2017年10月30日月曜日

タイヤ屋の親父と私の初めての会話

 福禄園のそばにタイヤ屋がある。大きなトラックのタイアを取り扱っているが、どうも中古だけを取り扱っているらしい。しょっちゅう大型のトラックが前に止まっており、タイヤを外している。店は古い工場跡地にバラックを建てたような建物である。店は簡単なバラックなので、さびたトタンなどで囲っている。
 このタイヤ屋に3匹の犬がいる。この犬が前の歩道を我々が歩くとワンワンと吠えて出てくる。我々が歩道の上を歩いているとまるで飛びかからんばかりだが、歩道の外の車道を歩く分には歩道からは出てこない。最初は我々も驚いたが、今では慣れて歩道の外の車道を数十センチ離れて歩けば安全と分かって歩いている
 週に二度、三度はこの道を歩いてマーケットに行くので、店の人たちも慣れてきて我々が通ると「ハロー」と声をかけてくるようになった。
 昨日の朝、この道を私が一人で散歩していると店のオーナーとおぼしき男が大きなタイヤを前に馬鹿でかい金槌を持って作業している。こちらの顔を見て、その金槌を持って通りに出てきた。こちらの顔を見るなど、「ハーワーユ」と英語で言う。以下のような会話が続いて。
男:ハーワーユ?
私:ファイン
男:ハーワーユ?
私:ファイン。(どうも話が合わない。)そこでベトナム語で、「私は日本から来た。」
男:ハーワーユ?、ハーワーユ?
私:?
男:(顔をゆがめながら)ハーワーユ?ハーオーワーユ。
私:(あ、分かった。ハウオールドアーユーだったのか。)、アイアム66。(ついでにベトナム語で)私は66歳。(これぐらいは言える)。
男:(満足げに、ベトナム語で)私は50歳だ。
私:(英語で)お前は若い!

ということで我々の会話は終わったが、お互いに会話が出来たことは間違いない。彼の顔は赤銅色に焼けており、なかなか精悍な顔である。そして金槌、何という重さだろう。持っただけで私の右腕はすでに重さで震えている。とてもこれでモノを打つことはできない。さすがに彼は鍛えられている。
 明日からも彼の店の前を通る。これからも挨拶をしよう。もし出来れば彼と記念撮影をしたいものだ。犬よもうあまり吠えるなよ。私はお前の主人の友人なのだ。


2017年10月22日日曜日

ようやく涼しくなってきたダナン

 (先週16日に書いたものです、ちょっと遅れましたが。)
 今日の朝は美しい雨雲の観察出来る朝。夜半には雨が降っていた。昨日から夜寝るときに窓を小開けにして寝ている。窓は高いところにあるからコソドロが入る危険はなさそうだ。特に福禄園は団地の入り口ゲートに監視員が居て一応隔離された環境にあるので安心である。カーテンを開けてしまうと、隣の街灯のために多少明るいが、外気の入ってくる気持ちの良さが眠りの質を高めてくれるようだ。
 朝5時頃に目が覚める。窓からの涼しい風が心地よい。朝の気温は26度ぐらいになっているだろうか。買い置きのバナナを一本食べ、そしてベトナムコーヒーを飲む。そして6時からジョッギング。
 日課にしている3キロメートルぐらいのジョッギングをすると汗びっしょりになるのがダナンである。気温以上に高い湿度が効いているのかもしれない。ダナンの10月はよく雨が降る。有り難いのは夜の間、特に明け方に降るので、雨期という割には日中は曇りや気持ちのよい晴れ間が広がることが多い。 
 8時の朝食まではクーラーは入れないが、さすがにそのころになるとスイッチを入れる。気温もさることながら、湿度が高い。除湿をしないとカビが生えたりするので、クーラーを入れる。
 授業のある日は遅れぬよう大学にはタクシーで通うことが多い。大学まで乗っても4百円であるから安い。帰りは定期券を使って市バスで帰ってくる。ダナンの市バスは20分おきで運行し、その時間もかなり不安定なのでかなりの時間、バス停で待たされることもある。真夏はこれは大変な苦行である。近くの木の陰で太陽から逃げ回っていた。ところが、今はバス停のベンチに座って待てる。太陽が出ていると日焼けはするが我慢はできる。
 授業が引けると家に帰ってのんびりとして4時頃から午後の運動をする。朝のようなジョッギングはできないが、2キロから3キロを歩く。ダナンは海と川に挟まれた街である。海からの風が気持ちよい。日本の秋とはまったく異なる景色である。街路樹はほとんど常緑である。真夏は花が少なかったが、これからは火炎樹やイエローシャワーが花を咲かせていく。
 12月になるとダナンの最低気温は22度ぐらいまで下がる。その時期は太陽はほとんど出ない。毎日、空は雲で閉ざされている。しかも暑さに慣れた体には22度から25度の気温は恐ろしく寒く感じる憂鬱な季節になる。
 その前に10月の涼しさをエンジョイしておこう。

