2017年5月30日火曜日

ベトナムの端午の節句 Tết Đoan ngọ"

今日はベトナムの旧暦の端午の節句です。Doan ngoは日本語の端午だということが分かりました。朝、市場に行くとベトナム流の「ちまき」と「鴨」を買う人でごった返していました。また一つベトナムの習慣を知ることが出来ました。

Today is the special day "Tết Đoan ngọ" in Vietnam. Đoan ngọ is Japanese "tango". So today is Tango-no-sekku of the lunar calendar. We went to the market this morning and found that many shops sold "Bánh ú" and "vịt". "Bánh ú" is just like Japanese "chimaki" and vit is kamo in Japanese. We could learn one more Vietnamese custom today.

Mobifone:インターネット接続パッケージの追加購入

 一週間のうち、三日間は大学に行って仕事をすると決めている。ところが、このところ大学のインターネットが具合が悪く、スマホのテザリングを利用して仕事をしていた。
 ところがあっという間にパッケージの3ギガを使い切ってしまい、これを更新しようとしたが、全然、うまく行かなかった。3ギガを使い切ったところで、Mobifoneからあるメッセージを999に送れと書いてきたのだが「送信失敗」となる。昨夕から取り組んで今朝はまた早くから悪戦苦闘した結果、無事新しい3ギガのパッケージ購入に成功したので、以下に書いておく。またこの次も苦労しそうだから。

1)Mobifoneでは毎月3ギガの自動更新のパッケージを買っていたが、一月の使用料が3GBの限度を超えるとInternet接続が出来なくなってしまり新たなパッケージの購入が必要になる。購入のためのお金は予めMobifoneのカードなりから入金しておかねばいけない。入金の方法は以下にある。
https://vietnam-navi.info/article/mobifone

2)以下のような方法を取った。
・まずMobifoneの以下のページでメッセージセンターの電話馬号を確認し、ダナンは中部ベトナムにあるので、その番号をアプリのmessagingの設定で入力した。
http://wap.mobifone.com.vn/wap/xhtml/services.jsp?n=smsr1

・APN設定は何もいじらず。
https://vietnam-navi.info/article/mobifone

・messagingからSMSで送信する。
 送り先は +999 とする。どうもこのプラスを付けないとダメなようだ。

・本文は Mobifoneの以下を参考にした。これもよく分からない書き方で説明してある。
http://www.mobifone.vn/wps/portal/public/dich-vu/internet-data/internet-data-chi-tiet/mobileinternet

 本文は上のウェブサイトのメッセージの表の4項に当たる、
GH M120
 とした。これは12万ドンの3ギガ限度のパッケージを購入しますという意味である。
 
3)するとスマホに12万ドンのパッケージを購入しました。これから利用出来ますというメッセージがやってきた。

 悪戦苦闘の末の購入で、これで今日の仕事も大学で出来る。




2017年5月22日月曜日

ダラット旅行 その4

干し柿
昨日まででダラットの主な観光はしたので、最終日は街の中心を歩くことにした。まずダラット市場である。ここで色々なおみやげを物色。干し柿も買う。干し柿作りには日本のNPOによる支援が行われたと聞いている。
モダンなカフェ
玄米茶
市場の後は中心街を色々と歩き回ったのだが、なかなかモダンなカフェがある。これが京都の四条にあってもおかしくないという雰囲気のカフェである。ここでカフェや日本茶を飲むが値段も国際価格であるが、サービスも国際水準。日本茶は「玄米茶」と名前が書いてあり、これも驚き。多少甘めが付けてあるが確かに玄米茶だ。世界はどんどん統合されていると感じる。
 カフェのあと街がにぎやかでこれはブッダの誕生を祝うお祭りの行列とのこと。最後に美しい彩色のユースホステルの写真を撮ってホテルに戻る。
 ホテルの前の前庭に柿の木を見つけたのでうれしくなって見ると、まことに巨大な葉である。日本の柿の面積で10倍ぐらいありそうだ。
大きな柿の葉
早めに空港に戻り、モダンな空港で焼きめしを食べる。満足して飛行機に乗り、ダナンに向かう。

