなり大きな金額の支払いをした。その次の月にもう一度同じような支払いの必要があったので、もう一度支払おうとしたら「カード決済できません」とメッセージが出ていた。どうもそれが原因になっているようだ。
 続けて2回のまとまった支払い、しかもベトナムからということでカード会社が不正防止のためのチェックをしてくれていたらしい。ベトナムの電話番号までは連絡していなかったので、カード会社は僕の国内の電話には電話をして確認しようとしたが通じず、支払い停止にしてあったようだ。「申し訳ありません。」と謝ってくれたが、こちらかは逆に「安全のために停止してくれてありがとう。」とお礼を言わせてもらった。最近はカードの不正が非常に増えているようだ。安全のためであればぜひ止めてもらう方がよい。
 さてその10分後には日本から電話があり、本人の確認ということで支払い停止は解除された。これで問題は解決、新幹線の予約も無事終わったのだが、それにしても海外生活、特に途上国での生活では思わぬ障害が出るものだ。海外でお金がなくなるほどしんどいことはない。お金の管理はくれぐれも用心してください。

ベトナムの経済研究

 ベトナムの経済大学が連携している若い研究者のシンポジウムがあった。共通テーマは「経済発展と第4次産業革命」ということだった。
 私は主として金融セッションのところに出席させてもらった。まあまあ面白い発表もあったが、似たような発表が多いのはいつもの通りである。実はベトナムの経済研究の発表にはやや最近飽きている。なぜかということを考えて見た。
 まず第一はアプローチがほとんど同じようだ。同じようなデータに基づいて同じような分析をするので皆同じような結論になる。あるいは最初から結論が分かっているような研究が多いので、最初から読む気がしないものが多い。
 この原因の一つはベトナムには限られた経済データしかないと言うことがある。限られたデータを元に似たような統計分析をすれば似たような研究しかできない。
 第二は研究の目的がよく分からないものが多い。世界中でやられている研究だからベトナムでもやってみますと言うものが多い。なぜこの研究をやっているのですかと聞きたいようなものが多い。
 もっとも私は典型的な研究者ではないのであまり生意気なことは言えないが。31年間ビジネス界で働き、14年間は大学の運営に全力を注いだこともあって研究らしい研究はできなかった。かといって別に研究に実利がなければないという訳ではない。知的な興味を感じる研究は大好きである。ただその研究者のユニークな視点が欲しいがそれが感じられない研究が多い。
 第3は自分自身の発想による理論的な考察や地味な実地調査があまりないように思う。そして部屋の中でできる決まりきった数値分析に移る。だから人の心を打たない。自らの個性のある発想は研究者には大事なことだろうと思う。ベトナムではおそらく研究者として残るのは大変なことなのだろう。そのなかで自分の自由な発想でのびのびと研究する余裕はないのかもしれない。限られた時間のなかで海外のジャーナルに論文を発表せねばならない。
 またベトナムの政治体制の影響もあるのかもしれない。ベトナムでは政府の存在感が格段に高い。企業も国営企業が多い。民間の自由な活動は制限されることが多い。それだけに経済の問題点を考えるとどうしても国の直接批判になってしまう可能性が高い。だから自由に考える、あるいは書くのは難しいと言う面はあるだろう。
 翻って我が国のことを考えてしまう。最近は研究者の雇用期間が実に短くなってしまっている。論文をどんどんと書かないと研究者としての地位は守れない。我々の研究者にはもっと自由に自分の発想を大事にして欲しいものだ。あまり欧米の大学ランキングを気にせず長い目で研究者を育てる方が賢いのかもしれない。
 

2017年11月14日火曜日

APECでの学生ボラティア

 APEC CEO Summitの会場では多くの学生たちがボランティアとして働いていた。
 7日にセキュリティバッジを受け取りに行った会場で、ダナン経済大学客員教授と申し込み用紙に記入したら、「私、その大学の学生です。」と言われたり、インフォメーションデスクに行ったら、ダナン経済大学の学生だった。
席を探してくれたボランティア
8日には大ホールに開会式ということで出かけていったが、既に客席は満員でなかなか席が見つからず、困っているとボランティアのシャツを着た若者が側に来てくれた。「森先生、私は貴方の講義を聴いた学生です。」と言って、それから空いている席を一つ見てけて案内してくれた。一週間程前に商学部の学生のためにゲストレクチャーをしたが、そのときクラスにいた学生のようだ。お陰様でゆっくりと開会式を見ることができた。
 家内も学生のボランティアの様子を見ていて、「3日間の会期の間に学生のボランティアたちが毎日、自信をつけているのを感じるわね。」と話していたが、僕も同感である。
 ベトナム国外からの人が多く、英語で話しかけられることも多かったと思うが、一生懸命に対応して自信をつける。
 ぜひ日本でもこういうことを進めて欲しい。

