2018年8月19日日曜日

ブオンマトット (4)

 象のあとは一旦、ブオンマタットに戻り、それからドゥレイヌア滝に向かう。これも相当に遠い道のりだった。ドゥレイヌア滝は南に下ったところだが、途中の道は結構厳しいものがある。途中からまた林の様子が変わって、両側はほとんどカシューの木になった。見渡す限りのカシューである。
 ベトナムの舗装道路は一般にメンテがよいが、このあたりはさすがに道路の傷みもあり、車は時々、道の穴を避けて大きく蛇行して走る。
 ようやく目的地の滝の入り口に到着した。そこから5分ほど歩くと目指す滝になる。15メートルほどの道を降りると柱状節理がごつごつとした足場のところから滝を間近に見る。なかなか歩き難い。かろうじて写真を撮る。ただこの場所からは中心の滝を見られるが、全体像は分からない。場所を滝の流れに沿って降りていく。すると大きな菩提樹があり、根が崖一面を覆っている。この根の迫力はまるで前衛芸術である。
 子供たちがこのあたりでは遊んでいる。肌寒いぐらいの気温だが、泳いでいる子もいる。
 だんだんと滝の全体像が見えてくる。左右に広がる非常に大きな一枚の岩である。そこから何条もの滝が落ちる。今は水量が多くないので、滝の数も限られていたが、多いときはこの岩壁全体がなるらしい。岸壁の下はえぐられて、とても深い窪みが滝全体の下に続く。
 滝の前の広場で写真を撮っていると、チン氏がもう少し先に吊り橋があり、そこからの写真がよいという。皆で移動をする。吊り橋からの眺めはたしかによい。全体像を眺め、足下の柱状節理を眺める。若いカップルは二人で写真を撮り合っている。我々もチン氏にシャッターをおしてもらう。このあと橋の上の茶店でコーヒーを飲んで休憩する。
 一服後、コーヒー園の木のなかを歩く。ここはロブスタコーヒーなので大きな葉である。もういっぱい実がなっている。
 コーヒーの次にはカシューの林があった。実の時期は終わっていたが、なかに数本、まだ実を残していたり、樹下に実が落ちている木があった。はじめてカシューがなっているところを見たのは感激である。
美しいゴークエン通り
滝からまた来た長い道を戻る。昨日は高いおみやげ屋に行って参ったが、今日はホテルに戻って欲しいと思っているとホテルの前を素通りしてゴークエン通りの一番奥まで行く。またお土産かと思ったが、実は違った。チン氏はここはエデ族が1945年ごろから住んでいる一帯で、これらのエデ族はコーヒーの栽培で大きな富を成した。この街でももっとも豊かな人々だという。表側は伝統的な長い高床式の住宅があり、その裏側に近代的な住居がある。高床式の住宅は老人が住んでいたが、これを最近はカフェにしたりしている。
エデ族の住居の入り口
大変に美しい通りである。ベトナムの小数民族というと貧困でというイメージがあるが、ブンメトンの小数民族は貧困ということはない。ダナンに帰って大学の先生と話をしたが、ブンメトンの小数民族は豊かだという。ラオスなどと比較するとベトナムの小数民族政策はしっかりとしていると多くの場所を見て思う。
 ということで一日が終わる。

(最終日)
 ブンメトンからハノイの飛行機は早い。朝6時40分にホテルを出て空港に移動する。待合室の外のまどにはチョウがたくさん飛んでいる。昨日見た緑がかった紋白蝶である。空港には2機のジェット機が止まっており、乗客は滑走路を歩いて飛行機まで行く。
 帰りの飛行機からベトナムの高原の景色がよく見えた。深い森、豊かな水量の川、ベトナムは自然豊かな国である。
 ダナンには55分後の定刻に到着。我が家に無事帰り、今回の旅も終わった。

ブオンマトット(3)