ダラット旅行 その3

今日はダラットの郊外を見られるとのこと。朝は早めに起きて気持ちのよい朝食。心配した天気も非常に良くて結局4日間全部晴れた。ベトナムの天気予報はまったく当たらない。
美しいコーヒー畑が拡がる
今朝の第一番は楽しみにしていたコーヒー農園である。まだ一度もコーヒー農園を訪れたことがなかった。訪問したコーヒー農園はダラットの南にある。できたばかりのような山間の道を抜ける。よくできた道で景色も素晴らしい。ただ切り通しの崖がところどころ浸食されているのが気になる。いずれ崖崩れにならないとよいが。途中素晴らしい景色の場所からこれから行くコーヒー農園のある盆地を眺める。この道のりは20キロほどである。
ロブスタコーヒー
到着したコーヒー農園は周りを広大なコーヒーの畑に囲まれており、前の畑にはヒマワリが栽培されている。コーヒーにはアラビカ、ロブスタ、モカがある。コーヒー園の周りのコーヒーはロブスタが主として植えられている。モカも植えてあったが木が小さい。この時期のコーヒーの実は緑色で小さく、秋になると真っ赤になるらしい。さぞきれいだろう。
ジャコウネコが飼われている
ここには麝香猫が飼われている。チキンとキャベツなどを食べさせる時期とコーヒーマメを食べさせる時期が分かれている。コーヒー豆だけでは体力が落ちてしまうとのこと。我々が行ったときはただ寝ているだけである。
 このあたりはキホ族という少数民族が住んでいる。母系社会とのこと。キホ族はコーヒーや花卉、そして野菜の栽培で今は豊かになっているようだ。コーヒー園の売り子さんもキホ族だった。
キホ族の織り子さん
ジャコウネコのチェリーコーヒー
コーヒー園の2階は見晴らしのよいテラスになっており、ここからは盆地の湖を眺めながら色々なコーヒーを飲める。一番高い麝香猫のモカとチェリー、ロブスタは一杯6万ドン、100グラムを買うと40万ドンになる。麝香猫のモカとチェリーを飲んだが、それぞれに香りの高いおいしいコーヒーだった。ベトナム流のドリップで入れてあるのだが、驚いたのはコーヒーの量である。僕がいつも煎れるコーヒーの倍はある。

パパイヤを摘んで大喜び
コーヒー園のあとは米から作る蒸留酒の店を見る。Happy Waterと呼んでいるとのこと。日本酒と同じであろう。これに鹿の角やそれ以外の物を漬け込んで強壮剤としても売っている。家内はこの家の裏で生まれて初めてパパイヤを摘ませて貰って大喜び。イナゴを食べてみないかと勧められ、おっかなびっくり食べるが結構行ける。
 その次は絹糸の工場を見る。桑の葉を食べる蚕が展示されており、繭から絹糸を紡いで、染色をする過程が見学できる。絹はベトナムの特産品である。 
絹から糸を紡ぐ
次はエレファントフォール(象の滝)である。これはダラット最大の滝であり、昼食はこの滝の上の高台にある食堂で食べる。ベトナムらしい炊いたご飯の上に豚肉や野菜が乗っている。いつもの昼食と基本は同じである。昼食後、滝の脇を降りていくが、降りていく道では滝はなかなか見えない。途中に展望台がある。大きな滝であるが、残念ながら滝壺は見えない。
 滝の途中で面白い生物を見た。最初は木の花かと思ったが、木の幹を動いている。どうも蜘蛛らしい。面白い蜘蛛がいるものだ。
 滝壺のそばまで近づいたのだが、水は多いし、滑りそうだ。若ければ自信があるが、万が一にもここで落ちたら後の観光が滅茶苦茶になってしまう。結局、滝壺は見ないで帰ることにした。それでも十分に滝の雰囲気を楽しんだ。
 昼食を滝の落口の脇の店で食べる。ベトナムでは一般的なご飯の上に肉や野菜を載せたものである。日本では丼だが、ここでは平たい皿にご飯を盛り、その上に具材を載せる。実は大学の昼食も同じである。だから抵抗はない。美味しく食べさせて貰う。
リンアン寺院