銀行のATMは現金ショップー現金切れも驚かない

 昼にATMで現金を引き出しにいったら、キャッシュカードを家に忘れてきたことを思い出した。家に帰って家内に「現金ショップに行ったのだが、カードを持って行くのを忘れたので帰って来た。」話して、家内に笑われた。でも家内に、「『現金ショップ』って結構言い得てる」と二人でもう一度顔を見合わせて大笑い。
 日本の銀行であればATMに現金を引き出しに行って、現金が下ろせなければ顧客は怒るだろう。ベトナムでは私の住む福禄園脇のビエトコム銀行の支店には2台のATMが置かれている。このATMがくせ者である。一台は古くて画面がよく見えない。しかしそれは日本でもありうる。
 もっと凄まじいのは、現金を下ろしに行くと「ATMに障害があります」あるいは「このATMは現金がありません」と堂々とメッセージが出て下ろせないことが頻繁にある。しかも2台とも動かない。こんなことがあったら、日本であれば銀行は新聞で散々叩かれると思うが、この国では誰も驚かない。こちらの銀行は2時間ほど昼休みがある。昼休みや閉店後であると、「しょうがない」という顔をして皆帰って行く。しかも私が口座を開いているビエトコム銀行はベトナムでもっとも信頼されている4大商業銀行の一つである。よく銀行業界全体が取り付け騒ぎにならないものである。
 そこで私の「現金ショップ」という言葉が無意識に出たのかもしれない。ショップなら品切れはあり得るだろう。ベトナムのATMは現金が切れているときは商店の品切れと一緒である。日本の銀行ではそんなことは許されないだろうが、ベトナムでは銀行もそんなものと庶民は考えているのかもしれない。私も無意識にそう考えて「現金ショップ」になったのかもしれない。

2017年10月21日土曜日

「鳥羽美花、ベトナム・ミクロコスモスの世界」美術展

「鳥羽美花、ベトナム・ミクロコスモスの世界」美術展がダナンのチャム美術館で20日から11月12日までの予定で開催された。
 20日の午後5時半からオープニングセレモニーがあり、家内が着付けを担当したご縁で我々もセレモニーに出席をさせていただいた。家内も張り切って前日には鳥羽さんと打ち合わせ、当日も早い時間に着付けをしていた。
 鳥羽さんは型染めの技法を使い、建仁寺の大きな襖絵などとても立派な作品を手がけておられる。1990年に初めてベトナムを訪問され、それ以来、ベトナムの風物を主題に多くの作品を創出され、すでに5回の美術展をベトナム各地で開催されている。今回は6回目の展覧会だが、APECのダナンでの開催を記念されて当地での開催となった。
 チャム美術館は奥の建物が改装され展示物も増えていたのだが、今回の美術展では改装された会場がいっそう華やいで見えた。
 オープニングセレモニーにはダナンの人民委員会の代表やベトナム美術界の要人も来られており、大変な盛会だった。
 翌日のベトナム語の新聞や英字新聞にもにも鳥羽さんの記事が数多く掲載されており、大きな反響が合ったことが分かる。数多くの作品のなかでホイアンの絵をトップに出している新聞が多かったことだ。ベトナムの人に訴える物があるのだろう。
ベトナム語での記事の一つ
英語での記事の一つ
 APEC開催中にはAPEC参加国の多くの人々がダナンの代表的な美術館であるチャム美術館を訪れるだろう。そしてベトナムの風物を描いた日本人芸術家の作品にも触れてもらえる。有り難い話しである。
 家内の着付け技術のおかげで我々も鳥羽さんと一緒に写真を撮ることができた。こんな機会を作っていただいたプロジューサーのWakayamaさんありがとうございます。

