2018年5月27日日曜日

ホイアンの日本橋(水彩画)

 ダナンの近傍にあるホイアンは歴史のある街だ。16世紀頃には日本とも交易があり、日本人街があった。その日本人が建造し、その後は中国人商人などにより維持されてきたのが、「日本橋」である。今はホイアン観光の目玉である。何度となく訪れたので、記憶で良いから描いておこうと描いたのが、この絵である。
 橋のなかには神棚があり、線香が上げられるようにもなっている。
 このホイアンはよく水害に襲われる街だが数百年に亘り維持されてきたことは素晴らしい。

ダナン経済大学(水彩画)

今日は朝に市場で買い物をしたあと、大学に行って研究室からのキャンパスの絵を描いた。ものすごい日差しで12時に家に帰ってご飯のあともいろいろな飲み物を飲んでいるが、顔がまだ火照っている。日の当たっていた右腕が左腕よりもだいぶ赤い。やはりベトナムでは屋外の日向での写生は体によくない。ベトナムの人は強いと再認識した次第だ。
 一昨日、昨日と続けて福禄園の絵を描いたし、これで絵はしばらくお休みしようかという気持ちになっている。ラオスに絵の道具を持って行くか、ちょっと考えている。ルアンプラバンで絵を描きたい気もするが、ちょっとやりすぎではないか。過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もある。
 ダナン大学のナム学長のFBに鳳凰木の写真が載っていた。ちょうど大学のキャンパスで鳳凰木を描いたときだったので、面白いと思った。ベトナムの人に
とっても大事な木なのだ。これは学校には必ず植わっている木だという記述がどこかのホームページにあった。日本の桜と同じだが、これは卒業の方らしい。なるほどという気がする。
 昨日、帰国までの予定をすべて決めたので、いよいよ帰国が近づいたという実感がある。2年間という期間は長いような短いような、不思議である。ただ今の年齢の自分には限度だったと思う。

2018年5月25日金曜日

美しいキングサリ

 私の住んでいる福禄園には多くの花木が植えられている。今はキングサリ(英文ではGolden Shower)の樹が満開になっている。今年はことのほか美しい。サクラのように一斉に開花した。去年はもっとバラバラだったのだが。
 なんとか絵に描こうと戸外で写生をしたが、日陰にもかかわらず日焼けする。それでもこんな花が描



けたのは幸せである。

苦難の一日 5つのつまずき

2018年5月25日
 今日は大変な日だった。盆と正月が期せずしてきたようだ。
 予想外のつまずきが一日に5つもあった。これは記録だ。
まず6月の半ばに予定の関空行きのJETSTARの支払いができないところから始まった。17万円相当の支払なのにこれまでは問題なかったカードが突然払えなくなった。日本のカード会社にも訪ねるとJETSTARからの支払請求がないので分からないという。どうもJETSTARのプログラムにバグがあるようだ。同じ日にベトナム航空の決済はできるのにJETSTARは支払えない。JETSTARのチャットでのヘルプも頼むが結局解決せず。
 気持ち悪いので今日中に解決しようと午後2時の暑いところをJETSTARのオフィスを探して行ったが、どうも住所表示の変更があったようで、タクシーを降りたところから数百メートル歩く。これが第二のつまずきだった。
 三番目のつまずきは、JETSTARのオフィスでもクレジットカードが払えなかったこと。若い女性職員とベテラン女性職員が一生懸命やってくれる。30分以上頑張ってくれたが、結局払えず、現金を持ってきてくれと言う。
 四番目のつまずきは銀行だった。JETSTARでのトラブルは半分は覚悟していたので、数百メートル離れたベトコム銀行まで暑いところを歩いていき、支払の手続きをすると何とパスポート番号が違うという。確かに去年、パスポートの更新をしたが、その届け出まではしていなかった。幸い古いパスポートはダナンの我が家に置いてある。タクシーを見つけて我が家と往復する。たった17万円を下ろすのに何でこんなに苦労するのだろうと車のなかでクヨクヨする。ようやく現金をおろせた。幸い対応をしてくれた係りの女性は実に気持ちのよい女性で腹は立たない。
 また銀行から数百メートルを歩き、JETSTARのオフィスに戻る。既に4時半を回っている。西日の太陽が焼けるように暑い。うれしく34百万ドンを支払う。50万ドン札で70枚だからかなりの厚さである。ようやく払って予約確認書をもらったが、既に5時だった。家内と近くのカフェに入る。ここでパッションフルーツ入りのヤクルトを飲む。これが存外うまい。
 再び元気を出してタクシーで我が家に。タクシーのなかで「何でも起こるな。かえって元気が出る。」などとうそぶいていた。
 世の中そんなに甘いものではない。
 第五のつまずきの決定打はその後に来た。我が家に帰って、家内が料理のために蛇口をひねると水が出ない。家主に電話して技師を送ってもらう。技師が早速飛んで来てチェックしてもらうと、水道会社が水を停めたようだという。
 そう言えば、今朝、よく分からない書類があり、庭師に払ってくれるよう頼んだ。どうもこれが督促状だったようだ。4ヶ月間、水道代を払っていなかったようだ。それではとめられるな。なんと30万ドン(15百円)である。家主は庭師と連絡を取ってくれて、明日の朝解決するという。
 シャワーも浴びられず、「何という一日」と思いながら寝入った。