 このあと象滝の直ぐ側にあるリンアン寺院(Chùa Linh Ẩn)に向かう。ここは新しい本堂のなかに3体の大きなご本尊が飾られている。3体の左右に千手観音が置かれている。極彩色のきれいな仏像である。両側には金色の観音さんが並んでいる。
 外に出ると巨大な布袋さん(だろう)、昔は中に入れたらしいが今は外から見るだけである。ベトナムの人はこういう大きな像が大好きでダナンにも沢山ある。

このあと 花卉栽培の畑も訪ねた。沢山のバラをつくっている。カーネーションもあったが、値段が下がって取るだけ損なので放ってあるとのこと。このあたりは多くの温室がある。ラダットの花は日本にも輸出されているという。イチゴ詰みもできるというのでイチゴ園にも行ってみる。日本と違って小さなイチゴだが、色はきれいだ。両手に一杯詰む。成功している農家が多いようだ。まことに大きな家が建っており、大きな車が止まっている。グローバリゼーションの成果だろう。
バラ畑にて
大きな家
 ツアーはこれで終わりだ。ホテルまで送ってもらい、ゴックさんとドライバーにお礼を言う。とても楽しい盛り沢山なツアーだった。
 かなり疲れた。どこで食べるかも面倒になり、湖沿いにある「Big C」で夕食会を買うことにした。「Big C」は大型のショッピングセンターでタイ資本の会社であり、ベトナム中に大型ショッピングセンターを持っている。ダラットも何と街の中心の湖の岸辺の地下に大きなショッピングセンターを作っている。ここのスーパーで夕食を買って部屋で食べることにした。チキンのフライの弁当と野菜や果物を買って部屋に帰り、うまい夕食を食う。もう堪えられない味。ゆっくりと眠る。


