2018年4月14日土曜日

フエへの鉄道旅行(2) フエのファン・ボイ・チャウ記念館

 フエの駅は歴史を感じさせる建物である。多くの人がここで降りる。ダナンと同じで駅のなかにたくさんの売店が並んでいる。乗客のなかには停車中に食べ物やみやげを買う人もいる。これだけ多くの商店が成り立つことが不思議である。

 駅を降りるとホテルまで歩く。今回のホテルは駅から200メートルほどの川沿いのル・レジデンス・ホテルである。値段は高かったが、駅から近いので選んだのだ。立派な玄関を入ると、すばらしく落ち着いたラウンジとレセプションデスクがある。Ngocさんという女性がおり、きれいな英語で対応してくれる。なんとこのホテルは昨年の天皇陛下のベトナム訪問の際に泊まられたホテルということだ。我々の部屋は陛下の泊まられた部屋のテラスを見上げることが出来る部屋である。あのテラスからの眺めはさぞかし良かったろう。

 Ngocさんにフエの訪問も数回になるので、これまで回っていない場所に行きたいと説明し、家内の事前調査と併せて本日の日程を決める。そのあとホテルのレストランで昼食をとる。

 まずファンボイチャウの記念館まで歩くことにする。地図ではすぐに見えたが歩くとかなりある。30分以上歩いてようやく到着。ファンボイチャウはこのフエで幽閉されていたベトナム独立の志士である。ベトナム独立のために日本に渡航し、ベトナムの青年を日本に渡航させる東遊運動を起こした。日本の多くの人と交流があったが、結局しかし日本政府がフランス政府の働きかけに応じたことで退去させられ、中国でベトナム独立運動を続けたが、1925年に上海で逮捕されフエで幽閉されて一生を終えた。

 
この記念館にはファンボイチャウの幽閉されていた建物が再現されており、とても粗末な建物である。彼の墓も庭の真ん中にある。敷地内の博物館は残念ながら閉まっていた。学校の遠足のあるようなとき以外は閉まっているようだ。

 

フエへの鉄道の旅 (1)寝台列車に乗って

 昨日の夜11時頃にフエから帰った。寝台列車でフエに向かい、帰りはまた寝台列車の旅である。今回で2回目のベトナム列車の旅だが、大変に素晴らしい。
 フエは今回は前回とまったく異なるところに出かけた。
 金曜日の朝9時に我が家を出て9時35分の列車に乗る。4人のコンパートメントでベトナムの若い二人連れと同室になる。二人で大音量でスマホのテレビを見ている。これなら気兼ねを要らない。きわめてベトナム的ではある。カラオケと同じである。ベトナムの人はあまり騒音公害は気にしない。早朝から大音量のカラオケをやっていたりする。列車のなかも同じである。
 フエまでの車窓の眺めは素晴らしい。ダナンの北の外れにあるラグーンからベトナムを南北に分けるハイバン峠にさしかかる。ここからは車両の右側が急峻な崖になり海に落ちている。ハイバン峠の山は大きな岩の集積のようで波打ちは大岩の磯になっている。海は真っ青に澄んでいる。操業をしている漁船も見える。ダナンで売っている伊勢エビなどもこの辺で採っているのだろうか。
線路は全線が単線である。ところどころに交差のための複線区間があり、いくつかは駅になっている。ここで列車は暫く停止することが多い。ハイバン峠にも駅があるが、停車はしても乗客は降りられない。ハイバン峠からの急な下りにところどころは鉄砲水の出そうな谷や水路もある。そういう要所には人が立っており、列車の無事な通過を見守っている。
 車窓から見える海までの森は熱帯らしい森である。小菊や紫サルビアなどが咲いており、ところどころクズの葉が一面に斜面を覆っている。家内に言わせるとクズ粉が市場では売られている。このクズから採るのだろうか。ただ日本のクズとやや異なる。葉っぱがやたらに大きいのだ。日本のクズの4倍ぐらいはあるだろう。ダラットで柿の葉っぱが人間の顔よりも大きかったことを思い出す。無事ハイバン峠のトンネルを抜けると列車は蛇行を繰り返しながら、やがてランコービーチを見渡す場所に来る。ここにはハイバン峠に上る道路との交差点がある。ここからのランコービーチは美しい。
 右側に真っ青な川が、やがてラグーン、そして蠣などの養殖をする海辺と景色は次々と変わる。そのうち列車は海岸線を離れて田園の中を走る。真っ青に育った広大な田圃を通り過ぎる。沿線には民家や寺院、そして墓地も見える。ジャックフルーツの大きな木には大きな果実が実っている。シナモンとおぼしき林も点在する。あまりに眺めがよいので、夫婦二人でコンパートメントから出て列車の廊下から眺めているうちにフエの街に入った。
 