(後日談)
 翌日の朝に庭師さんが来てくれて支払は済んだので昼までには開通するというので心待ちに待っていたが水道局は来ない。昼に出かけて午後4時に帰ったがまだ通じない。そのうちに庭師佐賀来てくれて「水が出たろう。」と言うので、いや出ていない、というと彼も驚いて、家の外側の水は出ているのに家の中の水が出ない。彼が水道技師を呼んでくれた。水道技師がやって来て、結局2階のポンプをいじって水が出始めたのは5時半過ぎ。ああ、とても嬉しかった!

2018年5月20日日曜日

ベトナムの不思議 機械の修理

5月20日の日記から 
 ベトナムは不思議な国である。昨日、日本からダナンの我が家に帰ってみると2階のクーラーが故障している。3台のうち2台が調子が悪い。実は以前から故障していたが、放っておいたものだ。しかし2台も故障すると暑くていられない。日中の気温は35度、朝でも30度である。湿度は80%。京都は朝の気温が22度ぐらいだったから暑さが全然違う。
 しょうがないので、今朝9時頃に家主さんにメールとSNSのメッセージを入れておいた。「暑くてしょうがないので直して下さい。」と書いておいたわけだ。
 家内といつ直るかな、と話をしていた。まあ今週中に直ればと思っていたわけだ。
 ところが午後3時頃に家主から電話が入り、今、修理人が家の前にいるので、扉をあけてやってくれという。玄関のドアを開けると確かに以前、我が家に修理に来てくれた電気屋さんが立っている。何とも嬉しかった。
 彼は英語はまったく出来ないので、例によって身振り手振りである。彼は2階に上がるなり、自信を持って屋外の屋根の上に付けた室外機に向かう。三菱電機の機械である。まだこちらは半信半疑である。外に出て数分。スイッチを入れろと言う。(もちろん手真似)
 スイッチを入れると「あら不思議、冷たい風が出てくる。」さすが三菱と変に感心する。
 もう一台の方も同じである。自信を持って屋根の外に出て行く。数分経ち、スイッチを入れろと言う。入れて暫く、こちらも冷たい風が出てきた。
 もう涙が出るほど嬉しい。
(注:この気持はベトナムに住んだ人しか分からないでしょう。)

久し振りの京都

 5月11日から一週間ほど京都に戻った。ちょっと日記帳からその記録を書いておこう。

5月11日
 日本時間の19時17分である。驚いたことにジェットスターが定刻に出発した。この調子だと21時前に関空に着きそうだ。あと1時間20分ぐらいである。ジェットスターができたおかげで日本との往復がベトナムエアーに比べてずいぶんと安くなった。
 昨年の10月ぐらいから12月、2月、5月と三回目の往復でさらに6月にも帰らねばならぬ用事もある。合計では馬鹿にならない節約になっている。
 飛行機のなかではずっとメルケルについての「メルケルと右傾化するドイツ」を読んでいた。ドイツで10年間を過ごしたが、僕の知識も1993年頃から空白になっており、面白い。非常に大きな変化が起こっている。ただドイツの理想主義的な傾向は依然として続いており、この点は京都のある大学で教える9月からの英米についての講義でも話ができるかもしれない。