(3日目)
 朝起きるとまた雨である。7時に食事をすませて8時半になるとチン氏が迎えに来る。今日はベトナム人二人のペアーと一緒である。英語は話せないようだが、商売をしているのだろうか、奥さんにはしょっちゅう電話が架かってくる。何か旅の間だの3分の1ぐらいは電話していたようだ。
 さて今日はまずYork Don国立公園である。これはブオンマトンの西からカンボジア国境までの広大な国立公園である。野生動物が多く住み、かつては野生の象を捕まえて調教していたという。今も野生の象は生息しており、カンボジアの国境を行き来している。象はパスポートは不要だが、人間は要りますと冗談も出ている。
 公園に向かう道は昨日とだいぶ様相も違う。まず水田がない。あまり農業には向いていないとのことだ。窪地では水田があるが、少し高いところはトウモロコシやサトウキビなどが栽培されている。もう少し上がると見慣れない大きな木が植えられている。コーヒーではない。もっと大きい。チン氏はこれがカシューナッツだという。驚いた。今までカシューナッツはベトナム土産として人にも勧めてきたが、実は僕自身がカシューの木を見たことがなかった。道路の舗装はかなり悪く、所々は減速せねばならない。そして見渡す限りのカシューナッツの林である。
 ベトナムのカシューナッツの生産高は大きい。トップはインドであるが、おそらくベトナムは世界の3位ぐらいではないか。
 人家もほとんど無いような場所をかなりの時間走るとようやくヨクドン国立公園の入り口に着いた。ここはムノン族の村がある。ここを暫く歩く。昨日の村に比べるとやや貧しい感じがある。ただ物乞いのような雰囲気はまったくない。これがベトナムの嬉しいところだ。
 土産物屋は似たようなものを売っている。トイレなどの施設は非常によく整備されている。
 ここからまた車で10分ぐらいのところで橋を渡りヨクドン国立公園のなかに入る。車を止めて降りるともう象が2頭少し先の林のなかで草を食べている。黒い小型のイノシシのような豚も草を食べている。
 我々はこれまでもインドやタイで象に乗っているので、あらかじめ象に乗ることは興味がないと言っておいたので、チン氏は一緒に森の散策をしようと言ってくれる。
 森のなかは大きな木はあるが、とても明るい。チン氏によると住民が時々木を切っていくので、明るいのだという。これは里山である。
 日本の里山に似ているが、何と言っても木の葉の大きさが皆大きいのが違うところだ。木の下には黒い腐葉土も見える。これは冬の気温が低いためだろう。ダナンのような気温の高いところでは落ち葉の分解が早いので黒くなるまえに分解してしまう。ここでは黒い葉が残って腐葉土になるようだ。
 ところどころに大きな土の塊がある。直径が1メートルほど、高さも1メートル近い。これは蟻塚だろうと思って聞いたが、チン氏は違う生物の名前を言う。ただ理解できなかったので、残念ながらここには書けない。
 30分ほど歩いて道に迷うのではないかと心配したが、チン氏は大丈夫と歩いている。やがてそろそろ戻りましょうと戻る。道にはいろいろな花が咲いていることに気付く。途中、チン氏は道ばたの木の葉を取って手で揉み、「ベトナム戦争の時にベトナム兵はこれを怪我の出血止めに使った。」と説明してくれる。
 象のところまで戻ると、ちょうどベトナム人のご夫妻が象に乗って帰ってくるところだった。写真に収める。
 10人ほどの人が集まったところで象への餌やりが始まった。餌は青いバナナとサトウキビである。サトウキビは大好物のようであるが、堅いサトウキビをばりばりと食べていく。近づいて与えるのが怖いほどである。

ブオンマトット(2)