2018年4月13日金曜日

ベトナムの花 水彩画


 ベトナムではどの街の一番にも花屋があり、さまざまな花を売っています。今週の花は全部で1000円ぐらいです。信じられますか?


2018年4月8日日曜日

Tam Ky ベトナムの鉄道 タムキーへの旅 (5)タンターン村

(タンターン村)
 ホテルに帰り、一休みをしてタンターン村に行ってみることにした。タンターン村は韓国の芸術家が漁村の壁にフレスコ画を描き、これが観光資源になっているという村である。村は中心街より7キロほど離れているので、タクシーを拾う。タクシーで約23万ドンになる。これだけ走るとタクシーは待っていてくれる。待っている間も待ち料金をメーターは弾いているのだが、待ち料金は驚くほど安い。
 タクシーは街の北端に駐車した。ここから南に向かって歩く。なるほどフレスコ画が壁に大きく描かれている。韓国の女性、動物、バナナなど色々な物が描かれている。楽しい村である。
 途中から道を外れて浜辺に出る。浜辺の家では、太刀魚を捌いて、干している。干物にするのだろうか。 白い砂浜の長い、美しい砂浜である。漁船がたくさん泊まっている。古い漁船が砂浜に打ち捨てられており、それを見ると竹で編んだ漁船である。竹で編んだ本体の上に厚い塗装がしてある。これはダナンの丸い竹かご船と一緒だが、いかんせん形がまったく違う。竹かご船よりも遙かに大きい。船の先がギュッと空に向かって伸びている。
 この竹船が浜辺に何十艘と並んでいる。これは壮観である。今日はスケッチしている時間はない。できるだけ写真を撮っておく。強い太陽の下では陰が極端に暗くなる。コントラストの強い写真になるだろう。
 沖から漕ぎ帰って来た船があった。二人の男性の漁師が漕いでいる。砂浜が近づいた。すると女性が砂浜に降りてきて、船に向かっている。やがて船が砂浜に着くと女性は海に足を付けて、二人の男性と一緒に船を押し始めた。どうも船を回転させながら、砂浜の空いている空間に上げようとしている。全力で押している。数回転して船は砂浜に上げられた。
 今度は女性が持ってきていたアイスボックスを開けると、漁師が今日の収穫の魚をアイスボックスに開ける。たくさんのイトヨリやアジがあった。家内は興味深げにのぞき込んでいる。女性がアイスボックスを持って浜から村に戻っていく。
 我々も戻ることにした。浜辺の階段を上ると、細かなタイルで魚のレリーフがあったり、大きな女性の顔など、たくさんの絵が描かれている。ダナンと同じような竹かご船も通り沿いの家に並べてあり、その船にも大きな絵が描かれていたりする。
 気持ちのよい明るい太陽が照っている。幸い、まだ暑くはない。観光客も数組来ている。かなりの家が喫茶や食べ物をやっている。どうもこの村おこしの企画は成功しているようだ。韓国の芸術家もなかなかやるものである。
 暫く行くとジャックチャンのSea Houseという民宿風の家もあり、泊まってみたい気がする。ぷらぷらと歩いてタクシーのところに戻ると、運転手が喫茶店で飲んでいる。我々もそこに入りコーラを飲む。乾いた喉にうまい。運転手の分も払ってやり帰路についた。久しぶりにハンバーガーが食べたくなり、ロッテリアに行ってもらう。韓国人のグループが入っている。韓国の人はベトナム中にいる。韓国企業はベトナムで様々な取り組みをしており、この人たちも観光客ではない。このあたりに韓国企業が操業しているのだろうか。
 ホテルに戻り、荷物を部屋から取ってチェックアウトする。行きは駅から歩いたが、疲れたのでタクシーで。駅に着くと小さな待合い所に数人の人がいる。プリントしたA4版の切符を見せて確認する。ここで待てと言われる。15分遅れでホーム入り口が開き、20分遅れで列車は出発した。昼の12時過ぎなのでベトナム人のお昼寝の時間である。リクライニングで横になっている人が多い。この列車はサイゴンからハノイまでの特急でダナンまでノンストップである。1時間半でダナン駅に到着し、タクシーで我が家に戻った。
 「何もない」と言われていたタムキーだが、どっこい我々にはとても面白い充実した2日間だった。汽車の旅にすっかり魅せられた。今度はフエまで列車で行こうと家内と相談している。