2018/05/14 07:31 月曜日
 日本に金曜日の夜遅くに帰って、今日で三日目になる。土曜日と日曜日はのんびりとして家で絵を描いていた。まあ多少は外を歩いたが。今朝は久し振りに宝ヶ池を朝の五時から散歩した。改めて宝ヶ池の美しさに驚いた。
宝ヶ池の木漏れ日
今日はまず銀行に行って預けてある重要書類の中から健康保険証を取って来なければいけない。古い保険証を保険組合に送らないといけない。期限を過ぎているが、日本にいなかったのでしょうがない。病院に電話をして人間ドックの予約を取ること。夕方は七時から飲み会があるので、その積もりで。

2018/05/18 10:43 金曜日
 京都生活も今日が最後で明日の朝はまたベトナムに旅立つ。この間、国際交流課、国際教育課、三嶋会や農学の縄田先生とお目にかかったり、忙しく動いた。合間に宝ヶ池での2度の写生もできた。宝ヶ池での写生は以前にしていたが、ベトナムで水彩の描き方がだいぶ変わったので、色調も大きく変わった。以前の色調は薄すぎて水彩とも言いにくいものだったように思われる。
宝ヶ池からの比叡山
今日は白石君など国際教育課の連中と昼食会を持つ。その前に明日の出発の最終準備をした。後はもう一度手荷物の確認をすればよい。
 昨日、京都大学の古本市でセザンヌの本を二冊買った。いずれも面白そうな本で、今日はその一冊を読んでいる。父の好きだった画家であるが、父の引用していた一節が早速出てきた。今、読んでいるのは蒸気機関車と印象派の話で始まる。これはなかなか興味のあるテーマである。

2018年5月3日木曜日

ベトナムの自動車産業

 ベトナムの自動車産業について考えることが色々とあり、以下の様なレポートをまとめてみました。もし興味があれば見て下さい。

国際通貨研究所 「幼稚産業保護とベトナムの自動車産業~完成車の輸入関税撤廃を巡る動きと将来~」

ベトナムでの水彩画 ダナン編(2)

ダナンの真ん中を流れるハン川を描きました。後ろに見える山はソンチャ半島です。海からの風でしょうか。雲をかぶっていルコトの多い山です。



ベトナムでの水彩画 ダナン編(1)

 ベトナムにいると色彩に溢れている。しばらくお休みしていた水彩画を描き始めた。最初は地元のダナンから。これは祝日のダナンの生活道路。この道を通って、市場に買い物に出かけています。旗日には沢山の国旗が掲げられて、絵を描くには最高です。

2018年5月1日火曜日

フエへの鉄道旅行(7)寝台列車で寝てみる

 何度も書いたが、ベトナムに来られたことが不思議である。こうやって毎日貴重な経験をできる。みち江と様々な経験をできるのは本当にありがたい。
 5時になって二人でまた食堂に向かう。19時53分の列車に乗る予定で、ダナンに着くのは夜22時半の予定である。食事をしておかねばならない。赤ワインを頼んだが、だんだん調子が悪くなり、食事が出てきた時にはとても食べられるとは思えなかった。
 幸い、肉の他にご飯が付いているので、ご飯だけを食べて肉はほとんどを残し、空芯菜もほとんど手を付けない。どうも胃も疲れて消化できなくなっているようだ。こう言うときは脂っこい物は食べない方がよい。そう思ってお米だけを食べていたらだんだん調子が出てくる。肉と野菜は残したが、ご飯という物が日本人にはいかに大事かを再認識した次第