APEC CEO Summitの様子

2017年11月8日(水)
 11月8日の午後からはアイオリオ国際見本市会場でAPEC CEO Summitが開催された。APEC CEO SummitはAPECの首脳会議と並行して開催される企業関係者の会合であり、参加者はAPEC参加国から合計2千人を超える企業関係者、マスコミ人などが参加する。小生は最早企業関係者ではないが、昔のご縁で今回は費用を出してくれる機関があり、参加することができた。家内も随行員として登録してあるので、夫婦で参加できた。
 初日のベトナムの大統領、Tran Dai Quangの挨拶はなかなか立派だった。人的な資本への投資の必要性を強く訴えたのが印象的だった。ただその後のセッションは議論もかみ合わず、CNNの司会の英語もよく分からず(小声で聞こえない)退屈だった。初日の議論は正直なところまったく印象に残らなかった。
 夕刻のウェルカムレセプションにはもう一度、我が家からタクシーでモンゴメリーリンクスゴルフ場に行かねばならない。タクシー代は26万ドンかかるが、日本円に直すと13百円に過ぎない。ゴルフ場のクラブハウスの横に大きな屋根が作られていて、雨が降っても大丈夫なようにはなっている。
 すでにたくさんの人が集まっており、ここで夕食を食べる。ミークワンがあまりにおいしかったので、二杯目を食べたら、椀の底に真っ赤なトンガラシの液が入っており、暗くて見えずにがぶっと飲み込んだものだから、口のなかが焼けるように厚くなり、舌がなくなるのではないかと思った。
 ステージではダンスが続いており、ベトナムらしいショーと挨拶が続いていたが、明日の朝早くからの授業もあるので30分ほどで失礼する。

2017年11月9日(木)
 午前中は授業があり、APECには参加できる。昼飯のあと、会場に戻った。何となく鼻がむずむずしている。ちょっとホール内が寒いためもありそうだ。今は大ホールにいる。京都の国際会議場ほどではないが、大きなホールである。今日は、家内とフィリピンのドテルテ大統領の話を聞き、見るためにやってきたようなものだ。今朝の講義の後、我が家に大学の車でフックさんに送ってもらったのだが、交通規制で大いに後れた。ダナンの街は多くの規制でかなり混乱している。
ドゥテルテ大統領
ドゥテルテ大統領の話はなかなか聞き甲斐があった。フィリピンの実状を踏まえて、人的な投資の必要性を話していたが、特に印象に残ったのは折角育てた多くの人材が皆フィリピンから出て行ってしまい、国内の成長には貢献しないという下りだった。いわゆるブレイン・ドレイン(頭脳流出)である。医師も技術者も海外に行ってしまう、必要な人材が国内で確保できないという。これは深い悩みであろう。決して浮ついたことのない語り口は好印象を与える人である。マスコミでたたかれる姿とはだいぶ異なる途上国の指導者を見た気がする。
夕方は市立体育館でGala Dinner。APRUの仲間と一緒に飲んで楽しかった。


2017年11月10日(金)
 金曜日は安倍首相とプーチン大統領はキャンセルだったが、トランプ大統領と習主席の話を聞くことはできた。ランプ大統領と習主席を含めてさまざまな政治家の話を聞くことができた。トランプの演説は確かに上手で、聴衆を魅惑するものがあり、多くの拍手があった。内容は新聞で報道されているように「アメリカファースト」であり、彼の主張そのものなのだが、その語り口がよくできている。声の抑揚、間の取り方、これで大統領選を勝ち抜いてきたのだと実感させるものがあった。
 習主席の話は静かでトランプとは好対照に緻密な話し方をする。そしてトランプ大統領以上の拍手があったと思うが、会場には多くの中国人がおり、彼らの拍手だったように思う。我々の側のベトナム人はまったく拍手していなかった。ベトナムでは中国に対する不信は大きなものがある。多くの人が中国のことはよく言わない。なかなか国際政治は難しいものである。