Tam Ky ベトナムの鉄道 タムキーへの旅 (4)シナモンの作業所、そして市場

(2か目)
 朝、起きると体中が痛い。初めて乗った列車での緊張感や、そのあと多くの遺跡を巡った疲れが残っているのだろうか。
 (朝の散歩)朝の散歩をするとホテルの前の小学校で、生徒や父兄が集まり、学校の塀にたくさんの絵をペンキで描いている。本来は生徒が描くものかも知れないが、中には父兄の方が腕まくりして描いているものもある。多くのモチーフがベトナム的で面白い。たくさんの写真を撮る。そのあと、昨日歩いた市場の方角に昨日とは別の道をとる。途中、商店の並びのなかにシナモンの選別をしている作業所があり、これは面白い、ぜひ家内に見せようと思い、ホテルに帰る。
 朝ご飯を昨日と同じレストランで食べて、そのあと二人でまたタムキー市場に出かける。我々は市場が大好きである。今朝ほど見つけておいた道を通り、シナモンの作業所の前に来る。「シンチャオ!」と挨拶をすると作業している女性たちがニコニコとしてくれ、さわっても良いと手真似してくれる。写真を撮らせてもらい、手に取ると甘い香りがする。このあたりはシナモンの産地と聞いていたので、その現場を見ることが出来てうれしい。選別されたシナモンは大きな袋に入れて出荷されている。最後にありがとうとお礼を言って市場に向かう。
 市場が近づくと交通量も増える。このあたりの建物はダナンと若干違う。色彩が明るく感じる。わずか70キロメートルしか離れていないのだが、どうも気候もだいぶ違うようだ。ここはダナンよりも夏が早く、太陽も強く思う。
 市場は喧噪のなかである。まず大きな市場の建物が二つ並んでいる。さらにその周りの通りが路上での市場になっている。ダナンにはたくさんの市場があるが、これほど大きなものはダナン中心街の南の外れにある卸売り市場のみだろう。この市場の大きさは人口8万人のタムキーとしては予想以上だった。
 売っているものはダナンと大きな差がある訳ではなさそうだが、家内によると食べる花がより売られており、これは南のカントーに似ていたとのこと。ここで家内は野菜を買い込んでいた。今日の午後の電車でダナンに帰るが、これで今日はダナンの市場に行かないで済む。野菜も肉も果物もふんだんにある。バナナは小売りも卸売りも両方である。
 花売り場もこれほど多くの店があるのを見たことがないというぐらい、多くの店が並んでいた。
 市場をじっくりと見たあと、またシナモン作業所のある通りを戻ってホテルに。

Tam Ky ベトナムの鉄道 タムキーへの旅 (3)母親英雄記念公園

公園遠景
帰りがけに運転手君が機を利かせて、大きな公園の前で車を止めてくれた。ここを見て行けという。
 これは母親英雄記念公園である。大きな広場に巨大なモニュメントが並んでいる。抗仏戦争、ベトナム戦争の女性の英雄たちを記念している。子供を亡くしあるいは戦争の脅威にもめげず戦った女性たちの記念碑という。できたのはまだ2年ほど前ではないだろうか。ベトナムで出会った女性のおばあさんは96歳で子供を二人なくした。フエで生きている唯一人の母親英雄ということだが、十分な給金が出ているという。この記念館もベトナムの歴史を理解するには訪れる価値はあると思う。
ベトナムの英雄ハイバーチュン姉妹
夕飯はモンタンホテルの食堂でとった。昼と一緒で、この大きな食堂をほぼ独占したわけだが、この食堂の料理はまた非常においしい。私は疲れていたのであまり食べられない。二人で前菜に春巻きのフライをとり、それぞれにメインそして最後に焼きめしを頼む。素晴らしくおいしい。