2017年10月18日水曜日

ジャックフルーツの解体

 我が家の庭にはジャックフルーツの木が3本ある。その一本に今年は大きな実が3つも実った。既に二つは食べたのだが、3つ目を一昨日、庭師さんが切ってくれ、「2日ほど置いたら開けて食べて下さい」と言って庭のテーブルに置いていった。
 このところ授業の準備も忙しく、放っておいたら、今朝、彼が来てくれ二人で開けることになった。ジャックフルーツの解体は2度ほどやって、大変なのが分かっていたので、これは助かった。
 とにかく大きな実で長さは60cm以上、重さはなかなか持つのが大変である。これを我が家の二人だけではとても食べられない。おじさんに我が家は6分の1でよいからと話して、彼を何とか説得し、残りは彼に持って行って貰うことにした。
 さてその上で解体に入る。実は大きなテーブルの上に段ボールを敷いて「まな板」の代わりにする。ジャックフルーツの樹液は大変に粘性があり、いちど何かに付くとなかなか落とせない。いつまでもベタベタしている。実からは大変に甘い香りが既に漂っている。
 庭師はまず実を上から3分の1ぐらいで輪切りにする。その上で、今度は小生がその上の部分を半分に縦に切る。そして庭師が真ん中の芯を切り取り、最後は私が手で実を掘り出していく。食べられる実の塊は長さ10センチ位の細長いテープの集合体のなかに埋もれているので、それを探してテープの中から掘り起こすように取っていく。 庭師が上手に切っておいてくれたので、今回はとても掘り出しやすい。前回自分でやったときは死ぬ思いだった。
 そして取り終えた実がサラダ用の深い皿に一杯になる。自分では5つも食べたら、もう腹一杯である。今日の午後は家内の授業があり、一緒に出かけて大学の国際部のベトナム人の皆さんに届けたら、大変に喜んでくれた。
 最後にノウハウを一つ。ジャックフルーツの樹液は大変に粘性が高い。実を切った包丁もアクでドロドロになって始末に負えない。庭師はガソリンで洗えというが、包丁はガソリンで洗いたくない。私の編み出した方法は、1)ハンドソープで一度よく洗う。ただしこれだけではなかなか落ちないので、スプーンでソープと一緒にそぎ落とす。2)残ったアクには沸騰したお湯をかけると嘘のように落ちる。

2017年10月16日月曜日

学生の研究発表

今日は開発経済学の学生発表、ブラジルの経済発展について。発表の仕方と言い、英語といい、感激。なかなかベトナムの学生もやりますな。







ベトナム学生の英語力はかなり上がっています。特に今日のグループのレベルは高かった。日本人学生も大いに頑張って欲しいですね。

終わった後で、学生諸君と記念撮影。よい記念になります。再来週からは毎週、学生諸君の発表が続きます。

学生発表のやり方は以下のページを見て下さい。
開発経済学の学生発表

熱帯モンスーン気候の川の色

ハン川には美しい橋が架かる
ダナンの街はハン川を挟んで東と西に分かれている。東側はソンチャ半島に向かう砂州が長く高くなったような地形で、西側はラオスとの国境までの山までの幅の狭い平野という感じである。
  ハン川は大きな川である。感覚的には大阪淀屋橋付近のようである。そこに観光船が上り下りし、あるいは漁船が錨を休めている。美しい景観である。夜はネオン、観覧車と橋のライトアップが美しい。
乾期のハン川の水は青い
このハン川の水量は雨期と乾期でかなり変化する。雨期と乾期の差は少なくとも3メートルぐらいはあるだろうか。乾期には水が減り川辺の土が見えるが、雨期にはもう少しで水があふれるのではないかと思うように水量が増える。 
 3月から9月頃までの乾期にはハン川の水の色はやや青みががった土色だ。10月以降の雨期になると一晩で100ミリ近い雨が降ることがある。するとハン川の色は濁った土色一色になる。大量の土砂が上流から流されてくるのだ。
 先日、クボタ(株)のウェブサイトを見ていたら、Kubota Urbanという情報誌のページがあり、農業などに関係ある地学などの研究資料を見つけた。この雑誌は今は刊行されていないようだが、そこに東南アジアの地形と気候についていくつかの研究報告があった。そのなかになるほどと納得させられる記事があった。
 「東南アジアの地形・地質ー大陸棚を中心に」という東南アジア研究所におられた高谷好一先生の寄稿であるが、そこに熱帯雨林気候と熱帯モンスーン気候の差が述べられている。
16年11月のハン川、雨期が遅かったが、すでに濁っています
熱帯雨林気候では毎日スコールが降る。毎日少しずつ降るのと木の根が張っているので本来の熱帯雨林は土砂が流れない。葉はたくさん落ちるので腐植はたくさん流れるが、泥の粒子は含まないので熱帯雨林気候の川は澄んでいる。
 熱帯モンスーンでは乾期と雨期がある。これは熱帯収束帯が季節により北上したり、南下するために起こるが、乾期にはほとんど雨が降らず、逆に雨期には大量の雨が降り続く。このため大量の土砂が川に流れ込む。熱帯モンスーン気候では川は土色である。これは大量の土砂が流れ込むためである。
 ハン川の色にも学ぶことがある。また一つ新しいことを学んだ。

