2017年12月28日木曜日

ホーチミンのイオンモール


非常に大きなモール。


12月23日から今日まで、ホーチミン市に旅行してきた。小型の嵐が来ていたためにメコンデルタへのツアーは中止になったが、クリスマスシーズンのホーチミンを満喫した。何を見られたか、少しずつ書いていこう。

大きなスーパーが中核
まずは初日に行ったイオンモールから。ホーチミンの中心から車で30分、タクシー代は17万ドンぐらいか、イオンモールに。家内はショッピングに興味があったし、私はイオンの東南アジア展開を見てみたかった。

 驚いたのはとにかく大きいこと。京都の街ではイオンモールに行くチャンスはほとんどないので、国内のモールはよく知らないが、大きさでは負けないだろう。
 そしてベトナム人が顧客ターゲットだということはよく分かる。都心からかなり離れているので、もちろん外国人旅行者は来ない。だからベトナム人の中間層以上が対象と思われる。商品構成はタイ製品などASEAN内の製品が多いが、とても品揃えはよい。そして非常に賑わってよく売れている印象だった。

 食品売り場には寿司とおにぎりのコーナーがあり、ものすごい数の寿司が売られている。参った。こんなに寿司がうれているなんて。
 

2017年12月18日月曜日

床屋の値段と購買力平価

 これまで世界の色々な街に住むことが出来た。どの街に行ってもしばらく住むと困るのは床屋を探さないといけないことだ。

 人間、髪の毛は毎日伸びる。だから月に一度ぐらいは床屋に行かないと原始人のようになってしまう。銀行員や大学の教員はそれでは仕事にならない。フランクフルトではフランクフルターホフという高級なホテルの地下にある床屋に出掛けていた。ニューヨークのウオールストリートでは近くのビルの地下の床屋でアラブ系の床屋さんに髪を切ってもらっていた。気に入った床屋に出会うまでに何回か失敗する。

 ベトナムではこれまでに3カ所の床屋に行かせてもらった。最初は都心の目抜き通りの床屋。きれいな店で多くの店員がおり、皆でおしゃべりをしている。ここは20分ぐらいかけて髪の毛を切る。これが8万ドン(4百円)、次が日本人のレミさんという人がやっているサロンでこれは40万ドン(2千円)。

 年末までにレミさんに行こうと思ったのだが、レミさんは予約がいる。なかなか電話が通じない。髪の毛は毎日伸びる。そこで今回は家のそばのカリスマ床屋に行った訳だ。値段は3万ドン(150円)短時間でサービスも何もないが値段相応ではある。以前にダナン大学での講義で学生と床屋代について話したことがった。どうもダナンでは普通の値段のようだ。顧客の求めるサービスと値段をどう考えるのか。これは高いのか、安いのか。

 そんなことを考えているうちに思いはPPPのことになった。
 経済学では多くの統計がある。特に開発経済学などでは「購買力平価(PPP=Purchasing Power Parity)」というものをよく使う。各国の生活に必要な商品やサービスのバスケットを作り、これの値段を比べることで各国の通貨の実質的な購買力を比較しようというものだ。ペンシルバニア大学などで研究が進んでいる。

 ただ本当にこれが意味のある指標かということには首をひねることも多い。
 ダナンにいると野菜や肉などの購買力はドンには円の3~5倍くらいの購買力があるのではないかと思う。ただ床屋などのサービスの比較は難しい。レミさんの顧客は外国人かベトナムの高所得層だろう。ダナンでは通常の床屋でも、都心の英語の通じない高級床屋と1キロ離れた床屋の値段の差は3倍ほどある。はてどちらの床屋を取るのだろう。途上国に住むことは本当に面白い。ぜひ若い人にも年寄りにも勧めたい。