Tam Ky ベトナムの鉄道 タムキーへの旅 (2)Khuong My 遺跡にて

(Khuong My遺跡にて)
 つづいてKhuong My遺跡に向かう。この遺跡はタムキーの南側にある。車で30分近くかかる。街のなかにあり、遺跡の中には入れず、塀の外から見ることになると以前訪れた方のブログに書かれていた。塀の外からでもよいと思っていたが、車の運転手が入り口の方に車を回してくれると入り口のドアが開いている。中に入ると男性が一人おり、入りなさいと手真似してくれる。中に入ると運転手とこの人が話をしてから、追いかけてこられ、「この遺跡のことをお知りになりたければ、ご説明しましょう。」と英語で話しかけてくれた。きれいな英語である。もちろん「お願いします。」と返事をしてそれから彼と一緒に遺跡を回ることができた。
 この人は州政府の遺跡保護の仕事をしている人で、1)このチャム遺跡が9世紀ごろのものであること、チャム国が次第に南に追いやられ、この遺跡が放置されたこと。少数民族のチャム族が今も南にはいるが、この遺跡を作ったチャム族と同じであるかはまだ分からないこと。
2)3塔は、ヒンズーのブラーフマン、ヴィシュヌ、シバの3神が祭られていたと考えられているが、どの塔にどの神が祭られていたかは不明であり、また可能性としては3神を一緒に祭っていたこともあり得ること。
3)この遺跡の煉瓦は非常に耐久性があるが、その組成にはまだ謎があること。単に土だけではなく、何らかの生化学的な物質も入っている可能性もあること。
4)チャム族は今でもここで宗教的な儀式を行うのか、を尋ねると、ここでは行っていないとのこと。(ニャチャンのチャム寺院では今でもチャム族の儀式が行われているようなので、この点は異なる。)
5)建物の中に入り、煉瓦の一部に白くなっている部分がある。これは煉瓦の成分かあるいは地下からの塩分で、これも煉瓦の劣化につながると説明をしてくれた。
 この建物の外壁にはごく一部ではあるが、美しい花模様の彫刻(あるいはタイルか?)が残されている。この建物に多くの彫刻やタイルが美しく施されていたときはどれほどの美しさだったのだろうか。
 今は外壁や屋上の各所に草が生い茂り、中には美しい花を咲かせているものもある。松尾芭蕉の句を思い出すような光景である。
 ゆっくりと時を過ごしたあと、お別れをする。別れ際に彼が「先週、日本人の研究者のグループがこの遺跡を訪れてくれた。とてもうれしい。」と話をしておられた。
 ぜひこの遺跡をしっかりと保存できることを心から祈ってお別れする。

