2017年11月17日金曜日

ベトナムの経済研究

 ベトナムの経済大学が連携している若い研究者のシンポジウムがあった。共通テーマは「経済発展と第4次産業革命」ということだった。
 私は主として金融セッションのところに出席させてもらった。まあまあ面白い発表もあったが、似たような発表が多いのはいつもの通りである。実はベトナムの経済研究の発表にはやや最近飽きている。なぜかということを考えて見た。
 まず第一はアプローチがほとんど同じようだ。同じようなデータに基づいて同じような分析をするので皆同じような結論になる。あるいは最初から結論が分かっているような研究が多いので、最初から読む気がしないものが多い。
 この原因の一つはベトナムには限られた経済データしかないと言うことがある。限られたデータを元に似たような統計分析をすれば似たような研究しかできない。
 第二は研究の目的がよく分からないものが多い。世界中でやられている研究だからベトナムでもやってみますと言うものが多い。なぜこの研究をやっているのですかと聞きたいようなものが多い。
 もっとも私は典型的な研究者ではないのであまり生意気なことは言えないが。31年間ビジネス界で働き、14年間は大学の運営に全力を注いだこともあって研究らしい研究はできなかった。かといって別に研究に実利がなければないという訳ではない。知的な興味を感じる研究は大好きである。ただその研究者のユニークな視点が欲しいがそれが感じられない研究が多い。
 第3は自分自身の発想による理論的な考察や地味な実地調査があまりないように思う。そして部屋の中でできる決まりきった数値分析に移る。だから人の心を打たない。自らの個性のある発想は研究者には大事なことだろうと思う。ベトナムではおそらく研究者として残るのは大変なことなのだろう。そのなかで自分の自由な発想でのびのびと研究する余裕はないのかもしれない。限られた時間のなかで海外のジャーナルに論文を発表せねばならない。
 またベトナムの政治体制の影響もあるのかもしれない。ベトナムでは政府の存在感が格段に高い。企業も国営企業が多い。民間の自由な活動は制限されることが多い。それだけに経済の問題点を考えるとどうしても国の直接批判になってしまう可能性が高い。だから自由に考える、あるいは書くのは難しいと言う面はあるだろう。
 翻って我が国のことを考えてしまう。最近は研究者の雇用期間が実に短くなってしまっている。論文をどんどんと書かないと研究者としての地位は守れない。我々の研究者にはもっと自由に自分の発想を大事にして欲しいものだ。あまり欧米の大学ランキングを気にせず長い目で研究者を育てる方が賢いのかもしれない。
 

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