(2日目)
 二日目の朝は雨だった。あとで知ったが、ここは雨期である。朝8時半にあらかじめ頼んであったHappy Tourのチンさんの車が迎えにくる。ベトナム人の家族連れ6人と一緒の観光である。
 最初に向かったのはラク湖のムノン(M'nong)族の村である。ラク湖はベトナムの天然湖としては2番目の大きさであり、元々は火山の火口だったとのこと。ブオンメトットには3つの民族が昔から住んでいた。
 ムオン族の神聖な木が湖畔に立っている。ベトナム人家族はここでたくさんの記念撮影。集落に入るとムオン族の家は高床の奥行きの長い家である。もともとはインドネシアからやってきた人たちだという。この村のなかをゆっくりと歩く。牛や鳥がのんびりと歩いている。ラオスのモン族の村と違って無理な商売などしていないのがよい。それなりの生活レベルがあるようだ。
ムオン族の住居
はじめてアボガドの木を見た。マンゴーと同じようななり方をしている。ただしアボガドはクスノキ科であり、マンゴーとは異なる科に属する。
マンゴーの木
この丸木舟に乗りました
救命具を付けて丸木舟に乗る。これで15分ほど湖を竿で漕いで回る。船頭さんは女性である。立つと揺れるので座ったままであるが、姿勢が年寄りにはきつい。とても静かな湖である。同乗のベトナム人の女性が今回の家族旅行の話や自分の仕事などずっと話をしてくれたのであまり湖の静寂を楽しむことはなかったが。
 このあたりの農作物は低地では水田が多く、年に3度の刈り入れをする。3期作である。また少し高い場所にはトウモロコシ、また山がちの場所にはコーヒーが植えられている。
 帰りに大きな岩のある村に立ち寄った。「愛の岩」と呼ばれているらしい。昔、村の若い男が豊かな家の娘にあこがれた。しかし貧しい青年は女性に会うことができない。そこで男はこの岩に上って毎日女性への思いを岩に話していた。岩はその思いを娘に伝え、男は娘と幸せな結婚ができたという。この大岩に上るのもツアーのなかにあったが、みち江は最初からパス、私は30メートルほど上ってこれは降りてこられないと思ったので止めることにした。二人で下の茶店で飲み物を飲んで、若い人たちが戻ってくるのを待つことにした。残念ながら歳は欺けない。もし上っていたら皆さんに迷惑をかけたことだろう。
  このあたりには多くの教会がある。フランス人牧師たちが入って仏教の強いキン族を避けて、教化の容易な小数民族を中心に広めたのだろう。
 昼はブオンメトットに戻り、皆さんと一緒にベトナム料理を一緒にする。鶏肉、豚肉、カボチャの茎の炒め物、ハムといろいろな野菜たっぷりの鍋である。いずれも旨かった。
 雨がぱらついている中で市の中心にある民族博物館に向かう。ここはネットのガイドには何もないと書いている人もいたが、我々にはとても面白かった。戦争の時の従軍画家の絵のコピー展示も彼らの水彩の書き方が勉強になる。また民族のところでは各民族の生活様式などの展示がよく出来ている。
 特に興味があったのはコーヒーなど農産物の展示がよく出来ていたと思う。
ロブスタコーヒーの実
そこからチュングエン・コーヒー・ヴィレッジに向かう。ここにはロブスタ、アラビカ、チェリー(本来の呼び方は忘れた)の3種類のコーヒーの木が植えられており、チンさんがそれぞれの木の特性を説明してくれた。
 ロブスタは5から6百メートルの高度の場所に適しており、アラビカは8百~1千メートルの高度が適しているので、ダラットではアラビカが植えられている。どちらのコーヒーがよいということは言えない。それをどうブランドするかがコーヒー店の味の秘密だ。チェリーは接ぎ木して他の品種を生産するのに使うという。
 一日の最後にベトナム人家族がおみやげ屋に寄りたいというので、おみやげ屋に寄ったが、普通の店の価格よりも3倍以上高いものが多い。我が家は店の外で待つことにしたが、ベトナム人家族は結構買っていた。我々の方がケチである。
 夕飯はホテルで食べる。これもおいしかった。


2018年8月2日木曜日

ブオンマトット(1)