Tam Ky ベトナムの鉄道 タムキーへの旅(1) チャム文化の遺跡 Chien Dan

3月31日
  タムキーの駅に降りて、ここからはホテルまでわずか4百メートルほどなので歩く。駅にはタクシーやバイクタクシーが待っているが降車する人は少ないので、我々にたくさん声がかかる。その声を振り切ってホテルまでゆっくりと10分ほどの道を歩く。
 ホテルはタムキーではもっとも大きなモンタンホテルである。このホテルはベトナムの全国チェーンであり、これまでもディエンビエンフーで泊まったことがある。食事のおいしいホテルだった。
 タムキーのモンタンホテルはとても大きくて新しい。フロントにフアンさんという女性がおり、日本語で迎えてくれた。部屋は大きくて眺めもよい。これで一泊二人で5千円である。タムキーはカンナム省の省都であり人口は8万人ぐらい、大学の同僚のベトナム人が「タムキーには何もないよ」と言っていたぐらいで、外国人観光客の来るような場所ではないらしい。
 家内はディエンビエンフーのモンタンホテルの食事が美味しかったのを覚えており、お昼もここで食べようという。そこでホテルの食堂に行くとお客は我々だけ、広々とした食堂で食事をする。昼食は私はフォー、家内はアヒルのシチュー。両方ともすばらしくうまい。
 ゆっくりとした昼を終えて、2時過ぎから活動を開始する。今日どうしても見たい物はチャムの寺院である。このタムキーには二つのチャム寺院の遺跡がある。タクシーに乗って、この二つの遺跡に行きたいと説明する。運転士はちょっと迷ったものの無事到着、こちらはChien Dan遺跡である。遺跡の入り口には特に扉もない。中にはいると広々した野原のなかにチャム寺院の遺構が立っている。
 管理をしていた人が遺跡の発掘物の管理庫の扉を開けてくれる。中には数は多くないが、寺院を飾っていたであろう彫刻が並んでいる。仏や人物と混ざって多くの動物もある。ライオンなどはあまりに可愛すぎる。
 遺跡は三つの大きな塔から構成されている。三つの大塔の正面には遺構のあとと思われる四角な窪地もある。おそらくはここにも何らかの構築物があったのだろう。
 この遺跡は真ん中の塔が最も大きい。建物の外壁はほとんど剥落しており、中の煉瓦がむき出しである。煉瓦の赤い色が美しい。いずれの建物もヒンズーの寺院の独特の形をしている。中にはいるとここに飾られていた神像はなく、簡単な石が祭壇代わりに置かれている。暗いが、入り口から入る光を反射するものがある。苔である。この苔は何か蛍光材を含むのだろうか。
 ぐるりと3塔の周りを巡る。中学生ぐらいのベトナム人の女の子たちが写真を一緒に撮っている。我々を見て外国人と言っているようだ。
 建物の周囲にはわずかだが、基盤の周りを囲む砂岩の彫刻が残されている。踊る人物たちである。これは美しい。
 周りは緑の林と緑一色の草原である。熱帯の草木に囲まれながら、これらの塔は千年以上の時を経てなお立っていると思うと一種の感慨がある。

ベトナム列車旅行 ダナンからタムキー

3月31日の日記 
 現在はタムキーからダナンへの帰りの列車のなかである。昨日の10時頃の列車でダナンを発ち、初めての列車での旅行を楽しんでいる。この電車はSE4という列車でサイゴンからハノイに向けての列車で、タムキーからダナンのあいだは途中停車はない。この路線は単線なので途中向かいの列車と停車しての交差する。
 ダナンからタムキーは約1時間半の旅である。行きの列車は約20分の遅れ、帰りは15分の遅れだったが、サイゴンからここまで千キロ以上の距離はある。たいしたものである。
待合室の様子
初めての列車旅で大いに緊張したが、いざ乗ってみると非常に快適である。
 それでは行きの旅から思い出しながら書いて見よう。
ホームはレールの高さとあまり変わらない
まずダナン駅に向かった。行きの列車は9時55分発と云うことで遅れないようにと我が家を9時に出た。駅までは車で約20分、9時20分に着く、待合い室に入るには事前にインターネットで購入してあった切符(実際にはA4版の印刷した切符)が必要である。待合い室にはたくさんの席があり、ここで待つ。
 定刻をしばらく過ぎると待合室からホームへの出口が開き、ここでまた切符を見せる。そしてホームへ向かう。
 ホームはかなり低い。線路から20センチメートルしかない。ホームの正面に車両の図がでており、我々の乗る車両は2号車なので、右側に向かう。
 駅のホームに立って驚くのは駅舎の方である。駅舎は長く左右に伸びているが、その駅舎の下は売店がずらりと並んでおり、ベトナム的な商店がたくさん軒を並べる。こんなに物が売れるのだろうか?とびっくりする。
 やがて列車が入って来た。乗降口に車掌がおり、彼にまた切符を見せる。この車両で間違いない。
弁当を売っている
車両に乗り込むとソフトシートの座席でエアコンも効いている。ホッとして座席に座る。なかなか快適である。窓ガラスがやや曇っているのが残念だが、まあそれぐらいの問題だ。
 しばらくすると車掌が来てミネラルウオーターのボトルを配ってくれる。さらに男性が来て何かを聞かれた。分からないので切符を見せると、違う違うと物を食うまねをする。ああ社内の食事の案内らしい。そこで「いらない」と言う。
 しばらく乗るとコーヒー売りのワゴン販売が来る。ここでコーヒーを頼む。本格的なベトナムのミルクコーヒー。とろっとして甘い。これがうまい。
 さらに次の駅になると、さきほどの食事のおじさんがやってきた。大きなワゴンを二人で引っ張っている。食事を注文した人に配っていく。結構なボリュームで、湯気を立てており、うまそうだ。今度は食べてみたい。
 1時間半後に車掌が呼びに来る。次がタムキーだという。外国人なので特別サービスだろう。
 

