2017年12月28日木曜日

ホーチミンのイオンモール


非常に大きなモール。


12月23日から今日まで、ホーチミン市に旅行してきた。小型の嵐が来ていたためにメコンデルタへのツアーは中止になったが、クリスマスシーズンのホーチミンを満喫した。何を見られたか、少しずつ書いていこう。

大きなスーパーが中核
まずは初日に行ったイオンモールから。ホーチミンの中心から車で30分、タクシー代は17万ドンぐらいか、イオンモールに。家内はショッピングに興味があったし、私はイオンの東南アジア展開を見てみたかった。

 驚いたのはとにかく大きいこと。京都の街ではイオンモールに行くチャンスはほとんどないので、国内のモールはよく知らないが、大きさでは負けないだろう。
 そしてベトナム人が顧客ターゲットだということはよく分かる。都心からかなり離れているので、もちろん外国人旅行者は来ない。だからベトナム人の中間層以上が対象と思われる。商品構成はタイ製品などASEAN内の製品が多いが、とても品揃えはよい。そして非常に賑わってよく売れている印象だった。

 食品売り場には寿司とおにぎりのコーナーがあり、ものすごい数の寿司が売られている。参った。こんなに寿司がうれているなんて。
 

2017年12月18日月曜日

床屋の値段と購買力平価

 これまで世界の色々な街に住むことが出来た。どの街に行ってもしばらく住むと困るのは床屋を探さないといけないことだ。

 人間、髪の毛は毎日伸びる。だから月に一度ぐらいは床屋に行かないと原始人のようになってしまう。銀行員や大学の教員はそれでは仕事にならない。フランクフルトではフランクフルターホフという高級なホテルの地下にある床屋に出掛けていた。ニューヨークのウオールストリートでは近くのビルの地下の床屋でアラブ系の床屋さんに髪を切ってもらっていた。気に入った床屋に出会うまでに何回か失敗する。

 ベトナムではこれまでに3カ所の床屋に行かせてもらった。最初は都心の目抜き通りの床屋。きれいな店で多くの店員がおり、皆でおしゃべりをしている。ここは20分ぐらいかけて髪の毛を切る。これが8万ドン(4百円)、次が日本人のレミさんという人がやっているサロンでこれは40万ドン(2千円)。

 年末までにレミさんに行こうと思ったのだが、レミさんは予約がいる。なかなか電話が通じない。髪の毛は毎日伸びる。そこで今回は家のそばのカリスマ床屋に行った訳だ。値段は3万ドン(150円)短時間でサービスも何もないが値段相応ではある。以前にダナン大学での講義で学生と床屋代について話したことがった。どうもダナンでは普通の値段のようだ。顧客の求めるサービスと値段をどう考えるのか。これは高いのか、安いのか。

 そんなことを考えているうちに思いはPPPのことになった。
 経済学では多くの統計がある。特に開発経済学などでは「購買力平価(PPP=Purchasing Power Parity)」というものをよく使う。各国の生活に必要な商品やサービスのバスケットを作り、これの値段を比べることで各国の通貨の実質的な購買力を比較しようというものだ。ペンシルバニア大学などで研究が進んでいる。

 ただ本当にこれが意味のある指標かということには首をひねることも多い。
 ダナンにいると野菜や肉などの購買力はドンには円の3~5倍くらいの購買力があるのではないかと思う。ただ床屋などのサービスの比較は難しい。レミさんの顧客は外国人かベトナムの高所得層だろう。ダナンでは通常の床屋でも、都心の英語の通じない高級床屋と1キロ離れた床屋の値段の差は3倍ほどある。はてどちらの床屋を取るのだろう。途上国に住むことは本当に面白い。ぜひ若い人にも年寄りにも勧めたい。