2017年10月15日日曜日

ベトナムの教育システム PISAテストの高さ

 ベトナムの教育システムは優れていると言われる。特に2012年からはOECDが国際的に実施するPISAテストに参加しており、その結果はこの国の一人当たり国民所得などに比してとても高い水準にある。
 PISAテストは、科学リタラシー、数学リタラシー、そして読書リタラシーの3分野が主たる比較の対象となっている。ベトナムは2015年のPISAテストで、科学リタラシーで世界8位、数学リタラシーで世界21位、読書リタラシーで30位と高い順位を得ている。
 2015年6月のBBCの記事に「ベトナムの教育水準の驚くべき上昇(Vietnam's 'stunning' rise in school standards)」という実施の当事者である、OECDのアンドレアス・シュライヤー教育・スキル局長の寄稿が掲載されている。同氏はこのなかでベトナムが驚異的なパフォーマンスを上げていること、その要因として、科学や数学での教員の質の高さは素晴らしく、またベトナムは国家予算の20%は教育投資に当てられていることを上げている。私もOECDのウェブサイトで見てみたが、特に印象的なのは、成績レベルの低い子供の割合が低いことである。これは教室での指導がよく行き届いていると見るべきであろう。
http://www.bbc.com/news/business-33047924
 ただシュライヤー氏は、この成果には留意すべき点もあるとする。それはこの統計に含まれていない子供がいることで、15歳の子供たちの37%がまだ学校に通っていない。これらの子供たちはこのテスト結果には含まれていない。この学校に通えない子供たちの数を減らすことが大きな課題と述べている。
 確かに、ベトナム教育訓練省が2014年にまとめた「Education for All 2015 National Review」を見るとこの辺りについての細かなデータが参照できる。このレポートは就学前教育から中学校までの義務教育についての現状をまとめたものである。これによれば2013年の中学生(正確には11歳から15歳までの4年)のグロス就学率は92.51%(2000年80.35%)、またネット就学率は88.04%(2000年70%)だった。(同レポート57ページ)これはシュライヤー氏の挙げた数字よりもかなり改善したことになるが、この数値を引き続き上げる必要がある。(右の図は同レポート26ページのFig 15: Net intake in lower secondary education, bu region 2005-2013である。)
http://unesdoc.unesco.org/images/0023/002327/232770e.pdf
このような未就学の児童は高地などに住む少数民族に多い。2005年頃に京都大学の地球環境学堂がフエで実施しているプロジェクトに連れて行ってもらい、電気の通っていない山奥にある少数民族の村に出かけたが、そこにも新しい学校が建っており、驚いたことがある。この国の教育にかける情熱は本当のものに見える。
 ASEAN各国のPISAテストの高さと経済成長についての分析もある。大和総研の井出和貴子は「ASEANにおける教育の充実と経済成長」(大和総研、2014年6月11日)でASEAN各国のPISAテストと経済成長の可能性について分析し、ASEANの国の中でも教育インフラの不足や貧困にからドロップアウトする児童の問題があり、十分な質の教育が実施されていないと指摘している。井出はGDPに比してPISAテストの結果高いことから労働力の高度化を通じて今後の成長が高いだろうと結論づけている。
http://www.dir.co.jp/research/report/overseas/emg/20140611_008636.pdf
 この国は不思議である。ただ前向きの大きな波のなかにあることは確かだ。 