APRU(環太平洋大学連合)のAPEC University Leaderes' Forum

 先週、ダナンではAPEC会合が開催された。これに関連して多くのミーティングが持たれ、我々夫婦も結構忙しかった。もちろん政治家ではないので、APECの本会合ではなく、APEC CEO Summitが中心的なものだったが、これからの世界を考えるのには十分過ぎる刺激があった。
 あまりに色々なことがあったので、とても書き切れないが、思いついたことから書いておこう。
 まずはAPRU(環太平洋大学連合)のAPEC University Leaderes' Forumから。
開会の挨拶をするトレメワン氏
この会合は主催者がAPRUであり、共催がベトナム国家大学ハノイ校とベトナム教育訓練省である。APRUには京都大学が昨年まで参加しており、トレメワン事務局長も旧知のなかなのでダナン開催のお手伝いをしたこともあり、APRUのSenior Advisorということで参加させて貰った。
 7日には関係者がダナンに揃われて事務局のメンバーを招いて、ベトナム国家大学の総長さんによる夕食会が開催された。APRU事務局長のクリスや香港科技大のトニー学長と一緒に招待され、気心の知れたかつての仲間と一緒に楽しく時を過ごすことができた。
 8日の午前中に開催されたワークショップのテーマは「第4次産業革命における教育」が主たるものだった。参加者は、ベトナム、米国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、中国、台湾、韓国、などのトップ大学の学長・副学長、そして情報産業などの民間企業の代表だった。残念なことにAPRUメンバーの日本の5大学の学長・副学長の参加がなかったが、たまたまこの時期に日本で国立大学の学長会議が開催されていたこともあり、残念だったが、まあこれはしょうがないだろう。
写真 左から3番目が香港科技大のトニー学長、その右がMr. Huang
色々な議論があったが、主たる議論は、ビッグデータやAIなど、激しく変わっていく技術進歩のなかでどのような教育をしていくべきなのかということではなかったかと思う。AIは人間の職を奪って行くものだという議論があるが、参加者は皆、これに反対の意見であった。特に中国のIT企業、Malong Technologies社の創立者であるMr. Huang Dinglongの発言はとても印象に残るものだった。AIはルーティンワークを置き換えていくが、人間にはより重要な仕事がある。人工知能を何に使うかを決めることだ。デザイナーはコンピュータの専門家である必要はないが、デザイナーは人工知能に何を求めるかを言うことはできる。人工知能の利用にとって大事なのは何をさせるかだという。そしてルーティンワークから解放された人間はより深い仕事をできる。
 さまざまな知識がネットワークのなかに集積され、世界中のどこからもアプローチできる時代には、単に知識を学ぶのではなく、問題を設定し、それをどう解決するのかが重要になる。教育の力点は「知識」からより「問題解決」になっていく必要がある、ということが結論であったと思う。
 来年の6月には日本に帰って、また大学で教えることになるが、問題設定と問題解決というキーワードはこれからのカリキュラムを考える上で大事な視点であり、それをこの会合で改めて学ぶことができた。

2017年11月5日日曜日

ホイアンへの一泊旅行

 このところ特別講義を引き受けたり、セミナーがあったりで忙しく、先々週の土曜日に急にホイアンに行きたくなった。土曜日の朝、ふと一晩泊まろうかと考えた。授業の準備はほぼ終わっているし、慌てる必要はない。今までホイアンではのんびりと夜を過ごしたことはない。
 インターネットで調べると当日の予約も出来るサイトがたくさんある。知らなかった、3日ぐらい先でないと予約出来ないと思っていた。便利な世の中になったものだ。一泊二人で8千円のホテルを予約した。ホイアンの川に面した眺望のきく部屋とある。これまでの宿泊客の評判も良さそうである。
 家内に相談すると賛成してくれる。まあ、彼女もダナン生活にはこのところ少々飽きているので当然と言えば当然だが。
 ホイアンまでは車で1時間弱である。福禄園にはこのところ客待ちのタクシーが数台待っている。つい一月前までの観光シーズンのピークには呼んでも15分ぐらい来ないことがあったのだが、今は詮方なく前のカフェで運転手たちがコーヒーを飲んでだべっている。「ホイアン」と言ったら、たぶん大喜びだ。片道で50万ドンぐらい。ダナンでは5万ドンぐらいが普通だから、大きな稼ぎになる。