2017年12月17日日曜日

ダナンの雨の日 グラジオラスを描きました

 ダナンは今日は一日中、雨が降っていた。いかにもダナンの冬らしい気候。Youtubeに出ていた「柴崎春通の水彩チャンネル」を見ていたら、無性に絵が描きたくなって久しぶりに水彩画を描きました。
 画材はマンタイ市場で買った花です。これだけ買っても700円ですから、日本ではなかなかこれだけの花は買えません。
 どうもこのところ、ひどい絵ばかり描いていたのですが、柴崎先生の画法を見ていて、「目から鱗」というところがありました。鉛筆に頼らず、絵の具でいきなり描くというのは度胸が要りましたが、この方が自由に描けますね。しばらくこの方法に替えます。

2017年12月16日土曜日

カリスマ床屋での散髪

 市場に行って例のごとく朝の買い物のあと、家のそばのカリスマ床屋に出掛けてきた。30分ほど待たされてそのあとは10分も掛からなかったかもしれない。
 
 ざっとハサミで髪の毛を切ってからバリカンで刈り上げる。髪の分け目だけは妙にこだわる。分け目にもバリカンを入れて分け目を明確にする。特別のハサミで髪の毛をすくこともない。ひげ剃りなどもない。眉毛も切ってくれない。だからあっと言う間に終わる。値段は3万ドン(150円)だから文句も言えないか。まあ気軽に行けるのはよい。
 
 この店をカリスマ床屋というのは私と家内が勝手に呼んでいるだけだ。若い人がいつもたくさん来て大いにはやっており、店長が芸術家はだしの長髪を頭の後ろに結わえている。そんなことでカリスマ的というところから、家内とあだ名を付けたのである。今日もたくさんの人が来ていた。
 
 その人たちの観察をしていたが、比較的短いのにもう髪の毛を切りに来ている。ダナンの男性は髪の毛はこざっぱりしている人が多いように思う。安いのでたびたび来られるのだろうか。

 ところで髪の分け目はベトナムでは大いに気になるポイントのようだ。これは来期の授業の時に学生に聞いてみるか。

2017年12月14日木曜日

大学でのある一日、なぜか疲れる。

 今日は大変にくたびれた一日だった。悪い日ではなかったのだが。
 朝の出だしは順調だった。8時に大学からの迎えの車のなかで運転手のフンさんが片言で「ドラえもん」とお礼を言ってくれる。昨日渡した日本からのお土産のどらやきのことだ。家内の選んだお土産がお子さんたちに喜ばれたのだなと良いスタートだった。
 
 そのあとが色々とあった。まず研究室のLANの修理が9時頃に始まった。研究室のLANが時々壊れるのだ。修理がなかなか終わらない。最初は一人、そして二人、最後は三人で修理に当たってくれる。

 その間に昨日の午後から読んでいた金融学部のマン先生の論文を読了することが出来た。49ページの英語の論文である。大変に面白い。4カ所ほどコメントがあるので彼と話をしたくなった。
 残りの時間でコンピュータ言語のPythonのPandasのE-learningの勉強をする。11時過ぎに金融学部のカーン先生が学生の答案31通を届けてくれる。これを受け取って、来週の半ばまでに採点したものを提出しますと話す。
 
 ところが朝からやっているLANの修理が長引いている。いつも食堂に行く時間の11時半を過ぎてしまい12時になってしまった。妙にお腹が減ってきて気分が悪くなってきた。朝飯もちゃんと食べているのに変だなと思いながら我慢する。
 正午になって終わりそうもないので、もう食事にいこうかと思ったが、あと5分ということでもう一度我慢しフラフラしながら待っていたら、無事LANが通じてホッとした。
 
 フラフラと空きっ腹を抱えて、もう誰もいないかと思って学食に行くと、会計学部長のアン先生が同僚と飯を食っており、ジョインさせてもらうが、お二人でベトナム語で話をしている。一言も分からないがどうも人事のことだなと勝手に推測する。小生も歳のせいだろうか。分かっても分からなくてもいっこうに気にならない。疎外感も特にない。
 小生が食い終わると3人でコーヒーを飲もうという。ここで「僕が払うよ」と話す。ベトナムの同僚とコーヒーを飲むとすぐに先に僕の分まで払われてしまう。だから今日は僕の番だとやらないといつも一方的におごってもらうことになる。これは嫌だ。この気勢を征することが大事だ。
 