(6月月初のブオンマトットへの旅行記です)
 一昨日からBuon Ma Thot(ブオンメトット)というDak Lak州の州都に来ている。Dak Lakは現地の言葉でDakが湖、Lakが水ということらしい。もともとは3つの少数民族が住んでいたが、今は40以上の民族が住む。ブオンメトットの人口は34万人、Dak Lak全体では200万人ということだ。ブオンメトットはベトナム中部の高原にある5つの州の経済的な中心都市であり、そのためにダナンからも直行便があるようだ。ダナンからの時間は55分で到着する。

(6月2日)
 空港には事前に頼んでおいたHappy Tourのチン氏が迎えに来てくれた。この日はホテルまでの送りだけだ。
 ダナンを朝7時の飛行機なので朝8時にはもう着いており、ホテルには9時前に到着。アーリーチェックインも出来るが30%増しということで利用料は1500円だけということで早めに部屋に入る。15階の角部屋で眺めがとてもよい。
 天気は今一つでパラパラと雨が降っている。あとで分かったことだが、5月から10月はここは雨期になる。ただし雨期といっても一日中降るようなことはなく、夜や午後に軽い雨が降るようだ。
 気温は23度ぐらい。30度を超えるダナンから来るととても涼しい。ホッとする。ハー先生に前の日にダクラックに行くと言ったら、「涼しくていいですね」と言っていたのを思い出す。
 まずは朝の市場の様子をみようということになった。ホテルのそばの市場に行く。かなり規模が大きい。売っている野菜はダナンとあまり変わらない。特に目に付くのが、ブドウとライチである。とても新鮮なものでこの二つを買う。
 ホテルの隣にCoop Martという大きなスーパーがあるので、次にこれを見る。キッコーマンの醤油は最上段にある。目に付きにくい場所でる。ということはこの街の購買力は高くないのだろう。キユーピーはあったが、家内に言わせると小瓶である。
 この二つを見たあと、部屋に戻り、暫く寝る。朝の5時頃から起きて空港に向かったので眠い。
 目が覚めて古い市街に向かうことにした。Tripadvisorで調べると旧市街には食べ物屋が揃っているようだ。タクシーでHai Ba Trung通りで降りて、しばらく散歩したあと、春巻きの専門店に入る。ここのメニューは揚げ春巻き、生春巻き、そして揚げ春巻き入りのソバの3つである。揚げ春巻きとソバを注文する。いずれもうまい。二人でたっぷり食べて10万ドンである。
 春巻き屋の側に小さな彫刻の店がある。人の良さそうなおやじがやっている。ここで小さな胡椒入れを買う。この店で買ったのが正解であとのどこのおみやげ屋よりも安かった。
 そのあと中央市場を見る。規模は午前に見たものほど大きくない。もっとも朝早くはもっと多くの出店がでているのかもしれない。ここでは生きた鳥をたくさん売っている。
 ホテルに帰り二人で昼寝をする。4時頃まで寝てしまう。4時半から隣の映画館で「ドラえもん」をやっているので見てみようと言うことになった。ベトナムでは映画館に行ったことがない。ドラえもんなら分かるだろうと思った次第である。ドラえもんは吹き替えになっており、大きな劇場に10人ぐらいしか入っていなかった。一人4百円ぐらいだから高いこともあるだろう。他の映画も空いていそうだ。
 この日はホテルのレストランで明日に備えて早く寝る。


ラオス ルアンプラバン(4)

(最後の日)
 最終日は朝ゆっくりとして9時過ぎに歩いて街に散歩に出る。家内の背中の痛みが残っているので無理はしない。ぶらぶらと1キロメートルほど歩いてダラ市場まで来て地元の人が着るスカート刺繍を見る。美しいものが多い。
 そのあとカフェでコーヒーを飲むと通りを挟んだ反対側に「伝統工芸と民族博物館」があることに気付いた。これを見てみようと言うことになった。坂を少し上ったところにある博物館は小さいが居心地のよい場所だった。
 まず驚いたのは展示の説明の完璧な日本語訳を貸してもらえたことだ。ラオスの主な民族分布やそれぞれの民族が持つ装飾文化の見本が美しく展示されている。
 