(参考1)
http://gpseducation.oecd.org/CountryProfile?primaryCountry=VNM&treshold=10&topic=PI
1)科学リテラシーでは、OECD諸国の平均493点と比較して525点となっている。女子は男子よりもパフォーマンスが良く、3点だけ男子を上回っているが、これは統計的には有意でない。(OECD平均は男子で3.5ポイント高い)
2)数学リテラシーでは、ベトナムの平均点は495点であり、OECD諸国の平均は490点である。 女子は男子よりも3点高いが、これは統計的に有意でない(OECDの平均は男子で8点高い)。
3)読書リタラシーの平均パフォーマンスは487点であり、であり、これはOECD諸国の平均493ポイントと比較します。 女子は男子よりも高く、その差は統計的に有意な25点となっている。(OECD平均:女子では27点高い。)

(参考2)
 我が国でPISAテストを担当している国立教育政策研究所のホームページによると、PISAテストとは以下のようなものである。
1)PISAテストは、義務教育修了段階の15歳児の生徒が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを評価。
2)読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野について、2000年以降、3年ごとに調査を実施し、2015年調査では科学的リテラシーを中心分野として重点的に調査
3)72か国・地域から約54万人が参加。我が国では、全国の高等学校、中等教育学校後期課程、高等専門学校の1年生のうち、198校、約6600人が調査に参加(2015年6月から7月に実施)
4)2015年調査において、筆記型調査からコンピュータ使用型調査に移行
http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2015/01_point.pdf

ベトナムでのBBC放送

 ベトナムの一般のインターネット網では英国のBBCを聞くことができない。日本では、英語で講義をしていたこともあり、できるだけBBCのWorld Serviceで英語のニュースを定期的に聞くことにしていた。ベトナムに来て、このニュースが聞けないことが分かった。以前にもそういうことはあったので、改めて驚きはしないが、がっかりした。
 BBCのWorld ServiceのPodcastニュースはBBCのその日のニュースから30分ほどに取りまとめて放送しているもので、世界のいろいろな出来事がバランスよく盛り込まれており、途上国の事情などもよく分かる。これがポッドキャストで配信されている。ところがベトナムでこれを聞こうとすると受信が出来ませんとメッセージが出る。
 ウェブページを見ることはできるのだが、音声はダウンロードできない。おかしな話しである。ウィキペディアなどで調べると、ベトナム政府がBBCに不快感を持っており、音声放送を遮断しているらしい。
 抜け道はある。VNP接続という方法で、あたかもベトナム外にいるようにして受信をできる。ただ一手間増えるのが面倒ではある。
 中華人民共和国ではもっと徹底しており、BBCだけでなく多くのウェブページそのものが遮断されており、ウェブ検索も多くがまったく機能しない。最近はVNPも禁止しているようだ。
 実は昔、北京の清華大学を訪問したときに驚いたことがある。清華大学のキャンパスのなかにインターネットコントロールセンターがあり、中国の東半分をコントロールしていると自慢げに話をしてくれた。中国の大学の科学研究は国策そのものなので、ここで国外との情報遮断の方法も研究していたのだろうと思う。残念ながら中国の大学には「学問の自由」はない。
 最近の中国を見ているとこんなことで将来の成長があるのだろうかと思うことがある。インターネットの情報はすべて国家がコントロールする。そのコストはいかほどになるのだろうか。最近の日経やWSJの記事によれば中国の大手IT企業に無理矢理、国の出資を受け入れさせ、国家が(すなわち共産党が)経営陣に参画することにより、情報を一層コントロールしようとしているという。
 3年ほど前にワシントンDCで講演会をしたときに中国人の学生から中国の将来をどう思うかと聞かれたことがある。私は「インターネットの情報管理などしていれば、将来若い人の創造性を奪うことになる。中国の成長を自ずと制限することになる。中国は『中所得国の罠』から抜け出せない」と答えたことがある。
 ベトナムには中国と同じ道を歩んで欲しくないと願っている。ベトナムは幸い政治的にも中国ほど強くはない。ぜひBBCの放送も自由に聞けるようにしてむしろもっとオープンにしていくことがこの国の将来の成長を約束することになるだろう。