ダラット旅行 その2


クレージーハウス
二日目、いよいよダラット見学の日である。8時半に車が迎えに来るが、のんびりしていたら食事が8時になってしまい大慌てで朝食を済ます。8時半ちょうどにNgocさんというガイドさんが来てくれた。元気の良いガイドさんで2日間一緒に回ってくれたが、大満足である。
 ホテルからまずクレージーハウスに向かう。これは1990年に建て始めて27年以上経つというホテルだが、「世界の10大奇妙な建物」に入っているという。Dang Viet Gaという女性の建築家が自然保護をテーマに建てたというのだが、本当にこれが自然保護に役立つのかはわからない。おとぎ話のような迷路のなかに部屋があると思えばよい。各部屋にはそれぞれにテーマの動物がデザインされている。まだ建築中であり、所々はコンクリートや鉄骨がむき出しである。日本では立ち入り禁止になるだろう。場所によっては歩くのが怖い場所もある。ホテルになっていて泊まれるというが、観光客が無数に建物内を歩いており、とてもプライバシーなんかないだろう。まあ一度見ればよいだろう。
バオダイ帝の別荘
次はバオダイ帝の別荘に行く。バオダイ帝は1945年までベトナムの形式上の王様だった。彼はグエン朝の最後の王様と言うことになる。バオダイは1945年に廃位されてフランスに移った。バオダイには5人の男の子がいたがいずれも結婚せず、グエン朝は途絶えたことになる。
バオダイ帝内部
この別荘は多くの部屋はあるが、装飾はほとんどない。欧州やタイの宮廷に比べるといかにも質素であり、王というもののフランスの傀儡であったことがよく分かる。
教会の中庭
XQ博物館
バオダイ帝の後はダラット市場の北にあるティンラン教会(Nhà thờ Tin Lành)に。ここは孤児たちに教育を授け刺繍で身を立てられるようにしている。ここで刺繍のおみやげをいくつか買う。そのあとXQの博物館(XQ Art House)に。XQはベトナムを代表する刺繍の会社であり、ハノイ、ホーチミンなどに立派な店舗を構えている。その博物館であるが、規模の大きいこと。美しい刺繍が数知れず飾られている。ここでXQの歴史がよく分かる。
愛の谷にて
次は愛の谷である。これはフランス人が作った観光施設とのことであるが、広大な敷地に湖、盆栽ガーデン、迷路など、様々な施設があり、電気自動車で巡ることができる。驚いたのは盆栽ガーデンで、本格的な盆栽が沢山展示されている。熱帯の木の盆栽も十分に形になる。ここから2000メートルを超える山の眺望を楽しむ。
竜の刈り込み
入り口
愛の谷の次は花の庭園(Flower Garden)である。ここは名前のとおりさまざまな花が美しく配置された庭園である。スアン・フオン湖のほとりになる。大きな花のゲートが迎えてくれる。庭園内には竜の姿の刈り込みや、ダラット名物の大きなワインのボトルも置かれており、楽しめる。
ワインファンには!
ベトナム料理のお昼を食べる。家内の希望で焼きそばを食べるが美味しい。
竜で飾られている
昼飯のあとはリンフック寺院(Chùa Linh Phước)を訪れる。これは街の東になる。誠に大きな寺院である。しかもすべてタイル造りで、そのタイルも無数の竜で覆われている。それぞれの竜はとても可愛い顔をしているので、嫌みはない。本殿のなかの神様は仏さんだかよく分からない。これもえらく華やかな色彩である。外に出ると七重の塔がある。その対面には10メートルはあろうかという大きな観音さんがあるが、この観音さんが乾燥した菊の花で出来ていることを知ってなお驚く。出来て3年経つが枯れて落ちないという。
地獄絵
金色の観音さん
さらにその奥にはこれまた5階建て以上の吹き抜けの建物があり、中心に巨大な金色の観音さんがあり、その両側に沢山の金色の観音さんが三十三間堂のように並んでいる。
 もっと驚いたのはこの建物の地下である。これはよく気を付けないと見落としてしまう。ガイドさんが入れという。入っていくとこれが地獄巡りである。地下に延々と迷路があり、通路の両側に地獄の様子が再現されている。なかなか迫真のおどろおどろしい展示である。現代版の地獄草紙と思えば良い。
ダラット駅
駅内部の明かり取りの窓
日本製の機関車
ようやく地獄を抜けて次はダラット駅である。ダラット駅も街の東側にある。フランス統治時代に作られた駅で瀟洒な作りである。建物の正面にはステンドグラスのような色彩の窓があり美しい。建物もよいが、この裏側には鉄道ファンなら見逃せないものがある。日本製の蒸気機関車が保管されている。それ以外に時代を感じさせる客車が沢山線路に置かれている。ダラットの鉄道は当初は80キロメートルあったとのことだが、今は8キロだけが運行されている。観光用になっているが、見る価値のある駅である。
 夜は無性に韓国焼肉が食べたくなって街の中の焼き肉屋に行ったが、これは失敗。後悔した。














大学の国際化 英語での情報の必要性

1. 英語での情報の必要性
 ダナン大学に来て大学の国際化は本当に大事だと思うようになった。ダナン経済大学はとても良い大学だと思うが、外国人教師の受入実績は乏しいようだ。私の場合にはほとんどボランティアで来ているのでよいが、まだまだベトナムの大学では経済的には外国人を雇うのはしんどいだろう。私を直接サポートしてくれる国際部門は英語の出来る人が揃っており、これ以上はできないという位に面倒をみてくれる。ただしその他の部門では英語の出来る人は少ない。そのためのストレスは決して無視できない。
 何よりも大変なのは大学のなかの教務システムがベトナム語で出来ていることだ。英語での情報量は少ない。たとえば教務情報システムはすべてベトナム語である。見よう見まねで覚えて、最近はグーグルの翻訳機能などである程度の理解はできるようになったが、問題が生じた時はどうしようもない。国際部の誰かに頼むのも気が重いがしょうがない。
 