だ。
 ホテルのチェックインを19時に済ませ、タクシーで200メートル先の駅まで送ってもらって運賃1万ドン(50円、うち20円はチップ)を払う。雨のなかで助かった。
 帰りの列車はベトナム人の20歳ぐらいの娘とその母親と同席になる。母親はずっと横になっていたが、娘はスマホでガンガンとミュージックビデオを見ている。我々は横になって寝てしまう。ベトナムではこんなことを気にしていたらやっていられない。ハイバン峠を越えるころに起きて真っ暗な外を見ていると遠くに漁り火が見え、そして鉄道の鉄砲水などのありそうな要所には赤いランプを持った係員が雨のなかを立っている。鉄道員の魂をみたような気がした。
 ダナンには10時半の定刻に着く。こうして我が2回目の列車旅も無事に終了した。

フエへの鉄道旅行(6)Garden House An Hien

 次はフエの庭園住宅(GARDEN HOUSE)、An Hienを訪れる。これはフン川の対岸にある。おそらくグエン朝時代の高官か豪商の家であろう。一人2万ドンを支払うと見せてもらえる。
 


入り口を入っていくと母屋があり、そこで家主とおぼしき人に支払う。なかにお入りなさいと言われて入る。まずはお祈りをする。他人の家を訪れたら最初にお祈りをするのが礼儀である。お線香をお願いして1万ドンを祭壇の上の木台に置く。品の良いおばあさんがお茶をすすめてくれる。ここで片言で「日本人ですが、ダナンで働いています。ダナン大学の教員です。」と話すと大変に喜んでくれる。「とてもきれいですね。」と誉めると喜んで息子とおぼしき男性に「日本人のダナン大学の教員だよ。」と話している。これ以上のベトナム語はとても無理だが、話せて良かったと思う。
 母屋のなかには中央に大きな祭壇があり、ここにはご先祖の写真が飾られている。左側にも祭壇がある。右側には背の低い大きなテーブルと書台がある。ここで仕事をしたり、昼には昼寝の場所にもなったのだろう。
庭には果樹園があり、大きなジャックフルーツやマンゴーが植えられている。ジャックフルーツにはたくさんの大きな実がなっている。食べるだけでなく子宝に恵まれるようにという願いもあったのかもしれない。
 すぐそばに有名なティエンムー寺院があり、そこに立ち寄ってから帰路に着く。
 ホテルに帰ると1時を回っていた。ぐったりと疲れた。幸い前日にレートチェックアウトの依頼をしておいた。そとに出るのもしんどい。ホテルの昼ですますことにする。僕は豚のバインミーを頼み、家内は鶏肉料理を頼む。食事後、部屋にもどり昼寝。二人ともぐったりと疲れている。少し昼寝をして部屋で寝ている家内を残して私は川沿いのプロムナードに散歩に出たが、雨がひどく退散する。ホテルの落ち着いたロビーでボーっとする。

フエへの鉄道旅行(5)タントアン橋とTu Hien Pagoda

12年前のタントアン橋のスケッチ
9時にタクシーがやってくる。ここからまずタントアン橋に向かう。車で30分近くかかる。この橋には2006年に一人で訪れて絵を描いた。いなかの広々とした田園のなかにあった記憶がある。着いてみるとやはり田園のなかだが、ずい
ぶんと周りの木が大きくなって橋の全体を眺めにくくなったようだ。
 
現在のタントアン橋
すぐそばには小さな博物間も出来ていた。雨のなかであるし、足下も悪かったが、やはり懐かしい。いちど描いた場所は忘れられない。苦労した橋のしたの気組みの描き方なども思い出された。前回の絵と、今回の写真をここに載せておく。周りの木が大きくなっていることが分かるだろう。この前はここでのんびりと座ってスケッチをしたので、意外に正確に描けているなと我ながら感心している。
 この橋を見たあとはアンディンパレスに向かったが、ここは閉まっていた。そこで次の目的地のTu Hien Pagodaに向かう。ここは旅行案内には出ていないが、Ngocさんがとても良いので行きなさいと勧めてくれたところだ。20分ほどフエの街の外れの森のなかにある。
 うっそうとした森のなかの門前に車を止め、なかに入る。雨のなかで道がぬかるむので注意しながら進む。まずは美しい門がみえる。前の西洋人2人はガイド付きの旅なのでその後をついていく。右回りに迂回しながらやがて本堂になる。本堂の周りの雰囲気はたとえようもなく美しい。本堂に靴を脱いで入り、本尊にお祈りをする。ここで小さなお布施をする。
 本堂の裏には回廊があり、そこには観音像や盆栽が飾られている。 本堂の前には大きな金色の鼎がある。寺の奥には墓地があるが、いずれも立派なものでまだ使われていない物もある。おそらく分譲中なのだろう。こんな立派な墓をもてるのは相当に裕福な一家のはずである。
 大きな鐘を吊した鐘楼や池など落ち着いた風情である。雨でなければぜひ写生をしたい場所だ。家に帰ってから絵を描けるように写真を撮っておく。そして一生懸命見ておく。これが大事だ。


