昨日はダナンから約80キロの行程のミーソン遺跡を訪れた。交通手段はタクシー。フイ君という運転手で片言の英語が話せる。この片言だけでもぜんぜん違う。しかも運転はきわめて安全である。前回、ダナンで乗せてもらったことがあり、この人なら安心だといので名刺をもらっておいた。一昨日、相談したら、ミーソン往復なら110万ドンぐらいでしょうと彼が言っていた。私はあまり細かな価格交渉はしない。どうせ違っても数百円の問題である。それよりも彼を信頼してお互いに気持ちよく載せてもらう方がよい。途上国では何でも値切らないといけないと思っている人がいるが、私はそうは思わない。
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博物館外観 |
ミーソンまでは約1時間半以上かかる。ダナンの街が意外に広がっている。その先は田園風景となる。広々とした水田が続く。水牛や牛が悠々と草をはんでいる。次第に山が近づき、森に入るとミーソン遺跡である。
ミーソン遺跡の駐車場でタクシーを降りる。この駐車場に続いてミーソン博物館がある。非常によく出来た展示でチャンパの歴史やミーソン遺跡の歴史がよく分かる。ゆっくりと見たい。
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電気カート |
ミーソン遺跡の駐車場からミーソン遺跡までは2キロの距離があり、以前は歩いていた人もいたように記憶するが、今は電気自動車のカートが動いており、次々とピストン輸送をしている。道路は狭くスピードも出ているので歩くのは危ない。暑い遺跡であるし、歩こうとせず、ここは素直に運んでもらうのがよい。料金は入場料に込みである。運転はかなり荒っぽいので物を飛ばされないように注意せねばならない。私も帽子が飛ばされそうで慌てた。
やがてミーソン遺跡側のカート降車場に着く。
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ミーソン遺跡の配置図 |
ミーソン遺跡の一体は森を切り開いて明るい疎林のなかに遺跡全体を回れる通路がある。順路に従ってHグループの遺跡から回る。
(注:ミーソンの歴史については、World Heritages in Vietnamという本を参考にした。筆者はよく分からないが、発行者はThe Gioi Publishersとあり、奥付からはTran Doan Lam氏ではないかと思う。)
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川の流れ |
ミーソンは8世紀から15世紀までベトナムの南部を治めていたチャンパ国の聖地として栄えた。ミーソンに行くとChua Mountainという特徴的な山がある。神々しい姿の山である。遠くからも直ぐに分かる特徴のある山である。この山は海からも見えるようで航海の目標ともなったようだ。以前住んでいたダナンの中心に建つアズラからも見えていた記憶がある。
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E遺跡 |
ミーソンの建設は古くは4世紀から始まっていたようだが、本格的な建設は8世紀から始まり、多くの建物が10世紀に建てられている。
ミーソン遺跡の建物はAからHまでのグループに分けられており、それぞれに複数ないし単数の建物からなる。それぞれの建物には番号が付されており、アルファベットと番号の組み合わせが建物の番号となっている。それぞれのグループの1は中心となる建物である。
(以下の「のぶなが」さんのウェブサイトに丁寧にそれぞれの建物の配置と写真が添えられている。参考になる。
http://www.abaxjp.com/vietnam201-myson/vietnam201-myson.html)
さて8世紀の前半はE1スタイル、9世紀の前半はHoa Laiスタイルと呼ばれる。そして9世紀の後半から10世紀の前半はDong Duongスタイル、10世紀はミーソンA1スタイルと呼ばれる。そのあと11世紀はPonagar Style、12世紀、13世紀はBin Dien Style, Muon Styleとなっていく。
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E遺跡 |
ミーソン遺跡には周りを山に囲まれた盆地にあり、遺跡の中を川が流れており、いくつかの橋を渡る。川には里芋と同じような植物が生えている。多くの鳥の声が聞こえる。のどかな空気が流れている。
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F遺跡 |
E遺跡の周りには爆弾の後が3カ所以上ある。これだけ至近距離で爆弾が爆発すれば煉瓦づくりの建物はひとたまりもないだろう。ミーソン遺跡の周りにはこれ以外にもたくさんの爆弾の穴があいている。
E遺跡の建物のうち、この建物は修復が終わっているようだ。非常に綺麗になっている。以前来たときは屋根の下にあったが、その屋根が取り除かれていた。
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G遺跡 |
F遺跡も爆弾が落ちて煉瓦の山のようになっている。多くのチョウが基盤のところに集まっている。彼らが必要とするミネラルがあるのだろうか。
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A遺跡 |
G遺跡は階段をあがったところにあり、建物が直線的に並んでいるがほとんど破壊されている。
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BCD遺跡 |
A遺跡はゆるい登りを上ったところにある。この建物もフランス人研究者による発見時は非常に状態が良かったようだが、爆撃で完全に破壊された。ダナンのチャンパ博物館に当時の記録があったと思う。(これは要確認)。寺のわずかに残った基盤部分を歩いていると野草が花を付けている。「つわものどもがゆめのあと」である。
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BCD遺跡 |
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BCD遺跡 |
川を渡った反対側にBCD遺跡群がある。ここがもっとも建物の数も多い。一部にはかつての彫刻のあとも残る。二つの建物にはレリーフなども保存されている。多くの観光客が写真を撮っている。
最後は駐車場へのシャトルカート乗り場への道だが、途中に売店があり、家内はダナンやホイアンに比べてだいぶ安いと土産物を買い求めていた。売店のよこにジャックフルーツの木があり、実がたくさんなっている。
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BCD遺跡 |
反対側に最後の遺跡であるH遺跡がある。小高い丘の上で登ってみたが、これもほとんどが破壊されており、現在発掘中のようで中には入れない。そのまま降りた。
シャトルカート乗り場までゆっくりと歩く。団体の外国人観光客が多く歩いており、賑やかだ。カート乗り場でアイスクリームを食べてのんびり。
ミーソンには2年前に一度来ており、そのときは破壊された姿ばかりが目についてあまり楽しめなかった。アンコールワットやボロブドゥールと比べてしまったこともある。今回訪れて、遅々としてはいるが修復が進んでいること、博物館の展示も充実し、電気カートの導入も進んでいることを見て、そして季節があまり暑くなかったこともあり、ゆっくりと過ごせた。歴史の教師だった家内も大いに満足してくれて素晴らしい訪問だった。ベトナム戦争での破壊もまた歴史の一部である。そう思えば、破壊された遺跡にはそれなりの役割があると考えた次第。
駐車場から次の目的地、ホイアンに向かう。