2017年6月11日日曜日

ディエン・ビエン・フーの旅 その1

(6月3日の記録)
1.ダナンへの道のり
 ダナンの家を早朝の5時半に出てハノイ行きの7時半発の飛行機に乗った。さすがに朝早い飛行機なので満員と言うことはなかった。ハノイの空港に8時半には付いて国内線でもう一度チェックインする。これはどうもディエンビエンフーとハノイはVASCOという別の飛行機会社で飛ばしているためだ。
 ハノイの国内線ロビーの2階にはバーガーキングがあり、ここが空いていたので大きなバーガーを食べる。しばらくはベトナムの食事になるので、すこし違う物を食べておきたい。ベトナム食は好きだが、さすがに毎日続くとすこし違う物が欲しい。バーガーキングを食べていると、今回一緒に旅するズン君たちがやって来た。ズン君とは15年前から一緒に仕事をした仲である。その間、彼はガンさんという女性と結婚してお子さんも二人。去年は日本にも来てくれた。今回の旅行は彼の奥さんがアレンジしてくれている。ズン君はベトナム人の起業家育成活動をしており、奥さんは少数民族の農産物の品質向上のNPOで働いている。
 11時の飛行機なのでまだかなりの時間がある。ズン君たちはラウンジを使えるようで、僕らも追加の費用を払って僕らも使える様にしてもらう。ラウンジで1時間半ほど時を過ごす。
 時間が来てディエンビエンフー行きの飛行機に乗る。小型のATR72というプロペラ機で翼が機体の上に付いており、エンジンが翼の下にある。だから眺めは良い。

2.ディエンビエンフーに着く
ハノイからのプロペラ機
ディエンビエンフーに飛ぶこと1時間、ディエンビエンフーの飛行場に着く。この飛行場もフランスとの戦争の激戦地である。もともとは日本軍が作った飛行場だと聞いたことがある。戦争というのはおかしなもので、どうしてここに飛行場を作ったのか、その経済性はなどと考えると不思議である。戦争は経済合理性を越えてしまったものだろう。
可愛いターンテーブル
飛行場からホテルまではタクシーで15分くらい。街の第一印象はラオスのビエンチャンのようだと思った。もちろん寺院は全然違うが、どこか街が川沿いに伸びているせいかもしれない。
 途中、小高い丘に長い階段が付いた記念碑が目に入る。かなりの急な階段がある。(あとでズン君の娘のマイアイさんが数えたら295段あったとのこと)。その前を車は回って西に向かう。車の右側には立派な建物が並ぶ。これは美しい通りだ。州政府の建物などとのこと。
 1キロほど走ったところにモンタンホテルがある。この街で一番大きなホテルである。着いたのは午後2時を過ぎていたので、ホテルで昼食をとる。食事のあと部屋で休む。4時頃から出かけますという。日本人的には長い休みを取ることが意外だったが、あとでよく分かった。暑すぎるのだ。日がすこしでも傾くまで外に出るのは無理なのだ。
 
3.戦勝博物館
戦勝博物館
部屋に戻ってのんびりし、4時に出発する。まずは戦勝博物館である。ここにはまずディエンビエンフー全体の戦場にくまなく掘られていたベトナム軍の塹壕とフランスの防衛線が分かるパノラマが置かれた模型があり、ここのスクリーンに戦争の一部始終を英語で説明するビデオが流された。正直音響があまり良くないので言葉はよく聞き取れなかったが、映像とパノラマの矢印が光るので、戦場のなかのどこで何が起こったのかの想像は十分に付く。
戦場の塹壕と防衛線
戦争のあとはベトナム軍に勤務しながら休日にはボランティアでここのガイドをしている女性が展示を案内してくれる。これはガンさんの計らいである。ベトナム語の説明をガンさんが翻訳してくれる。
ベトナムの英雄 ザップ将軍
予め多少の予習はして来たが、展示を聞きながら、フランス軍がベトナム軍が多くの兵器や食料を運べるとは予想せず、空輸による輸送力と重火器の優勢を考えてこのディエンビエンフーを決戦の場所に選んだこと、そしてベトナム軍が不可能と思われた輸送を実行したことが改めて理解できた。105ミリ砲は2.5トンぐらいの重さがある。これを急な山道を人力だけで運ぶ。食料もハノイなどから一人で50キロ運ぶがハノイからの500キロを運ぶ間に運ぶ人の食料になってしまうと計算されていた。ところがベトナム側は、一日茶碗一杯の米しか食べなくても運ぶ。大砲は100人以上の人間が縄で一斉に引いて何センチか進め、そのあとに車止めを差すことで急峻な山を越える。
 さらに兵隊だけではなく、周りの農民などが支援をして、秘密裏のうちに多くの武器や食料をディエンビエンフーに集めていたということだ。
 大変に丁寧な説明でかなり疲れたがディエンビエンフーの歴史をよく学ぶコトが出来た。この博物館の出口で感想を書くように依頼されてみち江と僕は英語で感想を書かせて貰った。

4.戦勝記念碑
戦勝記念碑への階段
博物館の見学を終えて、それからゆっくりと大通りを西に向かって歩く。博物館の前に瀟洒な建物が建っていたが、このときは何だか分からず、ただ通り過ぎる。実はここにも大変な遺跡があったのだが。
戦勝記念碑

 20分ほど歩くと最初に見えた小高い丘の上にある先勝記念碑を見上げる場所までやって来た。長い急な階段が記念碑まで続いている。これは急な階段である。晴天で強い太陽が照っており、34度ぐらいとかなり暑い、汗をかきかき登り切る。娘のマイアインさんは全部で295段あったと話している。戦勝記念碑は兵隊たちが旗を掲げている。おそらく最後のA1ヒルを奪還したときの姿だろうが、あまりに大きいので真下に行くと実は目に入らない。
戦勝記念碑から西を見る
何よりもディエンビエンフーの景色が素晴らしい。多くのベトナム人も登りに来ている。日も傾いて風も気持ちよい、記念碑の西側の駐車場からタクシーに乗ってホテルに向かう。ホテルでは大きな宴会をやっており、演歌のような歌がよく聞こえる。
鶏の丸焼き

5.夕食の鳥料理
旨いソバ
今夜の夕食はタクシーで出かけた鳥料理の店である。店頭に数羽の鳥の丸焼きがおかれており、その肉とソバを食べるうまい。大満足で、疲れているせいか、9時過ぎには寝てしまった。

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