2017年12月17日日曜日

ダナンの雨の日 グラジオラスを描きました

 ダナンは今日は一日中、雨が降っていた。いかにもダナンの冬らしい気候。Youtubeに出ていた「柴崎春通の水彩チャンネル」を見ていたら、無性に絵が描きたくなって久しぶりに水彩画を描きました。
 画材はマンタイ市場で買った花です。これだけ買っても700円ですから、日本ではなかなかこれだけの花は買えません。
 どうもこのところ、ひどい絵ばかり描いていたのですが、柴崎先生の画法を見ていて、「目から鱗」というところがありました。鉛筆に頼らず、絵の具でいきなり描くというのは度胸が要りましたが、この方が自由に描けますね。しばらくこの方法に替えます。

2017年12月16日土曜日

カリスマ床屋での散髪

 市場に行って例のごとく朝の買い物のあと、家のそばのカリスマ床屋に出掛けてきた。30分ほど待たされてそのあとは10分も掛からなかったかもしれない。
 
 ざっとハサミで髪の毛を切ってからバリカンで刈り上げる。髪の分け目だけは妙にこだわる。分け目にもバリカンを入れて分け目を明確にする。特別のハサミで髪の毛をすくこともない。ひげ剃りなどもない。眉毛も切ってくれない。だからあっと言う間に終わる。値段は3万ドン(150円)だから文句も言えないか。まあ気軽に行けるのはよい。
 
 この店をカリスマ床屋というのは私と家内が勝手に呼んでいるだけだ。若い人がいつもたくさん来て大いにはやっており、店長が芸術家はだしの長髪を頭の後ろに結わえている。そんなことでカリスマ的というところから、家内とあだ名を付けたのである。今日もたくさんの人が来ていた。
 
 その人たちの観察をしていたが、比較的短いのにもう髪の毛を切りに来ている。ダナンの男性は髪の毛はこざっぱりしている人が多いように思う。安いのでたびたび来られるのだろうか。

 ところで髪の分け目はベトナムでは大いに気になるポイントのようだ。これは来期の授業の時に学生に聞いてみるか。

2017年12月14日木曜日

大学でのある一日、なぜか疲れる。

 今日は大変にくたびれた一日だった。悪い日ではなかったのだが。
 朝の出だしは順調だった。8時に大学からの迎えの車のなかで運転手のフンさんが片言で「ドラえもん」とお礼を言ってくれる。昨日渡した日本からのお土産のどらやきのことだ。家内の選んだお土産がお子さんたちに喜ばれたのだなと良いスタートだった。
 
 そのあとが色々とあった。まず研究室のLANの修理が9時頃に始まった。研究室のLANが時々壊れるのだ。修理がなかなか終わらない。最初は一人、そして二人、最後は三人で修理に当たってくれる。

 その間に昨日の午後から読んでいた金融学部のマン先生の論文を読了することが出来た。49ページの英語の論文である。大変に面白い。4カ所ほどコメントがあるので彼と話をしたくなった。
 残りの時間でコンピュータ言語のPythonのPandasのE-learningの勉強をする。11時過ぎに金融学部のカーン先生が学生の答案31通を届けてくれる。これを受け取って、来週の半ばまでに採点したものを提出しますと話す。
 
 ところが朝からやっているLANの修理が長引いている。いつも食堂に行く時間の11時半を過ぎてしまい12時になってしまった。妙にお腹が減ってきて気分が悪くなってきた。朝飯もちゃんと食べているのに変だなと思いながら我慢する。
 正午になって終わりそうもないので、もう食事にいこうかと思ったが、あと5分ということでもう一度我慢しフラフラしながら待っていたら、無事LANが通じてホッとした。
 
 フラフラと空きっ腹を抱えて、もう誰もいないかと思って学食に行くと、会計学部長のアン先生が同僚と飯を食っており、ジョインさせてもらうが、お二人でベトナム語で話をしている。一言も分からないがどうも人事のことだなと勝手に推測する。小生も歳のせいだろうか。分かっても分からなくてもいっこうに気にならない。疎外感も特にない。
 小生が食い終わると3人でコーヒーを飲もうという。ここで「僕が払うよ」と話す。ベトナムの同僚とコーヒーを飲むとすぐに先に僕の分まで払われてしまう。だから今日は僕の番だとやらないといつも一方的におごってもらうことになる。これは嫌だ。この気勢を征することが大事だ。
 
