2017年10月7日土曜日

「人類と気候の10万年史」(中川毅著)

 一昨日からブルーバックスの「人類と気候の10万年史」という本を読んだ。大変に面白い。以前に訪れたことがある、福井県の三方五湖の一つ、水月湖のことが書かれているので興味を持って読み始めたのだが、どんどんと引き込まれていった。この本の内容については書きたいことが山のようにあるが、思いつくことだけをメモしておく。

・200個のボールのシミュレーション
 著者は第2章で「カオス的遍歴」の一例として、200個のボールのシミュレーションを取り上げている。気候変動の複雑さを理解するのに大変に分かりやすい。一言で言うと気候変動は線形モデルや周期モデルでは予測できない。複雑系は内在的に予測不能の極端な変動を招くことがあるということだが、このコンピューターシミュレーションをやってみたくなった。
 数式は非常に簡単で、若い頃だったら、あっという間にプログラムを組んで変化するボールの色の表示もできたと思うが、この20年以上、プログラムをしていない。正直なところ思い出せない。今やると相当に時間がかかりそうだ。やってみたいが、もう少し時間があるときに試みよう。

・農耕民族と狩猟民族
 特に興味を引かれたのは農耕民族と狩猟民族の生活の比較である。一般に農耕民族が進んでいると我々は考え勝ちであるが、著者は狩猟民族が狩猟を選んだのには気候変動上の理由があったとする。
 1万2千年前に地球は安定した温暖期に入った。それまでは地球は温度が低く、かつ気候変動が激しかった。10年に5年や6年は低温で農作物が安定してできる環境ではなかった。そんな気候下では採集と狩猟による生活の方がずっと合理的だった。その理由が簡潔かつ分かりやすく解説されている。一定の作物を大量に作る農業社会は気温の低下に壊滅的な打撃を受けるが、狩猟採集社会は変動の激しい気候下では多様性に富む森林から様々な食物を採集するので安定しているという理屈である。なるほどと思った。
 ベトナムではいろいろな果物が温室もなく無造作に植えられている。もし採取狩猟社会に戻ったら、この国では日本に比べて食べ物の採取は楽だろうと想像する。もっとも日本でも青森の三内丸山遺跡はエゴマ、ゴボウ、ヒョウタンなども栽培されていたようであるが、まわりに栗、クルミ、トチなどの木が植えられ、基本は狩猟採集社会だったろうと思う。青森のような寒冷地でも狩猟採集により生活できたのだから、南のベトナムでは狩猟採集はより容易だったのだろうか。
 
・カリアコ海盆
 日本では水月湖が世界でもっとも優れた「年縞」の所在地であるが、ベネズエラのカリアコ海盆でも優れた「年縞」が見られ、熱帯中南米の気候変動が分かるという。著者によれば、カリアコ海盆と近い緯度にあるユタカン半島の古典期インカ文明が9世紀頃に滅んだ理由は「熱帯収束帯」による雨が少ない年が続き、人々が移住をせざるを得なかったことがある。
 これを読みながら熱帯の農業のリスクを考えていた。わずか1年の滞在経験だが、ベトナム中部で農業を営むリスクはおそらく寒さではなく、洪水や乾燥だったろうと思われる。熱帯モンスーン地域では雨期の雨が非常に大事だ。ダナンでは4月ごろから9月の半ばまでは非常に雨が少ない。10月から1月頃までの雨が一年中の水のもとになっているようだ。この時期に雨が降らなければ夏には多くの作物が枯れてしまうだろう。
 ベトナムに住んで1年が経ったので、熱帯モンスーンの気候が分かってきたところだ。その経験をもってこの本を読むとなかなか面白い。

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