さらに奥の展示室には「数珠玉」を使った装飾についての展示があった。正確に言うと「種」を使った装飾であるが、日本では数珠玉という方がわかりやすいかもしれない。植物の乾いた種を刺繍のなかに織り込んで美しい装飾を作ることだ。
 ここでは龍谷大学の落合雪野教授が集めたこれらの刺繍が展示されている。龍谷大学と東南アジア研究所の協力で出来たということが書かれており、とても嬉しかった。
  織物を見られるカフェなど、のんびりと過ごした後、ホテルからタクシーを頼み、ハノイ経由ダナンに帰る。





ラオス ルアンプラバン(3)

(3日目)
 家内の腰の調子が悪いこともあり、今日はゆっくりしておこうと言うことで、午前中にブランプラバンの街を車で回るツアーを頼む。これで王宮博物館、4つの寺を回った。王宮博物館は1975年まで王宮として使われていた建物で、今も大事に保存されている。
 特色のあるのは中央の大きな部屋で紅色の壁紙に美しいガラス細工が埋め込まれている。一見幼稚園の壁のようであるが、よく見ると非常に美しい。ガラス細工はラオスの人々である。部屋の説明によればこのガラス細工は当時日本で製造されたガラスとのことである。そういえばタイの王宮のガラスも日本から運ばれたものである。日本のガラスがこのようなところに使われているのは何とも嬉しい限りだ。
 ラオスの政治的な変遷は激しいものがある。中国からの圧力に苦しんだラオス王国はフランスの支援を選択した。しかしそれがラオスの植民地化に結びついていく。ベトナム戦争ではホーチミンルートがラオスのなかを走り、米国からの爆撃を受けることにもなる。
 ルアンプラバンはしかしそんな歴史を忘れさせる平和な静かな街である。もちろん多くの観光客で賑わい、街中がゲストハウスのような街であるが、平和な光に溢れている。
 4つの寺を回った。いずれも今も信仰が生きている寺である。いずれの寺でも本尊の前にひざまづいてお祈りをして思ったのだが、ラオスの大仏は下に座る信者をよく見るように黒い目が目の下を向いていることだ。日本の大仏はいずれも正面をまっすぐに見ており、信者を見ていない。ラオスの仏教は小乗仏教である。これはよく上座仏教と言われる。やはり高い位置に座って我々を見下ろすのが仏さんである。日本は大乗仏教であり、我々と同じ視線で救ってくれると考えていいのだろうか。仏教の本をよく読まねばいけない。
 もう一つ気づいたことがある。それは日本の寺では当たり前の怖い仏さんがないことだ。我々の仏教の理解ではお釈迦さんや他の如来さんを悪魔から守るような四天王などが並んでいるものだが、ここには怖い仏さんはいない。これも面白い相違点である。小乗仏教では地獄や悪魔というものはあるのだろうか?
 午後は家内の腰の養生のためもあり、部屋でゆっくりとしていた。昨日はサロンパスがないかと買いに行ったが、プラスターと説明したら、香港のタイガーバームプラスターが出てきたのでこれを買う。ベトナムにはサロンパスがあるが、ラオスにはない。




ラオス ルアンプラバン(2)