2.京都大学での経験
 京都大学に着任した2004年当時のことを考えると、京都大学も現在のダナン経済大学と同じようなレベルにあったのではないだろうかと改めて思う。2009年に日本への留学生を30万人に増やし英語のみでも卒業できるコースを増やそうというグローバル30が始まった。講義を受け持ってくれる外国人教員にもっと来て貰おうということになり、実施の責任者を任された私も、国際経験豊かなI君とA君という東京銀行時代の友人にグローバル30本部に招へいして色々な改善を図った。そのなかの一つに大学のなかの多くの文書を英訳したことがある。
 これらの文書には大学内のさまざまな勤務規定、出張の規程などをはじめ膨大なものだった。大学のなかだけで済まないものも多かった。健康保険や社会保険、税金、水道やガスの請求書、ゴミの出し方などの外部文書もずいぶんと苦労して集めた。困ったのはクラシスという教務システムが日本語で出来ており、英語でのサービスがなかったことだ。このためクラシスの翻訳を作り、冊子で配って急場をしのいだこともある。クラシスは現在では完全に英語化されている。
 英語での情報発信は国際化の第一歩である。ある会合では全部日本語なので、私が英語での翻訳を挟むように変えたら、会合のあとでグローバル30で雇用された外国人教員から礼を言われたこともある。その人たちの気持が改め分かる。
 今回、自分が海外の大学で教えてみて、外国人教員が日本に来て教えることがいかに大変だったろうかと想像が付くようになった。もちろん2004年当時と今では日本の大学も大きく違っている。京都大学では数百科目の英語での教養科目が提供されている。私が去ったあとも多くの改善が行われているだろう。しかし便利になったとはいえ、まだまだ英語と日本語の情報量の差はある筈だ。地道だが継続的に外国人教員に彼らが感じる問題点を聞き、改善していく努力が必要だろう。 

3.大学ランキング向上のためにも必要
 残念ながら日本の大学のランキングが下がり続けている。私も日本の大学の世界的な評価を上げようとずいぶん努力した積もりだが、そう簡単ではなかった。大学のランキングを引き上げるには多くの地道な努力が必要だ。それはおそらく大学だけの努力ではなく、日本で暮らす外国人の人のための広範なサポートも含まれる。
 今回の海外での教育を通じて考えることは本当に多くある。ぜひ多くの教員の方に海外での研究や教育を経験した貰いたいと思う次第だ。

2017年5月21日日曜日

ダナンの国際花火祭

昨夕はダナンの国際花火祭の第2回目が開催された。第一回目はベトナムとオランダチーム、第2回目の今回は日本チームとスイスチームである。日本チームはTamaya Kitamuraが参加している。30分間、音楽と花火が続くのだが、期待を裏切らない素晴らしい花火だった。やはり日本の大玉は素晴らしい。

