2017年4月23日日曜日

ダナン最大の市場、ダオ・モイ・ホア・クロン市場 (Cho Dau Moi Hoa Curong)


 昨日はダナン最大の伝統的な市場、ダオモイ・ホアクロン市場で買い物をしてきました。ここは卸売りと小売が渾然一体となっています。
ダナンの中心街からはバスで25分、タクシーなら15分ぐらいの距離でしょう。Danabusなら5千ドン(25円)。我々は乗っていませんが、タクシーでは15万ドンぐらいだろうと思います。
都心からは7番と8番のバスが行きますので車掌に市場の名前を言えば下ろしてくれます。
この市場は観光案内には絶対に出ていません。我々もたまたま見つけたのですが、その大きさに圧倒されました。よく観光案内に出ているハン市場の10倍ぐらいはありそうです。
市場は巨大な体育館のような屋内とテントを張った屋外に分かれています。野菜や果物の小売は屋外が多く、魚や肉は屋内、また卸売りも屋内にあります。

 左の写真は屋外の野菜売り場です。こういうテントが延々と続いています。
上の2枚の写真は屋内です。写真からは大きさがよく分かるだろうと思います。数が多いだけにお店も分化しており、それぞれに特色のあるものを売っています。左の写真は豆屋さんです。さまざまな豆を売っているのが分かると思います。
家内はこの豆で家に帰ってからお汁粉を作ってくれました。とてもおいしかったです。
右は家内がナスを選んでいるところ。

カボチャや芋の専業売り場もありますし、  圧巻は野菜の卸売りです。
右はジャガイモなどの卸の売り場。
最後にうどん売り場でうどんを買いました。これはとてもおいしかったので、別途ご報告します。




2017年4月15日土曜日

ダナンの花(6)シクンシ

ダナンには色々な花があるので、名前の分からない花も沢山あります。これも名前の分からない花の一つ。

日本のウツギと雰囲気は似ていますが、色が紅色と白色で鮮やかです。家の壁際から垂れるように咲いています。

(追伸:名前が分かりました。シクンシというのだそうです。バンコックなど、東南アジアには沢山あるそうです。)

タイと日本の花写真図鑑に紹介されています。

2017年4月12日水曜日

ダナンの花 (5)デュランタ


デュランタという花のようです。美しい花を沢山付けていました。2017/04/06に撮影しました。


ダナンの花 (4) Orchid Tree

ダナンの花の4つ目はOrchid Treeです。名前を聞くとなるほどと思います。2017年3月に撮影しました。この時期が満開でした。

2017年4月9日日曜日

ミーケビーチで海水浴

1.50年ぶりの海水浴
 午後にミーケビーチに出かけた。何年振りだろうか、海で泳ぐのは。50年ぶりだ。海で泳ぐチャンスはほとんどなかったことになる。まあドイツやニューヨーク滞在が長かったのでしょうがない。今日は久しぶりに海水浴をしたので興奮気味である。家から1キロ半のところにビーチがある。時々泳ぎにいけそうだ。

