2018年4月8日日曜日

Tam Ky ベトナムの鉄道 タムキーへの旅 (2)Khuong My 遺跡にて

(Khuong My遺跡にて)
 つづいてKhuong My遺跡に向かう。この遺跡はタムキーの南側にある。車で30分近くかかる。街のなかにあり、遺跡の中には入れず、塀の外から見ることになると以前訪れた方のブログに書かれていた。塀の外からでもよいと思っていたが、車の運転手が入り口の方に車を回してくれると入り口のドアが開いている。中に入ると男性が一人おり、入りなさいと手真似してくれる。中に入ると運転手とこの人が話をしてから、追いかけてこられ、「この遺跡のことをお知りになりたければ、ご説明しましょう。」と英語で話しかけてくれた。きれいな英語である。もちろん「お願いします。」と返事をしてそれから彼と一緒に遺跡を回ることができた。
 この人は州政府の遺跡保護の仕事をしている人で、1)このチャム遺跡が9世紀ごろのものであること、チャム国が次第に南に追いやられ、この遺跡が放置されたこと。少数民族のチャム族が今も南にはいるが、この遺跡を作ったチャム族と同じであるかはまだ分からないこと。
2)3塔は、ヒンズーのブラーフマン、ヴィシュヌ、シバの3神が祭られていたと考えられているが、どの塔にどの神が祭られていたかは不明であり、また可能性としては3神を一緒に祭っていたこともあり得ること。
3)この遺跡の煉瓦は非常に耐久性があるが、その組成にはまだ謎があること。単に土だけではなく、何らかの生化学的な物質も入っている可能性もあること。
4)チャム族は今でもここで宗教的な儀式を行うのか、を尋ねると、ここでは行っていないとのこと。(ニャチャンのチャム寺院では今でもチャム族の儀式が行われているようなので、この点は異なる。)
5)建物の中に入り、煉瓦の一部に白くなっている部分がある。これは煉瓦の成分かあるいは地下からの塩分で、これも煉瓦の劣化につながると説明をしてくれた。
 この建物の外壁にはごく一部ではあるが、美しい花模様の彫刻(あるいはタイルか?)が残されている。この建物に多くの彫刻やタイルが美しく施されていたときはどれほどの美しさだったのだろうか。
 今は外壁や屋上の各所に草が生い茂り、中には美しい花を咲かせているものもある。松尾芭蕉の句を思い出すような光景である。
 ゆっくりと時を過ごしたあと、お別れをする。別れ際に彼が「先週、日本人の研究者のグループがこの遺跡を訪れてくれた。とてもうれしい。」と話をしておられた。
 ぜひこの遺跡をしっかりと保存できることを心から祈ってお別れする。

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