カントーへの旅(7)ダナンに帰る

(4日目)
 朝5時に起きて川岸を散歩する。市場の様子を見て、カフェに入るか迷ったが止めて部屋に帰り出発の準備、朝食後8時にホテルを出て9時55分飛行機にのり、11時にはもうダナン空港に着いた。昼食後、眠くなり、1時間ほど昼寝をしてそのあと、この日記をまとめて書いている。ここで止めよう。とても楽しいメコンデルタの旅だった。

カントーへの旅(6)セオクイットの森

 カカオ農園から水路沿いを散策して、セオクイットの森に到着する。ここはメコンデルタのベトナム戦争の戦跡であるが、同時にデルタの自然を観察できる場所でもある。
 森の入り口には沢山の小学生の団体が見られた。学校の遠足だろう。入り口から数百メートル先から小道に入る。ここからはベトナム戦争の時にベトナム軍が米国軍の爆撃に耐えながら戦った場所が保存されている。バナナの葉で葺いた簡単な小屋や、一人の小柄なベトナム人しか隠れられないような避難のための穴、そして地下壕などである。ベトナム軍の旧跡以上に目を引くのが水路沿いの自然である。さまざまな熱帯の植物がぎっしりと生えている。今まで見たことのない自然である。この道を長く歩いた後、今度は船でこの水路を巡ることができる。本当の小舟で少し揺れたら水が入りそうだ。これを小柄な女性が器用に操る。途中でお決まりの記念撮影がある。出来上がった写真は誠に上手で値段は35千ドン(百七十円)である。文句はない。
たっぷりと森を楽しんだ後、蓮池のそばでベトナム料理。そのあとはフラワーパークに向かう。ここは花卉農家の集まった場所で多くの鉢物が生産されている。いかんせん暑い。かなり歩いた後、レモンジュースを飲む。うまかった。
 車や食事をしながらオランダ人夫妻との会話も弾んだ。奥さんが注文で指輪などの宝飾品を作っている。旦那はその手伝いをしながら高級住宅建築の資材調達を生業にしている。自由な生活を重んじる魅力的な人たちだった。
 ツアーの最後は米粉で作ったベトナム流のマフィンを野菜で包み食べる軽食だった。もちろん十分に夕食になるのだが、時間が午後4時頃でやや早かった。とても美味しいが、適量で止めておく。そしてホテルまで送って貰う。部屋に帰って窓からの夕暮れをスケッチする。みち江はビンマートで明日に我が家に帰ってからの食材を買うとのこと。
 夕食はビンコムの4階のベトナム鍋にした。これもうまいが野菜がやや足りない。まあでも2回目の夕食のようなものだ。部屋に帰って窓からの夕暮れをスケッチする。これで寝よう。おやすみなさい。

 

2018年4月1日日曜日

カントーへの旅(5)メコン川の水上マーケットとカカオ園

(三日目の記録)
 今朝は4時に起きた。昨日の太陽を浴びすぎたせいか、どうも寝付けず、うとうととしていた。今日は一日ツアーを予約してあり、午前5時にホテルに迎えに来る。ホテルの部屋でお茶を飲み、トイレを済ませて待つ。5時に降りると車が迎えにきていた。今日はあと二人の客があり、合計4人での観光となる。次のホテルに向かい、オランダからの若いご夫妻と一緒になる。
 