(2日目)
 今朝はSatri Houseで朝食を食べた。久し振りにビュッフェでない朝食だが、気持ちのよいテラスである。朝一番はクーシーの滝である。35キロ離れている。比較的狭い道を村々を抜けながら走る。途中、沿道の草刈りなどを村単位でしているのをみる。
 途中からチークの林が増えてくる。チークの葉は日本の桐の葉に似ている。チークは船や橋、家具など用途はとても広いようだ。明らかに植林と分かる林が続く。
 やがてクーシーの駐車場に到着する。ここから山道を歩く。いかにも熱帯雨林らしい森が広がるなか、一本の渓流が流れている。森の様子は異なるが、まるで奥入瀬の渓谷のようだ。面白いのは渓流のなかに鍾乳洞のなかにある堰のように壁ができていることだ。壁はいかにも泥と石灰が一緒になったようで、水は明るい水色である。これは石灰岩が上流で溶けてそれがこの河の至る所で泥と一緒になって固まったのだろうと想像した。
 このような流れがずっと続いていく。やがて更衣室と書いた立て札が見える。なぜ更衣室と驚いたが、どうやらこの流れの中に出来たプールのような場所で泳ぐ人が着替えるのだと分かった。
 1キロ近く歩いたろうか、やがてこの登りの最後の場所に着いた。これは珍しい眺めである。高い崖の上から大きな滝が幾スジにもなって落ちている。水の落ちる場所には石灰と泥が固まり、屏風のように襞をなしている。一番高い場所まで何メートルあるのだろうか。ちょっと想像がつかない。何枚も写真を撮る。スケッチ帳を持ってこなかったのが悔やまれた。
 滝の脇の木立の広場で数十人の人が集会をしている。最前列には坊さんが並んで人々と向き合っている。周りでは女たちが昼食の用意をしている。どうも地域の集まりのようだ。
 その人々を見ながら歩いているときに事故が起こった。家内が見事に仰向けに転んだのだ。石灰質のどろどろの土に足を滑らせたようだ。しばらく起きあがれない。近くにいたラオス人の青年が飛んで来て、家内の手を取り、引っ張り上げてくれた。そばのベンチに座って休めと言ってくれる。かなりの打撲のようだ。
 しばらく休み、川沿いの道は危ないので、山沿いのアスファルト舗装の道路を歩くことにする。途中、大きな里芋のような葉っぱなどに驚愕する。どの木も大きい。高さも40から50メートルはありそうだ。これはおそらく自然林である。
 やがて駐車場に着く。駐車場の周りの土産物店でみち江は竹細工のかごを買う。この辺りでは盛んに行われているようだ。

 クーシーの滝の駐車場から10分ほど走り、次に水牛の牧場に行く。入り口に5か国語くらいで「アイスクリーム」と書かれている。日本語もあるので驚く。
 中に入っていくとアイルランド人のご夫妻が出迎えてくれる。ラオス人が迎えてくれると思っていたのでびっくりする。話を聞くと彼らはボランティアでこの牧場に来てから2週間ほどだという。
 誤解があるかも知れないが、この牧場はシンガポールに住む英国人が作ったとのことで、水牛の乳からヨーグルトやチーズを作ることを農民に教育する。水牛を6ヶ月単位で農民から借りて120ドルを支払う。その間はこの農場で乳を搾り、また必要なワクチンの投与や健康管理を行う。普通の水牛の死亡率は50%だが、ここでは7%ぐらいとのこと。チーズなどは近隣のホテルに提供してコストがカバー出来る。
 ここでは英語の教育もしている。ボランティアの若い学生と覚しき学生からラオス人が英語を学んでいる。
 昼をホテルで食べた後、今度はメコン河を遡り、パークウー洞窟に向かう。2時間の船旅である。メコン河の水量は乾期というものの豊かで流れも急である。船は行きの登りは川岸の流れの緩やかな場所を選び上っていく。帰りは真ん中の流れの速い場所を選ぶ。
 大きな木が川岸には生えている。ソンサクという木らしい。日本の合歓の木と同じ花を付けているが、木の高さは20メートル、広がりは30メートルはありそうである。誠に巨大な木が並ぶ。遠くには石灰岩の山に特有のとんがり帽子のような形の山が並ぶ。ここの洞窟は小さく、中の仏像も大したものはなかったが、なによりもメコンの眺めがすばらしい。特に洞窟の対岸に立つ山の景観はすばらしく、いずれ我が家で描きたいと写真をたくさん撮っておく。