2017年5月19日金曜日

ダラット旅行 その1

 5月の初旬にダラットに3泊4日の旅に出ました。そのときの記録です。

第一日
 ダナンを経ってプロペラのジェットでダラットに到着する。飛行機の窓から沢山のビニールハウスが見えている。
ダラットは花や野菜の栽培で有名である。ダラットの飛行場はモダンである。ここからタクシーで20万ドン、約30分の道のり。途中は高速の後、山の中の道を結構なスピードで走る。シートベルトを付けようと思ったが、このタクシーにはシートベルトが付いていない。途上国ではよくあることだ。この山道は美しい松林が延々と続く。ダナンでは見ない美しい林である。
ダラットパレスホテル
 ダラットのホテルは、ダラットで唯一の五つ星ホテルのダラットパレスホテルという。まさに名前にふさわしい立派なホテルだった。ただし宿泊料金はそれほど高くない。
テラスからの眺め
 もし泊まられるなら、テラス付きの部屋をお薦めする。写真は我々の泊まった部屋のテラスから眺めたダラットの中心であるスアン・フオン湖である。ホテルはこの湖を見下ろす高台にあり、湖まで美しい緑のスロープの庭園が広がる。ダラットパレスホテル1922年に建てられた。フランス植民地時代の象徴的な建物のように思える。建設当初には両側にそれぞれ洋館が建っていたようだが、今はない。9ホールのゴルフ場も作られた。このゴルフ場は湖を挟んで反対側に今もあり、現在は18ホールに改装されているという。
大きなアジサイの花
ホテルに着いて一息着くと早速二人で街の探検に出る。ホテルから湖への階段の両側には巨大なアジサイの花が咲き誇っている。日本のあじさいの花の4倍ぐらいの大きさはありそうだ。 
ダラットの北側を見る
 スアン・フォン湖は広々とした周囲5キロぐらいの人口湖である。湖の道路沿いに3百メートルも歩くとダラットの街の中心に出る。ダラットの街は高低差がかなりある街で、中心の広場はちょうど谷の真ん中にあり、広場の両側には花売場や飲食店が広がり、谷の一番奥に当たる場所にCho Da Lat(ダラット市場)がある。
ダラット市場前の広場
乾燥した菊の花
 ダラット市場は手前の建物がフランス人の作った市場であり、その後ろにベトナム人の作った新市場の建物がある。市場はいかにもベトナムの市場であるが、置いてある物はダナンとは多少違う。まず気づいたのはアーティチョークとイチゴである。そして干し柿。どれもこのダラットの特産品である。
ダラット市場の肉売り場
 新市場の一階の肉売場は整然としている。ダナンの市場よりも数段にきれいである。新市場の2階以上は洋服や乾物を売っている。市場を覗くのは面白い。
 広場の入り口にロッテリアがあった。明日からはおそらく沢山のベトナム料理を食べることになるし、ということでお昼はハンバーガーを食べる。そのあと街のなかを歩き回り、カフェなどにも入る。この街にはいったいいくつカフェがあるのだろう。
モダンなカフェ
 明日と明後日はダラットのツアーを頼んである。あまり遅くないうちに休みたい。夕飯はお目当ての店が見つからず、ホテルの裏にあるポストカフェで食べた。これもとてもきれいな洒落た店である。このカフェはダラットパレスホテルの経営のようで、この建物も1920年代の建物らしい。夕飯は、ダラットのワインを飲み、茹でた大きなアーティチョークを食べる。うまい。ホテルに帰り夜景を楽しむ。それはお休みなさい。
テラスからの夜景
 

2017年5月7日日曜日

東アジア生産ネットワークと経済統合

 木村福成氏、大久保敏弘氏などによる慶應義塾大学東アジア研究所叢書の「東アジア生産ネットワークと経済統合」を読み始めている。昨年の5月に発行された本で、今年の初めに帰国した際に持ち帰ったのだが、ようやくゆっくりと読めるようになった。
 今日から4日間、ベトナムの避暑地であるダラットに旅行する。本は持って行かない積もりだったが、この本をもっと読みたくなり、持って行くことにした。
 今は第3章「東アジアの生産ネットワーク」を読んでいる。東アジアが国際金融危機や東北大震災の前後で輸出や輸入の落ち込みを詳細な統計を元に分析している。この章の図3-3が特に興味深い。中国と韓国のASEANとのネットワーク化が特に進展していることが書かれている。現地にいると実感がある。特に韓国企業のネットワーク化が大きく進んでいるように感じる。