最初に訪れたのは、水上マーケットである。メコンではかつて物流は川に頼っていたので、水上マーケットは非常に重要な市場だった。今日訪れたのは卸売りの市場である。大きな船が沢山停泊している。それぞれの船には竹の竿が立っており、その上に何を売っているのかを示す商品が結ばれている。パイナップル船ならパイナップル、タマネギならタマネギという訳だ。中には複数の野菜を結んでいるものもある。これはよろづ屋ということになる。
 よく写真に写っている小売の市場はここにはない。ちょっと色彩には乏しいが、十分に面白い。
 卸売市場のそばで食事をするという。そこには小舟が停泊しており、数隻の観光船が集まっている。その小舟で作ったソバを食べるためである。我々の船も小舟にロープを繋ぎ、ソバが出来るのを待つ。ソバは米粉のソバだが、いつものフォーとは少し違う。味はよい。
ソバを食べ終わると次はメコンの運河を回るツアーである。
 メコンは遠くヒマラヤに水源を持ち6つの国を流れ来る川である。中国、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムである。メコンの三角州は広大である。縦横に水路がある。その水路を巡る。半時間ほど川を遡り、やがて支流に入る。ここからが迷路のような水路である。巨大なホテイアオイが水路にあり、川岸には珍しい熱帯の植物が繁茂する。ジャックフルーツの大きな実がなっていたり、カスタードアップルがなっていたり。途中、モンキーブリッジという簡易橋があったりする。
 
よくこんな迷路を走れるものだと妙に感心しながら、やがて船はカカオ園に着く。カカオはチョコレートの原料だが、ここはベトナムでも初めてカカオの栽培に成功した農園であると説明を聞く。カカオの木は大木の陰で実をつけるらしく。ジャックフルーツの樹などと一緒に植えられている。カカオの実は黄色と茶色のものがあるが、質は同じである。カカオのみを収穫すると皮をむいてカカオ豆を取り出し、それを一週間発酵させる。発酵したものの外皮を取り除き、その上で磨り潰するとカカオのケーキ状のものができる。これに圧力を加えて発熱させるとカカオバターとチョコレートに分離できる。
はじめてチョコレートがカカオから出来る過程を理解した。ベトナムのカカオ生産量は多くないだろう。アフリカでのカカオ生産量が世界の需要を満たせないということもよく聞く。将来、ベトナムでのカカオ生産は増加するのだろうか。

カントーへの旅(4) コーヒーショップにて

 ホテルの側まで来ると急にベトナムコーヒーが飲みたくなった。大学でも毎日飲んでいる。ホテルの側の路地の入り口にビーチパラソルを数個並べた簡易なカフェーがあった。ここでミルクコーティーを頼む。13千ドン。これは安い。しかしうまい。
ホテルに2時頃に帰って少し休み、4時頃にホテルのプールに泳ぎに行く。プールサイドの客はほとんどが西洋人である。フランス語を話している人が多い。彼らの休暇の過ごし方は我々とだいぶ違う。プールサイドでのんびりとおしゃべりをしたり、何もせず、のんびりと過ごす。太陽が強いので、小生は日陰のデッキチェアを選び、そこでのんびりとする。
 ハイエクの本を読む。「隷属への道」という本だが、本の半ばを過ぎて大変に面白くなってきた。この本はナチスの台頭のなかで社会主義が全体主義に結びつくことを厳しく指摘した本だが、主語を中国の現体制に置き換えるとすべてそのままの文脈で読めそうである。
 読書に疲れたので、小生もフランス人に倣い、のんびりと空を見上げている。熱帯の雲が美しい。ベトナムに来て2年間を過ごすことになったのが、何とも不思議に思える。ハイエクを読むことになったのもまた不思議である。



 年金生活をして、カントーという来ることも想像していなかった場所に来たことも不思議である。



 授業で学生たちが質問したことを思い出す。僕は先進国と途上国の話をして産業保護のことを話していたが、学生の目から見ると中国とベトナムの話で理解している。なるほどと頷く。そうだ。ベトナムからすればコスト競争力のある国は中国であり、産業保護で考えるのは、対中国のことである。



 などと何の脈絡もないことを考えている。



 