 メコン河を遡る途中、中国の鉄道建設現場があった。大きな鉄橋をメコン河に掛けている。いわゆる一帯一路であろう。中国の影響力はますます強まるだろう。そしてラオスの苦悩も深いものとなるだろう。とても中国の経済支配が緩いものとは思えない。できれば緩やかなものであって欲しいが。しかし中国は馬鹿なことをする。これらの地域に巨大な投資をして回収する目処などないだろうに。
 帰りは1時間あっという間に帰れた。途中にモン族の村や、ウィスキービレッジを見るかと聞かれたが、二人とも疲れたので断る。
 夕飯はホテルのレストランで済ました。

ラオス ルアンプラバン(1)

(5月29日の日記です。遡って掲載していきます)
 昨日からラオスのルアンプラバンに来ている。昨日の2時頃にホテルに到着した。ダナンよりはだいぶ気温が低い。曇天で時に雨がぱらつくような天気だったこともある。ルアンプラバンは元々はラオスの首都だった街で、歴史的な遺産にも富むようだ。世界文化遺産に登録されている。市内にはたくさんの寺院があり、今朝も寺院の外の道路では青空教室を開いていた。
 昨日は少しメコン河沿いをを歩いていると植物園の事務所があり、人が見に行かないかと説明をしてくれる。この時間から行けるのかと思ったが、4時の船で行って5時半の船で帰れるとのこと。船は片道15分とのことで1時間向こうで時間を過ごせる。船と入場料、それにお茶付きで一人25ドル、ラオスのキップで20万キップである。植物園の入園料としては破格に高い。しかし植物園はぜひ見てみたい。
 ということで街を30分ほど歩いて再び植物園の事務所に行き、そこから船に乗った。とても船着き場とも言えないような乗り場で、泥の上から船に向かってジャンプする。
 メコン河は誠に大きな河である。今は乾期で水量も少ない、多いときはさらに10メートル以上も水位が上昇するとのことだった。それでも河は悠然と流れている。しかも近くで見ると大変に流れも速い。遠くには石灰岩の作る独特の形をした山々が見える。
 植物園はメコン河を15分ほど下ったところにある。入り口は小さな船着き場であり、そこからかなりの傾斜の階段を上る。植物園の建物は伝統様式の建物を模した瀟洒な建物群である。簡単な説明のあと、自由に園内を巡れる。
 事務所の前に巨大なマンゴーの木があった。こんなに大きなマンゴーの木は見たことがない。しかもたくさんの果実を付けている。係りの人に聞くと100年は経っているとのこと。マンゴーの大きな柱の建物をダナンで見たが、なるほどこれぐらい大きな木ならあの柱を取ることもできたろう。
 植物園を回る順路を巡り始めた。メコン河を見渡せるすばらしい風景の展開する道だが、アップダウンがかなり厳しい。15分ほど歩いてギブアップした。我々は健脚だが、この道はかなりきつい。気温も湿度もかなり高いので無理をすると明日以降の日程にも差し支える。ということで園内のカフェに戻り、お茶の試飲させてもらうことにした。
 カフェは大きな椰子の葉を葺いた建物で、中は風がとおり涼しい。ホッとしたところでお茶がサーブされた。一人に3杯ずつの小さなお茶が出てくる。それぞれハイビスカス、マルメロ、レモングラスの冷茶である。とてもおいしい。マルメロとレモングラスがすばらしい味でこの二つを買った。一袋3万キップ(約400円)である。もう少し飲みたいと思ったので、もう少しくださいというと大きなグラスに並々と出してくれた。これはサービスで無料である。
 5時半の最終の船の乗客は我々だけだった。
 夕飯はManda de Laoで豚のあばらとアヒル肉の照り焼きを食べた。うまいが前菜を含めての値段は一人5千円を越えたので、かなり高いと感じる。