 コーヒーを囲むと話しも英語になる。さっきは何を話していたと聞くとやはり人事のことだ。ダナン大学のなかに新しい大学(日本で言えば研究科に当たる)を作ることになった。新しい大学は情報学を専門として、韓国政府のオファーを受けてベトナム政府が決定したとのこと。2ヶ月前に政府決定が下り来年春に設立する。ダナン工科大学・ダナン教育大学が中心となり人を出すことになったが、ダナン経済大学からも人を一人出す、それが食事のときの話題だったという。どうして人事のことは話の雰囲気で分かるのだろう。
 
 韓国の支援はかなり本気のようで、大きな建物も既にあるという。日本の企業はASEANではタイを中心に展開している企業が多いが、韓国はベトナムに資源を集中しているように見受けられる。サムスンは今やベトナムの最大の直接投資企業となっているようだ。今回の大学構想には多くの企業の支援もあるという。
 
 昼飯を終えて研究室に戻る前に、ちょうど途中の国際部の部屋に立ち寄ってみた。午前中に読んだマン先生が国際部の副部長をしており、彼の論文に4カ所ほどコメントがあったので、もし部屋にいればと思い、訪ねた。彼はよく働く男で、案の定、昼休みのガランとした部屋でも彼は仕事をしている。彼に小生のコメントについて話すと何年もかけたプロジェクトで多くの補助金も掛かっていると嬉しそうに説明をしてくれる。確かに面白い内容である。ぜひ他の論文もあるので送ると言ってくれた。
 研究室に戻るとマン先生からはもう次の論文がメールで届いている。ところが昼飯を一緒に食べた会計学のアン先生からも論文が届いている。これは3編もある。会計学の論文は不慣れな内容でもあるので、結構大変そうだ。かといって放っておきたくはない。できるだけ読み込んで感想を伝えようと思う。
 
 研究室で次の仕事をしようとしたのだが、どうにも体が動かない。急に眠気を覚えたが、かといって眠ることもできない。気分が悪くなってきて、そうこうしているうちに開発経済学の成績の入力のことが気になってきた。先週末に成績を付けたのだが、これをどうしてよいのか分からない。
 TAをやってくれているH先生にはメールを打ったが、二日ほど返事がない。国際部の職員さんにH先生への連絡を依頼しておく。
 4時すぎに大学の車で我が家に送ってもらい、今日一日のことを振り返る。成績入力で小生の出来ることは全部やったし、こうやって振り返ると充実した一日だったと思うのだが、心のなかに何か不安がある。どこから来るのだろう?
 
(追伸:H先生から夕刻メールが来た。心配しないようにとあった。ああ、これで安心して眠れる!)

Udemyという学校

 昨日述べたプログラムの学習はUdemy(たぶんユーデミィと発音するのだと思う)で勉強している。これは色々な科目をパソコンやタブレットの画面で学べるもので有料である。

 たとえば今学んでいる「技術者のためのPythonデータサイエンス」は正価が100ドルぐらいだが、15ドルにディスカウントされていた。先週までBlack Fridayセールということで10ドルまで下げていた。バナナのたたき売りのような値段であるが、中身はなかなか素晴らしい。

 プログラムを学び始めると、講義を聞きながら、パソコン上で自分でも実習をしたりできる。一つのビデオが2分から5分ぐらいのものが多いので、ちょっとした「すきま時間」を利用出来る。この講義を聴いていると将来の大学教育が大きな挑戦を受けていると感じる。