 かなりの紫外線を浴びて体がほてっている。部屋に戻ってのんびりとしているとみち江が帰ってくる。フェリーの話をすると乗ってみたいという。予定通りだ。さっそくタクシーでフェリー乗り場に向かう。1000ドンを払って乗り場で待つ。ほどなくして対岸からのフェリーが到着。沢山のバイクを持った人たちが降りてくる。降船が終わると一斉に乗船が始まる。皆バイクを持っている。乗ると直ぐに船は出る。メコンの船旅である。風が心地よい。対岸までは、ほんの数分である。対岸に着くとこちらはベトナム人の人々の街である。対岸の近代的な街とはまったく違う家々が並んでいる。ただベトナム生活に慣れた我々にはまったく違和感がない。川岸を10分ほど歩き、これ以上いっても何も変わらないと思ったので来た道を戻り、離陸直前のフェリーに飛び乗る。直ぐに出港する。また数分のフェリー。反対の川岸に着くとフェリーの乗り場にホテイアオイが山のように堆積している。風向きのせいだろう。これを飛び越えて船を下りる。



 それからホテルにまた市場の道を歩いて帰った。夕飯はさすがにジェード飯店で食べる。シンガポール本店の味は安心できる。隣の席ではベトナム人の子連れ家族が北京ダックを食べている。他のテーブルでも北京ダックだ。ベトナムが豊かになっていることを実感する。それではお休みなさい。

カントーへの旅(3)ビン・トゥイ・コミュナル・ハウスとメコン河のフェリー

次に訪れたのはビン・トゥイ・コミュナル・ハウスである。街の北にあり先ほどの寺院からは小一時間かかる。ここには小さいが宝石の様な建物がある。ベトナムの伝統的な様式とフランスの様式の調和した建物である。建物内に入ると品の良い老婆が案内をしている。「こんにちは」と行って中に入り、見せて貰う。写真は禁止されている。大変に優れた彫刻で壁や柱が飾られている。あまり美しいので見とれていると先ほどの老婆に「どこから来たのですか。」と訪ねられた。日本からと話をしていると家内が「この建物がNHKで紹介されているのを見たことがあります。」と話す。老婆が喜んで、いつ頃ですかと、話が弾んだ。とても綺麗な英語である。実はこの家はもともとは彼女の一族の家だったのだそうだ。今は国の記念物となっているとのことだ。日本のNHKでの放送のことを聞いて彼女はとても喜んでいた。彼女の英語は本当にきれいで、おそらくは大変に立派な教育を受けたのだろうと思われた。

 コミュナルハウスのあとは都心にもどりセンスシティーショッピングセンターで食事をする。そのあと家内と別れて、私は川岸の公園からホテルまでを歩いてい帰ることにした。家内江はロッテマート(大規模ショッピングセンター)に行くという。私は買い物には興味がない。川岸の公園を歩いているうちに面白いものに気付いた。川岸に変わった形の船が停泊していることに気付いたのだ。よく見るとこれが小型のフェリーである。対岸を結ぶフェリー乗り場だったのだ。
このフェリーはなかなか面白い。両側に一隻ずつが止まっており、客を乗せると同時に反対側に向かって出港する。川の反対まで10分ぐらいだろうか。ゆっくりと移動する。そして対岸に着くと乗客が一斉に降りる。そして次の乗客が乗り、また出港する。運行の頻度は非常に高い。どうも10分おきぐらいに出ている。乗り場に値段表が掛かっている。片道1000ドン(5円)である。乗りたくなったが、待てよと考えた。折角ならみち江と乗りたい。こういう面白い経験は夫婦でするのが良い。そこで乗船は後にすることにした。
 ベトナム語では、フェリーターミナル(Ben pha Xom Chai)である。
 暑いが我慢のできない気温ではない。フェリーの乗り場からはHai Ba Trung通りで野菜市場が始まる。道の両側に沢山の店が並んでいる。ここはどうも卸売市場も兼ねているようだ。沢山の大根やパイナップルなど、大きな袋に詰めて売られている。この市場は延々と続く。ようやく抜けてQuang Trung橋の下を潜り、これを更にまっすぐ進むとXuan Khanh市場に着く。ここは朝に見ている。