2017年10月11日水曜日

ダナンの雨

 ダナンでは雨期に入っている。今年の10月はよく雨が降る。毎日のように降っているが、特に夜に降る。今日もベッドに入って横になったら、雨の音がする。何とも小気味のよいリズムである。原始の時代から人類はこの音を聞いていたのだろう。洞窟、芦で葺いた小屋で。おや雷鳴まで聞こえてきた。
 この時期の雨は夜、特に明け方に多い。今日は宵の口に降っているが珍しい。
 おやかなりの雨足になってきた。明日の朝には止んでいてほしい。
 日本であればこの時期には冷たい雨なのだろうが、ダナンの雨は暑い雨だ。雨が降ってもこの時期26度をなかなか下回らない。そうは言っても雨の翌朝は涼しい。庭の石畳や下草はびっしょりと濡れている。ソンチャの山には雲が低く垂れ込めているのだろう。
 そんなことを考えながら、次第に眠くなってきた・・・。

メインのPCが遂にダウン

 日本から持ってきていた東芝のdynabookが完全に倒れてしまった。2011年に購入したPCで15インチのスクリーンと1TBの大きなハードディスクが有り難く、7年間というもの、ずいぶんと酷使してきた。OSもWindows7から8、そしてWindows10とアップグレードしてきた。家でのメインPCとして貢献してくれた。 
 この3週間ほどかなりの頻度でダウンしていたので、心配だったが、何とかだましだまし使ってきていた。今日の9時半にもう一度ダウンし、自動修復できませんというメッセージが出た。ハードディスクに問題があるのだろう。何度やっても修復は出来そうにない。いよいよあきらめ時のようだ。
 そろそろかなと心配だったので実は昨年末に日本に帰ったときに新しい15インチスクリーンのdynabookを買ってあったのだが、まだ大丈夫だろうと日本に置いてきてしまった。
 次の帰国は11月の末と決めてある。ダナンには他に2台のdynabookがあるので、画面が多少小さいのを我慢すれば何とかなりそうだ。
 7年も使ったPCは古い友人のようなものである。日本で決められたリサイクルに回してやりたい。このPCをここで捨てていく気がしない。この国ではおそらく再生を試みるだろうし、その限りでは無駄にならないだろうが、ファイルが流出でもしたら大変だ。学生の個人ファイルは消してあるが、どんなファイルも復元できると聞いている。
 今朝は反応しなくなったPCを手でさすりながらご苦労さんと話している。 

2017年10月10日火曜日

熱帯でのジョッギング

 熱帯での体調維持は難しい。このところその難しさを改めて感じている。朝は多少涼しくなってきたが、それでも日中は32度ぐらいにはなる。太陽が強いので日中は外に出る気がしない。ベトナムは歩道に障害物が多く歩きにくいので、ついつい運動不足になる。すると熟睡できず、朝がだるい。また運動をするのが面倒になる。
 この悪い循環を防ごうと朝にジョッギングをしている。毎朝、できるだけ3キロを走ることにしているが、雨が降ったり、体調が悪かったりで月に80キロがよいところである。
 最近、新しい方法を考えて実践を始めた。これを「疑似インターバルジョッギング法」と勝手に名付けている。具体的にはその日の目標は定めず、車やバイクの少ない地域を選び、走ったり歩いたりして1時間ぐらいを戸外で過ごす。
 インターバル練習というのは、本来は速い速度での走りと緩やかな走り(ないし歩き)を規則的に組み合わせての練習であるが、「疑似インター」では規則性は考えない。歩きたいときは歩く。走りたくなったら走る。走りたくなければ歩けばよい。だからマトモなインターバル練習ではない。そこで「エセ・インターバル」と最初は名打ったのだが、どうもネガティブに響く。そこで「疑似インターバル」とした訳だ。
 一応、ジョッギング用の腕時計はしていくので、距離とスピードは測れるが、あまり気にしない。要は1時間なりを戸外で過ごして適当な運動ができることが大事だ。ジョッギングというとずっと走り続けなければいけないような気がする。疑似インターバル法は歩いても走ってもよいので、ぜんぜん気にならない。
 途中で居心地の良さそうなカフェがあれば入ってお茶を飲むのもよい。水分補給は熱帯では絶対である。
 ということで日本のまじめなアスリートには受け入れられないような運動法だが、自分なりの工夫である。
 そして金曜日はマッサージを受ける。