 コーヒーを囲むと話しも英語になる。さっきは何を話していたと聞くとやはり人事のことだ。ダナン大学のなかに新しい大学(日本で言えば研究科に当たる)を作ることになった。新しい大学は情報学を専門として、韓国政府のオファーを受けてベトナム政府が決定したとのこと。2ヶ月前に政府決定が下り来年春に設立する。ダナン工科大学・ダナン教育大学が中心となり人を出すことになったが、ダナン経済大学からも人を一人出す、それが食事のときの話題だったという。どうして人事のことは話の雰囲気で分かるのだろう。
 
 韓国の支援はかなり本気のようで、大きな建物も既にあるという。日本の企業はASEANではタイを中心に展開している企業が多いが、韓国はベトナムに資源を集中しているように見受けられる。サムスンは今やベトナムの最大の直接投資企業となっているようだ。今回の大学構想には多くの企業の支援もあるという。
 
 昼飯を終えて研究室に戻る前に、ちょうど途中の国際部の部屋に立ち寄ってみた。午前中に読んだマン先生が国際部の副部長をしており、彼の論文に4カ所ほどコメントがあったので、もし部屋にいればと思い、訪ねた。彼はよく働く男で、案の定、昼休みのガランとした部屋でも彼は仕事をしている。彼に小生のコメントについて話すと何年もかけたプロジェクトで多くの補助金も掛かっていると嬉しそうに説明をしてくれる。確かに面白い内容である。ぜひ他の論文もあるので送ると言ってくれた。
 研究室に戻るとマン先生からはもう次の論文がメールで届いている。ところが昼飯を一緒に食べた会計学のアン先生からも論文が届いている。これは3編もある。会計学の論文は不慣れな内容でもあるので、結構大変そうだ。かといって放っておきたくはない。できるだけ読み込んで感想を伝えようと思う。
 
 研究室で次の仕事をしようとしたのだが、どうにも体が動かない。急に眠気を覚えたが、かといって眠ることもできない。気分が悪くなってきて、そうこうしているうちに開発経済学の成績の入力のことが気になってきた。先週末に成績を付けたのだが、これをどうしてよいのか分からない。
 TAをやってくれているH先生にはメールを打ったが、二日ほど返事がない。国際部の職員さんにH先生への連絡を依頼しておく。
 4時すぎに大学の車で我が家に送ってもらい、今日一日のことを振り返る。成績入力で小生の出来ることは全部やったし、こうやって振り返ると充実した一日だったと思うのだが、心のなかに何か不安がある。どこから来るのだろう?
 
(追伸:H先生から夕刻メールが来た。心配しないようにとあった。ああ、これで安心して眠れる!)

Udemyという学校

 昨日述べたプログラムの学習はUdemy(たぶんユーデミィと発音するのだと思う)で勉強している。これは色々な科目をパソコンやタブレットの画面で学べるもので有料である。

 たとえば今学んでいる「技術者のためのPythonデータサイエンス」は正価が100ドルぐらいだが、15ドルにディスカウントされていた。先週までBlack Fridayセールということで10ドルまで下げていた。バナナのたたき売りのような値段であるが、中身はなかなか素晴らしい。

 プログラムを学び始めると、講義を聞きながら、パソコン上で自分でも実習をしたりできる。一つのビデオが2分から5分ぐらいのものが多いので、ちょっとした「すきま時間」を利用出来る。この講義を聴いていると将来の大学教育が大きな挑戦を受けていると感じる。

 この科目は8時間のビデオであり、朝から晩まで見続ければ1日で終わる訳であるが、それでは気分が悪くなってくるので三日間に分けて見ている。

 次の学習プログラムも買ってしまった。これはモッと長くて20時間の講義が15ドルである。なかなか安い娯楽ではないか。

2017年12月13日水曜日

UdemyでPythonを学ぶ

 「最近、UdemyでPythonを学んでいる。」と言っても多くの方には何を言っているか、さっぱり分からないだろう。私も二ヶ月前はこの文章を読んでもおかしな言葉ばかりだと思うだけだったろう。ところがこの一月ほど、時間があれば、UdemyでPythonを学んでいる。ややのめり込み過ぎかもしれない。