 この科目は8時間のビデオであり、朝から晩まで見続ければ1日で終わる訳であるが、それでは気分が悪くなってくるので三日間に分けて見ている。

 次の学習プログラムも買ってしまった。これはモッと長くて20時間の講義が15ドルである。なかなか安い娯楽ではないか。

2017年12月13日水曜日

UdemyでPythonを学ぶ

 「最近、UdemyでPythonを学んでいる。」と言っても多くの方には何を言っているか、さっぱり分からないだろう。私も二ヶ月前はこの文章を読んでもおかしな言葉ばかりだと思うだけだったろう。ところがこの一月ほど、時間があれば、UdemyでPythonを学んでいる。ややのめり込み過ぎかもしれない。

Udemyにリンク
 Udemyはインターネット上にある学習サイトであり、もとは米国だろうと思うが英語だけなく、いろいろな言葉のサイトがあり、日本語もある。ここで様々な学習コースから自分の好きなものを選んで購入できる。Udemyの語原は、YouとAcademyの組み合わせだそうだ。

 Pythonというのはコンピューターのプログラミング言語である。蛇の名前のようだが、語原は違うようだ。(この謂われは別のチャンスに)AIにぴったりの言語ということで最近はよく使われているらしい。

「一日で修得ー「技術者のためのPythonデータ分析」
人工知能の研究など、様々な用途に幅広く使われている言語のようだ。Udemyというウェブでの学習サイトにPythonを使ったプログラミングの学習プログラムがたくさん並んでおり、このなかで比較的短い「一日で修得ー「技術者のためのPythonデータ分析」というのを選び最初に聞いた。

 8時間分のビデオが入っている。とても一日では終わらない。このあと「世界で5万人が受講ー実践Pythonデータサイエンス」も見てみた。これは20時間ぐらいのビデオがついている。

 一言でいうと非常に分かりやすい。最初はあまり無理をせず、大きな流れを知ろうと今のテレビなどで横になりながら、時々は昼寝をしながら見ていた。現在はもう少し真面目にパソコンのキーボードをたたきながら学んでいる。

 私は大学時代にFortranを授業で学び、Basicは会社に入ってから独学で学び業務にも随分と利用していた。ほかにもRなどというプログラム言語も少しかじったことがある。ただ京都大学では忙しくてプログラムなどやっている暇がなかった。

 そのような経歴から今回のPythonは非常に分かりやすい。これまでのプログラミング言語の延長線上にある。

 Pythonを使って何をするのか、やってみると色々と出てきそうだ。実は先日、読んだ本で複雑系のシミュレーションの算式が出ていた。これなどはPythonで組んでみるのに面白いだろう。ちょっと悪戯でグラフまで表示させてみたいなどと夢見ている。

 まるで20代の頃に初めてのプログラミングをした時の興奮がよみがえってきている。あのころの体力・気力とは比べものにならない。目もプログラムを見ていると直ぐにショボショボしてくるが、それでも何とも嬉しい。

Mobifoneの999へのメッセージの送信方法

 うっかりしていたらMobifoneのインターネット利用が月間限度の3ギガを飛び越えてしまい、携帯のネット接続ができなくなった。携帯経由のテーザリングを切るのを忘れてPCが一日で3ギガを使ってしまったようだ。

 早速、Mobifone から携帯にメッセージが送られてきた。「インターネット接続を続けたいなら999にMAX35と書いて送れ」というものだ。発信元は999である。そこで999にMAX35と送ると送信ができないと表示される。何度やっても同じだ。泣きたい気分で、大学の国際部のハイ君に尋ねるが彼もどうして良いか、分からない。我が家に帰って自分のブログを見ていたら、ナンと999への送信方法が書いてあるではないか。