2.パブリックビーチの使い方
 高級ホテルに泊まればプライベートビーチもあるが、折角ダナンにいるので、ぜひパブリックビーチに行ってダナンを楽しんでほしい。そこでビーチの使い方を書いておこう。
 ミーケビーチはダナンの都心からも近い。たとえなノボテルからは6万ドン(3百円)でいけるだろう。私の住む福禄園からは5万ドン強である。よく海外に行くとタクシーにごまかされたという話を聞くが、ダナンに来て一度もそういう記憶がない。安心して乗るとよい。ただし英語は通じないことがあるので、行き先はかならず紙に書いておくとよい。たとえばMy Kheと書いておけば良い。ベトナム語のややっこしい表記記号は忘れよう。
 ミーケビーチは非常に長い海岸だが、通常は写真のような入り口のあるビーチに連れて行ってくれる。ゲートのなかはバイクの駐車場で歩行者はそのまま歩いて入る。浜辺まで行くとパラソルを並べた海の家があるので、そこでデッキチェアを借りると良い。飲み物を一つ注文しよう。デッキチェアは一つ40,000ドン(200円)、飲み物は12,000ドン(60円)で時間制限はないので、好きなだけいればよい。飲み物が来たらまとめて払っておけば余計な現金を持つ必要もなく気が楽だ。
値段表
デッキチェアを確保したら、今度は着替えにいく。シャワーの側に着替えのためのブースがある。ブースの床はよく濡れているので、着替えやすい服で行かないと大変だ。半ズボン、Tシャツ、そしてサンダルでいくのがよい。着替えブースはただである。
シャワー トイレは奥
トイレとシャワーは両方使って2000ドン(10円)である。
 ということで泳ぎに行くときは大金を持って行く必要はない。タクシー代を除いて60,000ドンもあれば十分だ。財布やスマホは持たず、帰りのタクシー代はポケットにでも入れておいて、デッキチェアに置いておけばまあ取られることもない。(訂正:その後の経験で海の家には簡単なセーフティボックスがあることが分かった。使用料は2万ドンぐらいから。ぜひ使ってください。)トイレ代なども払うので、多少細かな金を持っている方がよいだろう。
 帰りにはシャワーを浴びて、濡れないように気を付けながら着替え、砂の付いた足をよく洗って出よう。

3.きれいな砂と水
 海岸の砂は肌理が細かく、しかも小石や貝殻はほとんどないので、浜辺ではサンダルなど履く必要はない。
 海の水はきれいで、小魚が泳いでいるのが見える。波は太平洋の荒波が来るので、結構荒い。泳ぐと言うよりは波の間に浮いているような感じだ。

4.水泳禁止の場所に注意
黄色い旗はOK、赤は禁止
注意しないといけないのは同じ海岸でも泳げる場所が決まっていることだ。海岸に赤い旗が立っている場所では泳いではいけない。黄色の旗が立っていれば泳いで大丈夫。遊泳禁止の場所と泳いでいい場所はブイで区切られているので直ぐ分かる。以前シドニーを訪れた時に、赤い旗を無視して泳いだ韓国の高校生が二人溺死したという話を聞いたことがある。規制には意味があるのである。
 あまり沖に出るとこれも危ないので、黄色に塗ったライフガードが沖で監視している。規則は守って泳ごう。

2017年4月7日金曜日

ミーソン遺跡を訪れる 

 昨日はダナンから約80キロの行程のミーソン遺跡を訪れた。交通手段はタクシー。フイ君という運転手で片言の英語が話せる。この片言だけでもぜんぜん違う。しかも運転はきわめて安全である。前回、ダナンで乗せてもらったことがあり、この人なら安心だといので名刺をもらっておいた。一昨日、相談したら、ミーソン往復なら110万ドンぐらいでしょうと彼が言っていた。私はあまり細かな価格交渉はしない。どうせ違っても数百円の問題である。それよりも彼を信頼してお互いに気持ちよく載せてもらう方がよい。途上国では何でも値切らないといけないと思っている人がいるが、私はそうは思わない。