Udemyにリンク
 Udemyはインターネット上にある学習サイトであり、もとは米国だろうと思うが英語だけなく、いろいろな言葉のサイトがあり、日本語もある。ここで様々な学習コースから自分の好きなものを選んで購入できる。Udemyの語原は、YouとAcademyの組み合わせだそうだ。

 Pythonというのはコンピューターのプログラミング言語である。蛇の名前のようだが、語原は違うようだ。(この謂われは別のチャンスに)AIにぴったりの言語ということで最近はよく使われているらしい。

「一日で修得ー「技術者のためのPythonデータ分析」
人工知能の研究など、様々な用途に幅広く使われている言語のようだ。Udemyというウェブでの学習サイトにPythonを使ったプログラミングの学習プログラムがたくさん並んでおり、このなかで比較的短い「一日で修得ー「技術者のためのPythonデータ分析」というのを選び最初に聞いた。

 8時間分のビデオが入っている。とても一日では終わらない。このあと「世界で5万人が受講ー実践Pythonデータサイエンス」も見てみた。これは20時間ぐらいのビデオがついている。

 一言でいうと非常に分かりやすい。最初はあまり無理をせず、大きな流れを知ろうと今のテレビなどで横になりながら、時々は昼寝をしながら見ていた。現在はもう少し真面目にパソコンのキーボードをたたきながら学んでいる。

 私は大学時代にFortranを授業で学び、Basicは会社に入ってから独学で学び業務にも随分と利用していた。ほかにもRなどというプログラム言語も少しかじったことがある。ただ京都大学では忙しくてプログラムなどやっている暇がなかった。

 そのような経歴から今回のPythonは非常に分かりやすい。これまでのプログラミング言語の延長線上にある。

 Pythonを使って何をするのか、やってみると色々と出てきそうだ。実は先日、読んだ本で複雑系のシミュレーションの算式が出ていた。これなどはPythonで組んでみるのに面白いだろう。ちょっと悪戯でグラフまで表示させてみたいなどと夢見ている。

 まるで20代の頃に初めてのプログラミングをした時の興奮がよみがえってきている。あのころの体力・気力とは比べものにならない。目もプログラムを見ていると直ぐにショボショボしてくるが、それでも何とも嬉しい。

Mobifoneの999へのメッセージの送信方法

 うっかりしていたらMobifoneのインターネット利用が月間限度の3ギガを飛び越えてしまい、携帯のネット接続ができなくなった。携帯経由のテーザリングを切るのを忘れてPCが一日で3ギガを使ってしまったようだ。

 早速、Mobifone から携帯にメッセージが送られてきた。「インターネット接続を続けたいなら999にMAX35と書いて送れ」というものだ。発信元は999である。そこで999にMAX35と送ると送信ができないと表示される。何度やっても同じだ。泣きたい気分で、大学の国際部のハイ君に尋ねるが彼もどうして良いか、分からない。我が家に帰って自分のブログを見ていたら、ナンと999への送信方法が書いてあるではないか。

 999へ送るときは「+999」とプラスを付加しないと送れないとある。どうもMAX35の方は「DK MAX35」とDKを最初につけないといけないようだ。

 やはり歳を取ってきて半年前に自分で書いたことをすっかり忘れている。でも書いておいて良かった。

 改めて送ると、すんなりと通り、早速Mobifoneから2ギガの容量追加があったと出た。よしよしこれからは簡単にできる。それにしても何故+を最初から付けてくれないのか。DKもホームページを散々探して見つけたものだ。この国で生活するのは大変である。これもブログに記録しておこう。