フエへの鉄道旅行(4)ル・レジデンス・ホテル ベトナム最高のホテル

  翌朝は6時半に起きると雨である。昨日のうちに雨は分かっていたので歩けるだけ歩いておいた。タクシーを9時に頼んである。
 今回、泊まったのは Le Residence Hotel and Spaというホテルだが、レセプションで昨年、天皇陛下が泊まられたということで驚いた。フエに来られたことは知っていたが、このホテルとは知らなかった。下の写真の左側の最上階に泊まられたとのこと。
 今回、我々も泊まって、このホテルに来られた理由が分かった。これまでのベトナム滞在で(というよりはアジア滞在で)もっとも落ち着いたホテルだった。
 まずは朝食である。川を見渡せる美しいレストランでの朝食である。我々は窓際の席に案内される。これも素晴らしい朝食である。そして驚いたことがある。客はすべて西洋人である。東洋系は我々だけだ。ベトナムの色々なホテルに泊まったが、これだけ金髪の人しかいないホテルも珍しい。一泊2万5千円(朝食付き)はベトナムでは安いとは言わないが、国際レベルの一流ホテルとしては際だって高い訳でもない。おそらく団体客を取っていないことが一つのポイントなのだろう。
 このホテルの設備やサービスにはまったくのところ文句の付けようがなかった。せっかくなので日本人にももっと泊まってもらいたいが。ただ4月のこの時期は日本人には海外旅行をしにくい時期なのかもしれない。







 

フエへの鉄道旅行(3)ガーデンハウスでの食事

 ここからまた歩いて川沿いのプロムナードに戻り、グリーンホテルのカフェで一休み。さらにホーチミンの通った名門高校の前を通り、のんびりとフエの街を散策する。歩いていて気づいたのだが、フエの街はダナンに比べると緑が多く空間が贅沢で、それだけに歩いて回れる範囲が限られる。ダナンであればこれだけ歩けばもう街の主なところを回れるのにと思うが、さっぱり進まない気がする。さすがに疲れたのでタクシーに乗り、ビッグCのショッピングセンターまで行く。ここでいつもの売場探索。これはダナンよりも立派である。商品量も多そうだ。
 時間も5時になって長く歩いたあとで疲れもひどく、早いが夕食をすることにする。英文のフエ旅行案内に出ていたレストランにタクシーで移動する。レストランの名前は、Royal Food Tinh Gia Vienという。川の反対側の宮殿の北東にある。タクシーは細い路地に入り、ほとんど看板もないような民家の前に止まった。ここが目的のレストランである。入り口に大きな大理石が置かれている。中に入ってみると西洋人8名ほどが料理体験をしているようだ。



 それ以外の客はないので、我々は気持ちのよいテラスのテーブルに座り、コース料理を注文する。庭を見ているうちに不思議な気がしてきた。どこかで見た庭である。分かった。これは京都の料理屋の庭である。竹と梅(実際には梅ではないが、梅のように見える熱帯の木)そして池には鯉が泳ぎ、盆栽がテラスの手すりには置かれている。京都の古い料理屋の庭に確かに似ていると家内と話す。
 やがて料理が運ばれてくる。いずれの料理も大変に手の込んだ飾りがある。最初の揚げ餃子は蝋燭の入ったパイナップルに串で刺してあるし、大根やとんがらしで作った鶏の羽に見立てたソーセージ、などなど写真を見ていただければ分かるような飾りである。料理の味もすばらしく来て良かったと二人で納得した。
 そこからホテルに帰り、ゆっくりとバスタブに入ってベッドに。