博物館外観
ミーソンまでは約1時間半以上かかる。ダナンの街が意外に広がっている。その先は田園風景となる。広々とした水田が続く。水牛や牛が悠々と草をはんでいる。次第に山が近づき、森に入るとミーソン遺跡である。
ミーソン遺跡の駐車場でタクシーを降りる。この駐車場に続いてミーソン博物館がある。非常によく出来た展示でチャンパの歴史やミーソン遺跡の歴史がよく分かる。ゆっくりと見たい。
電気カート
ミーソン遺跡の駐車場からミーソン遺跡までは2キロの距離があり、以前は歩いていた人もいたように記憶するが、今は電気自動車のカートが動いており、次々とピストン輸送をしている。道路は狭くスピードも出ているので歩くのは危ない。暑い遺跡であるし、歩こうとせず、ここは素直に運んでもらうのがよい。料金は入場料に込みである。運転はかなり荒っぽいので物を飛ばされないように注意せねばならない。私も帽子が飛ばされそうで慌てた。
 やがてミーソン遺跡側のカート降車場に着く。
ミーソン遺跡の配置図
ミーソン遺跡の一体は森を切り開いて明るい疎林のなかに遺跡全体を回れる通路がある。順路に従ってHグループの遺跡から回る。
 (注:ミーソンの歴史については、World Heritages in Vietnamという本を参考にした。筆者はよく分からないが、発行者はThe Gioi Publishersとあり、奥付からはTran Doan Lam氏ではないかと思う。)
川の流れ
ミーソンは8世紀から15世紀までベトナムの南部を治めていたチャンパ国の聖地として栄えた。ミーソンに行くとChua Mountainという特徴的な山がある。神々しい姿の山である。遠くからも直ぐに分かる特徴のある山である。この山は海からも見えるようで航海の目標ともなったようだ。以前住んでいたダナンの中心に建つアズラからも見えていた記憶がある。
E遺跡
ミーソンの建設は古くは4世紀から始まっていたようだが、本格的な建設は8世紀から始まり、多くの建物が10世紀に建てられている。
 ミーソン遺跡の建物はAからHまでのグループに分けられており、それぞれに複数ないし単数の建物からなる。それぞれの建物には番号が付されており、アルファベットと番号の組み合わせが建物の番号となっている。それぞれのグループの1は中心となる建物である。
 (以下の「のぶなが」さんのウェブサイトに丁寧にそれぞれの建物の配置と写真が添えられている。参考になる。
http://www.abaxjp.com/vietnam201-myson/vietnam201-myson.html)
 さて8世紀の前半はE1スタイル、9世紀の前半はHoa Laiスタイルと呼ばれる。そして9世紀の後半から10世紀の前半はDong Duongスタイル、10世紀はミーソンA1スタイルと呼ばれる。そのあと11世紀はPonagar Style、12世紀、13世紀はBin Dien Style, Muon Styleとなっていく。
E遺跡
ミーソン遺跡には周りを山に囲まれた盆地にあり、遺跡の中を川が流れており、いくつかの橋を渡る。川には里芋と同じような植物が生えている。多くの鳥の声が聞こえる。のどかな空気が流れている。
F遺跡
E遺跡の周りには爆弾の後が3カ所以上ある。これだけ至近距離で爆弾が爆発すれば煉瓦づくりの建物はひとたまりもないだろう。ミーソン遺跡の周りにはこれ以外にもたくさんの爆弾の穴があいている。
 E遺跡の建物のうち、この建物は修復が終わっているようだ。非常に綺麗になっている。以前来たときは屋根の下にあったが、その屋根が取り除かれていた。
G遺跡
F遺跡も爆弾が落ちて煉瓦の山のようになっている。多くのチョウが基盤のところに集まっている。彼らが必要とするミネラルがあるのだろうか。
A遺跡
G遺跡は階段をあがったところにあり、建物が直線的に並んでいるがほとんど破壊されている。
BCD遺跡
A遺跡はゆるい登りを上ったところにある。この建物もフランス人研究者による発見時は非常に状態が良かったようだが、爆撃で完全に破壊された。ダナンのチャンパ博物館に当時の記録があったと思う。(これは要確認)。寺のわずかに残った基盤部分を歩いていると野草が花を付けている。「つわものどもがゆめのあと」である。
BCD遺跡
BCD遺跡
川を渡った反対側にBCD遺跡群がある。ここがもっとも建物の数も多い。一部にはかつての彫刻のあとも残る。二つの建物にはレリーフなども保存されている。多くの観光客が写真を撮っている。
 最後は駐車場へのシャトルカート乗り場への道だが、途中に売店があり、家内はダナンやホイアンに比べてだいぶ安いと土産物を買い求めていた。売店のよこにジャックフルーツの木があり、実がたくさんなっている。
BCD遺跡
反対側に最後の遺跡であるH遺跡がある。小高い丘の上で登ってみたが、これもほとんどが破壊されており、現在発掘中のようで中には入れない。そのまま降りた。
 シャトルカート乗り場までゆっくりと歩く。団体の外国人観光客が多く歩いており、賑やかだ。カート乗り場でアイスクリームを食べてのんびり。
 ミーソンには2年前に一度来ており、そのときは破壊された姿ばかりが目についてあまり楽しめなかった。アンコールワットやボロブドゥールと比べてしまったこともある。今回訪れて、遅々としてはいるが修復が進んでいること、博物館の展示も充実し、電気カートの導入も進んでいることを見て、そして季節があまり暑くなかったこともあり、ゆっくりと過ごせた。歴史の教師だった家内も大いに満足してくれて素晴らしい訪問だった。ベトナム戦争での破壊もまた歴史の一部である。そう思えば、破壊された遺跡にはそれなりの役割があると考えた次第。
 駐車場から次の目的地、ホイアンに向かう。