ベトナム、修理待ちの一日

 一軒家に住んでいるといろいろな故障が起こるものだ。ベトナムの家は日本以上に故障が起こる。つい最近も二カ所の故障が起こった。
 一つはキッチンの蛇口のパッキングが弱くなったようで水が垂れている。これがだんだんひどくなり、一回全体に響くようになった。パソコンで仕事をしていても「ポツ・・ポツ・・」と響く。
 もう一つは2階のエアコンが冷えなくなった。2階には3つのエアコンがあるが、客用寝室のエアコンである。
 こうなると外国人にはどうにも手に負えない。幸いなことに我が家の家主は頼りになる。なにしろ反応が早いのだ。英語で「2カ所修理をお願いします。」とメールを打つ。早速、反応がある。明日の2時と3時に職人が行きます。ありがたい。
 翌日の昼前に家内が悲鳴を上げている。どうしたのだろう。主寝室のエアコンから大量の水滴が落ちてベッドが濡れたという。幸いである。午後に修理が来る。いいときに序でに壊れてくれた。
 2時、家主がエアコンの修理人をつれてきてくれた。「3カ所になりました。」というと、「ノープロブレム」と言ってくれる。修理が始まると、家主が「仕事があります。次の職人が3時に来ます。」家を出際に、庭のジャックフルーツとポメロの実を見て、「あなたが好きなときに切ってください。」と言う。いや庭師と話をして未だ早いと言われています。」と説明すると、「大丈夫。」とポメロを切れと家内に手真似をしている。家内はポメロの砂糖漬けを作りたいと言っていたので、早速、生け花のハサミを持ってきて大きなポメロを切る。
 さてエアコンの修理は部品がないので取って来ますと言って15分ほどしてまた帰って来て無事終了。もちろん英語は通じないので、手真似である。
 今日の午後は落ち着かない。次は3時に来るなと思っていたがぜんぜん来ない。もう眠くてしょうがない。こちらでは昼寝が習慣になってしまい、何もできないので、一眠り。起きると3時45分になってもまだ来ない。しょうがない。また家主に電話をする。「修理は直ぐ行くよ。心配するな」との返答。
 数分もしないうちに修理のおじさんがやってきた。いつもの水関係の修理屋だ。以前から池の排水がおかしくなったりするとこの人が来ている。水を止めて、何かやっている。5分ほどで完了し、それではまた、と言って帰って行った。
 家内と「直って良かった。」と水を出して、何かが変だ。もう水を出す。分かった、蛇口を回す向きが逆になっている。今までは下に向けると水が出たが、今度は上に向けると水が出る。家内と顔を見合わす。思わず二人で吹き出す。「ベトナムだね、、ここは。」

2017年10月7日土曜日

東南アジアの石器文化

 今朝、東南アジアの狩猟採取の歴史はあまり見ていないと書いたが、以下のような本を読んでいたらホアビン文化についての記述があり、また多くの論文もあった。恥ずかしい次第。今日はこの辺をもう少し調べてみよう。

小生がKindleで読んでいる、"Southeast Asia: Past and Present" (D. R. SarDesai)には以下のような記述がある。

An early stage of the social and economic evolution of societies in Southeast Asia is provided by the Hoabinhian culture, first discovered in North Vietnam but later known to have existed over an extensive area from southern China to northern Sumatra.
(Kindle 370/11950)

またAustralian National Universityのホームページにも多くの研究結果が掲載されている。以下の様な講義のビデオは北ベトナムの気候変動と農業の問題を複雑系を軸に考えているようだ。ゆっくりと見てみよう。

The emergence of complex behaviour: Examples from ancient Southeast Asia



「人類と気候の10万年史」(中川毅著)

 一昨日からブルーバックスの「人類と気候の10万年史」という本を読んだ。大変に面白い。以前に訪れたことがある、福井県の三方五湖の一つ、水月湖のことが書かれているので興味を持って読み始めたのだが、どんどんと引き込まれていった。この本の内容については書きたいことが山のようにあるが、思いつくことだけをメモしておく。

・200個のボールのシミュレーション
 著者は第2章で「カオス的遍歴」の一例として、200個のボールのシミュレーションを取り上げている。気候変動の複雑さを理解するのに大変に分かりやすい。一言で言うと気候変動は線形モデルや周期モデルでは予測できない。複雑系は内在的に予測不能の極端な変動を招くことがあるということだが、このコンピューターシミュレーションをやってみたくなった。
 数式は非常に簡単で、若い頃だったら、あっという間にプログラムを組んで変化するボールの色の表示もできたと思うが、この20年以上、プログラムをしていない。正直なところ思い出せない。今やると相当に時間がかかりそうだ。やってみたいが、もう少し時間があるときに試みよう。