 昨日の1時半ごろにダナンを出て、ホテルに入った。とても良いホテルだが、ホテルの前の通りが夜中の12時頃まで賑やかだった。次は裏の部屋をとってもよいだろうと思う。ホテルの名前はリトルホイアンーブティックホテルという。よいホテルだ。客も外国人ばかりだ。値段は二人で85百円。
 このホテルの夕飯は素晴らしい。今までホイアンで食べた食事では一番と言って良い。ホイアンはやはり国際的な観光都市である。夜はホイアンの街をぶらぶらと歩く。

2017/10/29 07:56 日曜日
朝はホイアンの中心からタクシーで10分ほどの陶器の街「タンハー陶芸村」を訪れる。
ここは古くからの歴史があるようで大きな陶芸の博物館がある。特色は赤い素焼きの焼き物で、独特の風合いがある。多くの陶芸工房のある村のなかを歩けるようになっており、我々は村の西側の工房に気に入った作品があり、購入した。
 午後はトゥボン側のクルーズで、1時間ほど川を下る。メコンとは比べようもないが、熱帯的な川の様子は美しい。
 

ベトナムの肉 ー 豚肉編

 ダナンでは魚をよく食べる。魚のことはまた書くことにして、今日は肉のことを書いて見よう。
 ベトナム語では豚肉はヘオ(heo)という。家内に言わせると、ベトナムで一番高い肉は牛肉、そして鳥、最後が豚肉だそうだ。
 大学の2万ドンの食事では豚肉と鶏肉がよく出るが、豚肉は3種類ぐらいの調理で出てくる。また大学のそとの食堂でやはり1万5千ドンか、2万ドンのご飯を頼むと大きな豚肉を食べることができる。
 福禄園から朝ジョッギングに出るとゴークエン通りを北に1キロほど行ったところの料理屋で毎朝、豚の丸焼きを歩道の上で焼いている。大きなコンロをでんと置いて、炭をたっぷり入れて焼いているのだが、はて何時頃から焼き始めるのかは謎である。炭火はこんがりと肉が焼ける。よく中まで日が通っているのだろう。
 南に行った市場には丸焼き豚の肉を薄切りにして野菜と一緒にフランスパンに挟んだバインミーを売っている。壮大に(!)豚肉を切って挟んでいる。旨そうだが、小生はまだ食べていない。いずれ食べてみたいが、まだ勇気が沸かない。
 ベトナムでは薄切りの肉を買うのがなかなか難しい。市場では重さ300から500グラムぐらいの固まりを買って、自宅でさばくのが普通である。これは日本人には厳しい。日本ではスーパーに行って薄切り肉を買うのに慣れている。厚さも色々ある。向こう側が透けて見えそうなものから厚めのものまで様々だ。 だがベトナムでは違う。ベトナムの肉屋は大きなスーパーでも薄い肉を切る機械をもっていない。大きな肉切り包丁でボンと叩いて切る。
時々は薄い肉が食べたくなる。最近時々行き始めたドンダ市場は大きな市場でプロの料理人も買いに行くらしい。そこで肉屋のおばさんが薄切り肉を切っているのを見つけた。もちろん機械はないので、器用に包丁と金属の棒を使いながら薄切り肉を作っている。こ1年間ダナンに住んでこれが初めての薄切り肉である。家内とこれは買おうと決めて最初は3百グラム買い、炭火であぶってみた。旨かった。2回目は5百グラム買って、家内が「豚肉の野菜ロール巻き」を作ってくれた。
 日本であればお世辞にも薄いとは言えない肉ではあるが、ロール巻きができた。久々のロール巻きは旨い。
 大きなショッピングセンターのスーパーでも薄切り肉がないところを見ると、これは習慣のなせることなのだろう。1979年から2年ほどフランクフルトで生活をしたときには普通の肉屋には薄切りの牛肉がなかった。すき焼きを食べたいときは、中央市場に薄切りを売っている肉屋があった。一軒が元祖、もう一軒が本家という日本語の看板を掲げていた。代々の日本人が薄切り肉を食べたくて教えたのだろう。なかに洒脱な人がいて、元祖と本家という看板を贈ったのかもしれない。ベトナムでも誰か教えてくれないか。ただドイツと違って機械が買えないかもしれないが。