2017年4月2日日曜日

いなり寿司

我が家の夕飯に、「おいなりさん」
が出ました。レトルトの油揚げとのこと。便利な物があるものです。

バナナとパパイヤ

 ベトナムに住む楽しみは熱帯の果物。
毎日、地場の市場に行っています。バナナとパパイヤこれだけで200円相当。もう堪えられません。

2017年4月1日土曜日

歩道は誰の物か

 今日の午前中10時頃に家内と市場まで歩いた。にぎわいのある地場の
市場で買い物をしようということになり、二人で出かけたわけだ。10時頃の市場はまだ賑やかだ。鳥はかなり売れていたが、豚肉売場ではお姉さんたちがまだ包丁を振り上げてさばいていたし、エビや魚売場のお姉さんたちはまだ売る気満々である。家内が大きなエビを買って15万ドンぐらい払っている。僕は荷物運びをしながら写真を撮っていた。
 市場の帰りに面白いものを見つけた。ゴーグエン通りの工場跡地前の道ばたにリアカーのような車を止めてランの花を売っていた。余りに綺麗なので一つ買った。15万ドンというので10万ドンにと言ったが、迫力のない交渉では応じる気配もない。15万ドンで買ったのだ。まことに綺麗な花である。
 ところがその10メートル先には仏像や福禄の木彫像を売っている。すぐ側の歩道の上にはベトナム風のうどん屋が店を開いている。毎朝6時頃に店を開いて昼過ぎにはいなくなっている。

 ベトナムの人の歩道や道についての考え方はまことに面白い。日本人が歩道や道で商売を営むことはあまりないだろう。ベトナムの人にとっては歩道やひょっとすると道路も私的な空間と感じているようだ。
 それを感じる場所が我が家のそばにある。

1.私的に整備された歩道
(1)これはある立派な家の前の歩道である。歩道に他の歩道と異なり、街路樹を植えるボックスが多めに造ってある。きれいに整備されている。


2.サボテンと植木鉢が並ぶ
(2)自分の家の前の歩道を歩けないようにサボテンの鉢が置いてある。

3.歩道にベンチ



(3)歩道にベンチがおかれて通れない。



4.歩道にビール箱
(4)飲み屋をやっているらしいが、歩道にビールの箱を積み上げて通れない。



 写真はないが、ときどき家の前の道路の上に大きなテントを張って結婚のお祝いの宴会をやっている。また我が家のそばに大きな仏像の木彫をやっている家がある。若い男の子3名ほどがいつも大きな木材を相手に格闘しているのだが、それは家のなかではなく、完全に歩道を占拠して行われている。
 どうも彼らにとっては、道路は公的かつ私的な空間であり、歩道に至っては完全に私的な空間のようだ。そうでなければ、歩道を遮ることもないだろう。
 前期の開発経済学の講義でダナンの観光の将来を話したときに歩道の話をしたことがある。道路を安全にして歩道を歩けるようにすることがダナンへの観光客のリピーターを増やすのに大事だという話をしたのだが、学生たちの反応はあまりはっきりしなかった。
 先日のベトナムニュースに、ホーチミンのある道路で歩道の障害物を除くキャンペーンが始まったとあった。「歩道を歩行者のために」と、歩道の上での飲食店営業を禁止し、また障害となるようなバイクやその他の物を強制的にどけるようにというキャンペーンである。笑い話のようだが、これはかなり抵抗があるだろうと想像できる。
 いずれベトナムの歩道も安全に歩ける日が来るのかもしれないが、相当に先だというのが偽らざる実感である。