「東南アジアの自然」を読む

 弘文堂から出版された東南アジア学のなかの「東南アジアの自然」を読む。高谷浩一先生が編集されている素晴らしい本だ。ダナンに1年間住んで熱帯モンスーンという気候が温帯モンスーンとはかなり異なるものだと感じていた。しかしどう違うのかはなかなか説明できなかったが、この本では東南アジアの地学、気象、農業などが壮大な地球的な規模のなかで描かれており、地球規模のイメージをもって、はじめて今住んでいるダナンの気候を理解できたように思う。

 第一章「大陸と多島海」では東南アジアの陸と海の形成が描かれる。ダナンは古期産地というユーラシア大陸の古い土地のようで地震が少ない理由があるのだろう。ヒマラヤ山脈の組成やオーストラリアの北進など、複雑な東南アジアの陸地の骨組みが分かる。

 第二章「熱帯とモンスーン」では、東南アジアの気象について書かれている。東南アジアの世界の気象のなかに占めるユニークな位置を初めて理解できた。特に多くの図表はアマチュアである私にはとても興味深いものだ。たとえば53ページにある図1「大気の非断熱加熱率の分布(1、7月)」には驚かされた。この図によると東南アジアから赤道西太平洋は地球規模での大きな熱源となっている。これが世界にも希なモンスーン気候をアジアに生み出している。(53ページ)

 さらに55ページには、太平洋とヒマラヤの間の巨大な大気の流れが夏と冬でなぜ逆転するのか。そしてヒマラヤからの乾燥した空気が西アジアの乾燥地域を作り出していることなど、今まで考えたこともなかった大きな世界が描かれている。

 この本を読みながら改めて自分の住むダナンとはどのような場所かを考える。ダナンはユニークな気象条件を持っているように思う。この街の雨期は11月から1月ぐらいである。東南アジアの大陸部では夏の降雨が多いが、ダナンは島嶼部のように冬の降雨が多い。

 気候の変化にも異なるリズムがある。年間を通じる大きな変化、各季節における定期的な変化、そして日中の変化である。この日中の変化もダナンにいるとかなり特殊である。この本では、東南アジアの多くの場所では日中の午後に気温が上がりスコールが降るとされている。ところがダナンの雨期には日中よりも夜に雨が多い。夜中、雨の音がしていても朝には止んでいる。これは住んでいる人間には有り難い。

 ダナンの雨期が冬であることは既に書いたとおりであるが、ダナンにいると夏期の乾燥はかなりのもので夏に葉が枯れるのではないかと思うほどに雨が降らない。ところが東南アジアの大陸部の多くの場所では夏に雨が降り、冬は乾期である。同じ東南アジアでも大きな差がある。

 ところで、この本は先週、京都に帰ったときにアマゾンで古本として購入したものだ。発行は平成2年、既に27年前の本である。編者の高谷先生はもう亡くなられている。「多雨林の世界」の章を書かれた山田勇先生、そして最終章「プランテーション農業と農民農業」を書かれている田中耕司先生には京都大学の国際交流センターで勤務したときにタイへの学生派遣で大変にお世話になった。山田勇先生は学部学生を家まで呼ばれて気さくに話をされ、最終講義では世界中の森の話をされていた。また田中先生は東南アジア研究所の所長も勤められ、今はミャンマーに行かれいる。この本の執筆者紹介では平成2年にはお二人とも助教授でおられたとのこと。こういう碩学の方々に囲まれた京都大学時代は本当に楽しかった。京都大学で働かなければベトナムに来ようと思うことももなかったろう。

 お二人の章もこれから読み進めていく。楽しみである。

2017年11月17日金曜日

活け花の指導

 家内の日本文化クラスで朝買った花を運び、活け花教室を開催。文化の違いを学ぶのはいつも面白い。花瓶が揃わないのでオアシスで代用。

ベトナムの花は安い!!!!