慶應義塾出版会の同書紹介ページ
 

2017年5月6日土曜日

長い停電

 今朝は5時頃に起きた。電気をつけようとしたらつかない。停電である。どうもヤバいなと思い、冷蔵庫は開けないで、常温のペットボトルから飲む。いつもの海岸コースを走り、海岸カフェで冷たいコーヒーとお茶を飲み、6キロを走って(一部は歩きだが)帰宅する。7時頃だがまだ停電している。日経を読もうとタブレットのスイッチを入れるとインターネットが通じていない。それはそうだ。無線ランのルーターも止まっている。シャワーを浴びるとちょろちょろしか出ない。ベトナムの水道は供給する水圧が低いので、各家のポンプで汲み上げている。だから電気が止まると家の水道も止まってしまう。
 インターネットは携帯のテーザリングを使ってつなげる。日経を読み、WSJにも目を通していると、家内が洗濯物を抱えて階段を下りてくる。「停電だね。」「今日は長いな。」とあまり驚いた様子もない。たしかにベトナムでこんなことで驚いていたらやっていられない。
 冷蔵庫はできるだけ開けないことにして、買ってあったマンゴーとパッションフルーツ、コーンフレークに冷蔵庫から大急ぎで出したミルクをかけて朝飯。
 トイレの水も流れない。これは玄関脇の池の水を汲んでトイレに置いておき、これを流すことにしよう。「金魚さん、ごめんなさい」と言いながらバケツで水を汲む。まあ深い池なので、多少汲んでも問題はない。我が家はたまたま池があるのでよいが、無ければ大変だ。「こんな時のために池があるのかしら。」と家内。まあそれだけではないだろうが、確かに助かる。
 福禄園の真ん中の公園の向かいの家からは自家発電器らしいガソリンエンジンの音が朝から響いている。
 8時半になっても復旧しない。7時半頃から家の窓は開けっ放しにしている。風が通らないとやっていられない。今の気温は31度。今日は天気もよいし、34度ぐらいまで上がるだろう。
 「熱中症に注意しようね。」と家内と話す。彼女は朝、髪の毛を洗う積もりだったが洗えない。
 さていつ回復するものか。熱中症だろうか、もう意識がボーッとしてきた。
 9時10分、あっ電気が戻った。!!!!

2017年5月5日金曜日

ダナンの花(7)ゴールドチェイン

福禄園では今はゴールドチェインが花盛り。と言っても、南国の木は不思議で一斉に花が咲くのではなく、バラバラと咲くことが多いので、この花も木によって咲く時期がかなりぶれているようです。我が家の前の並木はこの木なのですが、まったく咲いていない木も多くあります。

 左の写真の右の木は咲いていますが、左の木はまったく咲いていません。

2017年5月3日水曜日

ベトナムとタイの貿易

 このところ研究の方では専らベトナムの国際収支などを研究している。まだなかなかアウトプットには結びつかないが、面白くて仕方がない。さてメモ代わりに。
 ベトナムに住んでいるとタイからの製品輸入が多いことに気付く。堀江正人氏の以下のレポートのなかに、タイのASEANにおける工業国としての地位が高まっているという記述があった。自分の実感とも重なる。

堀江正人(2016)「「タイ経済の現状と今後の展望~ 短期的には危機の可能性小だが、中長期的には停滞の懸念もあるタイ経済 ~」、三菱UFJリサーチ&コンサルティング・ウェブサイト、(accessed on May 3, 2017)
http://www.murc.jp/thinktank/economy/analysis/research/report_160530.pdf

堀江氏の記述の一部を以下に引用する。

「2000 年代までは、タイにとって ASEAN 域内最大の輸出相手国はシンガポールであった。シンガポール向け輸出 品目のトップは、2000 年代半ばまではハードディスク関連機器であったが、その後は、石油精製品がトップを占 めている。他方、2000 年代以降になると、シンガポール以外の ASEAN 諸国への輸出が急激に増えている。これは、 AFTA(ASEAN 自由貿易地域)創設に向けた CEPT(共通効果特恵関税)の引下げが 2002 年以降推進されたことを追 い風とするものであった。2002 年以降の ASEAN 域内向け輸出で、特に、マレーシア、インドネシア、ベトナムへ の増加ぶりが目立っている。 マレーシアとインドネシア向けの輸出における最大の品目は自動車部品であり、タイが ASEAN 域内自動車生産 ネットワークのハブとなっていることがうかがえる。他方、ベトナム向け輸出における最大の品目は石油精製品 であり、また、フィリピン向け輸出における最大の品目は乗用車である。こうした状況は、ASEAN の経済統合が 進む中で、工業国としてのタイの位置付けが、域内で不可欠のものとなり、しかも、その存在感がどんどん高まっていることを示すものと言えよう。」(同レポートの15ページ)