・農耕民族と狩猟民族
 特に興味を引かれたのは農耕民族と狩猟民族の生活の比較である。一般に農耕民族が進んでいると我々は考え勝ちであるが、著者は狩猟民族が狩猟を選んだのには気候変動上の理由があったとする。
 1万2千年前に地球は安定した温暖期に入った。それまでは地球は温度が低く、かつ気候変動が激しかった。10年に5年や6年は低温で農作物が安定してできる環境ではなかった。そんな気候下では採集と狩猟による生活の方がずっと合理的だった。その理由が簡潔かつ分かりやすく解説されている。一定の作物を大量に作る農業社会は気温の低下に壊滅的な打撃を受けるが、狩猟採集社会は変動の激しい気候下では多様性に富む森林から様々な食物を採集するので安定しているという理屈である。なるほどと思った。
 ベトナムではいろいろな果物が温室もなく無造作に植えられている。もし採取狩猟社会に戻ったら、この国では日本に比べて食べ物の採取は楽だろうと想像する。もっとも日本でも青森の三内丸山遺跡はエゴマ、ゴボウ、ヒョウタンなども栽培されていたようであるが、まわりに栗、クルミ、トチなどの木が植えられ、基本は狩猟採集社会だったろうと思う。青森のような寒冷地でも狩猟採集により生活できたのだから、南のベトナムでは狩猟採集はより容易だったのだろうか。
 
・カリアコ海盆
 日本では水月湖が世界でもっとも優れた「年縞」の所在地であるが、ベネズエラのカリアコ海盆でも優れた「年縞」が見られ、熱帯中南米の気候変動が分かるという。著者によれば、カリアコ海盆と近い緯度にあるユタカン半島の古典期インカ文明が9世紀頃に滅んだ理由は「熱帯収束帯」による雨が少ない年が続き、人々が移住をせざるを得なかったことがある。
 これを読みながら熱帯の農業のリスクを考えていた。わずか1年の滞在経験だが、ベトナム中部で農業を営むリスクはおそらく寒さではなく、洪水や乾燥だったろうと思われる。熱帯モンスーン地域では雨期の雨が非常に大事だ。ダナンでは4月ごろから9月の半ばまでは非常に雨が少ない。10月から1月頃までの雨が一年中の水のもとになっているようだ。この時期に雨が降らなければ夏には多くの作物が枯れてしまうだろう。
 ベトナムに住んで1年が経ったので、熱帯モンスーンの気候が分かってきたところだ。その経験をもってこの本を読むとなかなか面白い。

中秋の名月のお祭り

 10月4日は中秋祭である。10月3日の夕方、そして4日の夕方は街中のさまざまな場所でお祝いが行われる。日本でいうお月見である。昨年はこの時期、日本での所用があり帰国していたので、今回が初めての経験となった。
 大学から中秋祭の案内があったのは何と二日前だった。実はその前にグランドメルキュールホテルの中秋祭のビュッフェディナーを予約してあったので、そちらも出てから、大学の中秋祭に移動するという一晩で二つの掛け持ちになってしまった。
 写真はメルキュールと大学の中秋祭であるが、今回初めて分かったのはベトナムの中秋祭は子供のお祭りということだ。大学では教職員の家族ずれが校庭の中庭に宴席をおいて皆で軽食を取りながら大いに楽しむ。私たちも中央の席に座らされた。大学生が交代で幼児向けの歌を歌い、劇を疲労する。
 自分の孫たちと同じ歳の幼児たちが立ったり座ったり、思い思いのスタイルで楽しむ。
 最後は獅子舞である。実はホテルで獅子舞を見ており、これは失礼したが、あとで大学のホームページのビデオを見てすばらしいと思った。

ダナン経済大学のページ 

  余談だが、4日の月は満月ではなかった。日本では長い間お月見のお祝いはしていなかったので、9月の満月の日にやると思っていたのだが、旧暦は10月4日になるそうで日本でもそうだそうだ。これは初めて知ったことだった。ちょっと恥ずかしい。