 999へ送るときは「+999」とプラスを付加しないと送れないとある。どうもMAX35の方は「DK MAX35」とDKを最初につけないといけないようだ。

 やはり歳を取ってきて半年前に自分で書いたことをすっかり忘れている。でも書いておいて良かった。

 改めて送ると、すんなりと通り、早速Mobifoneから2ギガの容量追加があったと出た。よしよしこれからは簡単にできる。それにしても何故+を最初から付けてくれないのか。DKもホームページを散々探して見つけたものだ。この国で生活するのは大変である。これもブログに記録しておこう。

「東南アジアの自然」を読む

 弘文堂から出版された東南アジア学のなかの「東南アジアの自然」を読む。高谷浩一先生が編集されている素晴らしい本だ。ダナンに1年間住んで熱帯モンスーンという気候が温帯モンスーンとはかなり異なるものだと感じていた。しかしどう違うのかはなかなか説明できなかったが、この本では東南アジアの地学、気象、農業などが壮大な地球的な規模のなかで描かれており、地球規模のイメージをもって、はじめて今住んでいるダナンの気候を理解できたように思う。

 第一章「大陸と多島海」では東南アジアの陸と海の形成が描かれる。ダナンは古期産地というユーラシア大陸の古い土地のようで地震が少ない理由があるのだろう。ヒマラヤ山脈の組成やオーストラリアの北進など、複雑な東南アジアの陸地の骨組みが分かる。

 第二章「熱帯とモンスーン」では、東南アジアの気象について書かれている。東南アジアの世界の気象のなかに占めるユニークな位置を初めて理解できた。特に多くの図表はアマチュアである私にはとても興味深いものだ。たとえば53ページにある図1「大気の非断熱加熱率の分布(1、7月)」には驚かされた。この図によると東南アジアから赤道西太平洋は地球規模での大きな熱源となっている。これが世界にも希なモンスーン気候をアジアに生み出している。(53ページ)

 さらに55ページには、太平洋とヒマラヤの間の巨大な大気の流れが夏と冬でなぜ逆転するのか。そしてヒマラヤからの乾燥した空気が西アジアの乾燥地域を作り出していることなど、今まで考えたこともなかった大きな世界が描かれている。

 この本を読みながら改めて自分の住むダナンとはどのような場所かを考える。ダナンはユニークな気象条件を持っているように思う。この街の雨期は11月から1月ぐらいである。東南アジアの大陸部では夏の降雨が多いが、ダナンは島嶼部のように冬の降雨が多い。

 気候の変化にも異なるリズムがある。年間を通じる大きな変化、各季節における定期的な変化、そして日中の変化である。この日中の変化もダナンにいるとかなり特殊である。この本では、東南アジアの多くの場所では日中の午後に気温が上がりスコールが降るとされている。ところがダナンの雨期には日中よりも夜に雨が多い。夜中、雨の音がしていても朝には止んでいる。これは住んでいる人間には有り難い。

 ダナンの雨期が冬であることは既に書いたとおりであるが、ダナンにいると夏期の乾燥はかなりのもので夏に葉が枯れるのではないかと思うほどに雨が降らない。ところが東南アジアの大陸部の多くの場所では夏に雨が降り、冬は乾期である。同じ東南アジアでも大きな差がある。

 ところで、この本は先週、京都に帰ったときにアマゾンで古本として購入したものだ。発行は平成2年、既に27年前の本である。編者の高谷先生はもう亡くなられている。「多雨林の世界」の章を書かれた山田勇先生、そして最終章「プランテーション農業と農民農業」を書かれている田中耕司先生には京都大学の国際交流センターで勤務したときにタイへの学生派遣で大変にお世話になった。山田勇先生は学部学生を家まで呼ばれて気さくに話をされ、最終講義では世界中の森の話をされていた。また田中先生は東南アジア研究所の所長も勤められ、今はミャンマーに行かれいる。この本の執筆者紹介では平成2年にはお二人とも助教授でおられたとのこと。こういう碩学の方々に囲まれた京都大学時代は本当に楽しかった。京都大学で働かなければベトナムに来ようと思うことももなかったろう。

 お二人の章もこれから読み進めていく。楽しみである。