同レポートの15~16ページにはタイの対ASEAN貿易についてのグラムが載っており参考になる。これを見るとベトナム向けの輸出は最も高率の伸びを示している。

フエ旅行 その(3)ハイバン峠を越える

 今回のフエ旅行では、そのハイバン峠の峠道を車で通ってみたいと思った。というのは、以前に、第一級のベトナム研究者であるS先生からハイバン峠からみた景色のことを聞いており、絶対に訪れたいと思っていた。
 ハイバン峠はベトナムの南北を分ける峠のようだ。今は日本が支援した峠の下を抜けるトンネルのおかげであっという間にフエ側に出られる。そんな峠があったことすら忘れそうである。
眼下にランコー湾が拡がる
ランコーの街
朝9時半にホテルを出る。1時間半かかってハイバン峠の入り口に差し掛かる。ハイバントンネルへの道から分岐して旧道に入るとすぐに山道になる。少し上ったところにすばらしい景色の広がる場所がある。数台の車やバスが止まっているので、我々の車にも止まってもらい、しばしの休息。美しく雄大な景色である。ハイバントンネルから下がる自動車専用道の大きな橋が川を渡っている。向こう岸から海岸に向かって白い砂浜が続く。川は今は満ち潮らしく、真っ青な水が逆流しているのが分かる。対岸の緑のなかに町が広がる。
貨物列車が通過
しばし景色に見とれていると、100メートルほど道を下ったところの遮断機が下りている。気が付かなかったのだがどうも踏切がある。しばらく待つと貨物列車がやってきた。ベトナムの鉄道では列車の本数はきわめて限られている。これは珍しい。カメラを構える。
ハイバン峠の説明図
再び車に乗り、いよいよハイバン峠に向かう。急峻な斜面に細い2車線の道がうねうねと続く。よくこんな道を造ったものだと思う。箱根の山の道のようだ。この狭い道が南北を結ぶ交通路だったとは驚きである。
 左側は絶壁といってよいほどの斜面である。
ハイバン峠の門 海雲閣と漢字で記されている
生々しい銃撃のあと
こんな道をかなりの時間走るとようやく峠に着いた。驚くほどの人がいる。観光バスや車がかなり止まっており、茶店や土産物屋が数軒店を開いている。我々も運転手の止めた茶店に入り、一服する。道の反対側にかつての見張り台やトーチカもある。そちら側に渡ってみる。見張り台は煉瓦づくり、トーチカはコンクリートである。産業遺産というよりは軍事遺産という方がよいのだろうか。
 いつの時代のものかは分からない。煉瓦の方が古いのだろう。M先生はトーチカは日本軍が造ったものではないかという。なるほどそんな気もする。
 煉瓦づくりの見張り台からはダナンの街がよく見える。モヤがかかっており、ソンチャ半島はあまり見えないのが残念だが、天気だけはしょうがない。日本だったら立ち入り禁止になりそうな危ない場所もあるが、こちらの人は気にもしない。私は高い場所では平衡感覚に自信がないので早めに降りる。足下には色々な花が咲いている。これは撮影。
ソンチャの大木
若い人がトーチカに乗って遊んでいる
もとの茶屋に戻るとM先生がバナナが食べたいという。1本2万ドンという破格の高い値段でバナナを一本買い、彼は車のなかで食べたが、あまい香りが車のなかに漂った。
 そのあと、ソンチャ半島に向かった。樹齢1000年という気を見たかったのだが、場所がはっきりせず、しばらく歩き回ったが、これはまたはということで海岸の海鮮料理屋へ。我々は二度目の店で、前回よりも貝が小さかったがカニは逆に大きかった。ここの店の海鮮は鮮度がよく、運転手も入れて4人は大いに満足する。
 最後は我が家のあるフク・ロク・ビエンの団地に来てもらい、ここで一服し、M先生とはお別れした。
とても楽しい3日間でした。
おいしいハマグリ