家内がクラスで活け花の演習をするので、今朝はマンタイ市場で花を買ってきました。こんなに沢山買って1150円ほど。花屋さんも活け花と聞いて多少おまけしてくれたのかも。

クレジットカードの不正防止

  今日は日本のクレジットカードで12月の新幹線の予約をしようとしたが決済できない。所用で日本に一時帰国し、新幹線に乗る必要があった。切符の予約ができない。
 実は3週間前にホイアンのホテルでこのカードが使えず、おやっと思ったことがあった。ウェブサイトで確認すると利用可能額が表示されていない。そこでスマホで日本のカード会社に直接電話をしたが、まず音声メッセージで今回の用件を選択し番号で入力しろと言う。番号が表示されていないスマホの画面からどうやって入力するのか、それがまず分からない。画面をよく見ると気付かぬほど小さな番号のマークがあるので、これを押して電話番号の入力画面を呼び出す。使用可能額の番号の3を入れる。でもなにも起こらない。下にある赤い電話のアイコンを押したら電話が切れてしまった。もう一度、最初からやり直しだ。参ったな。絶望的な気分。昔の電話の方が分かりやすいじゃないかとブツブツうなる。
 もう一度かけ直す。人間ならよいのに、また同じ音声メッセージだ。選択番号を入れろと言うメッセージ。もう分からない。何でもいいから番号3を押してシャープを押して、ついでに番号のマークを押すと「番号が確認できませんので、係りにおつなぎします。」というメッセージが出た。最初からつないでくれればよいのに、と勝手なことを考える。
 「ただ今電話が大変混んでおります。」というメッセージ、「はいはい待ちます。」と応えて待つ。「お待たせいたしました。掛のXXXです。」と生きた人間の声!やった。話をすると、とても丁寧な受け答えでホッとする。事情を説明すると、もう一度先方から電話をしますということで、ベトナムの電話番号を伝える。ベトナムだとこれでかかってこないことがありそうだが、日本だから信頼できるだろうと自分に言い聞かせる。本当にかかってくるのか不安である。なんとも手持ち無沙汰な時間が過ぎる。
 クレジットカード決済ができない理由が思い当たらないわけではない。先々月だったか、このカードでかなり大きな金額の支払いをした。その次の月にもう一度同じような支払いの必要があったので、もう一度支払おうとしたら「カード決済できません」とメッセージが出ていた。どうもそれが原因になっているようだ。
 続けて2回のまとまった支払い、しかもベトナムからということでカード会社が不正防止のためのチェックをしてくれていたらしい。ベトナムの電話番号までは連絡していなかったので、カード会社は僕の国内の電話には電話をして確認しようとしたが通じず、支払い停止にしてあったようだ。「申し訳ありません。」と謝ってくれたが、こちらかは逆に「安全のために停止してくれてありがとう。」とお礼を言わせてもらった。最近はカードの不正が非常に増えているようだ。安全のためであればぜひ止めてもらう方がよい。
 さてその10分後には日本から電話があり、本人の確認ということで支払い停止は解除された。これで問題は解決、新幹線の予約も無事終わったのだが、それにしても海外生活、特に途上国での生活では思わぬ障害が出るものだ。海外でお金がなくなるほどしんどいことはない。お金の管理はくれぐれも用心してください。

ベトナムの経済研究

 ベトナムの経済大学が連携している若い研究者のシンポジウムがあった。共通テーマは「経済発展と第4次産業革命」ということだった。
 私は主として金融セッションのところに出席させてもらった。まあまあ面白い発表もあったが、似たような発表が多いのはいつもの通りである。実はベトナムの経済研究の発表にはやや最近飽きている。なぜかということを考えて見た。
 まず第一はアプローチがほとんど同じようだ。同じようなデータに基づいて同じような分析をするので皆同じような結論になる。あるいは最初から結論が分かっているような研究が多いので、最初から読む気がしないものが多い。
 この原因の一つはベトナムには限られた経済データしかないと言うことがある。限られたデータを元に似たような統計分析をすれば似たような研究しかできない。
 第二は研究の目的がよく分からないものが多い。世界中でやられている研究だからベトナムでもやってみますと言うものが多い。なぜこの研究をやっているのですかと聞きたいようなものが多い。
 もっとも私は典型的な研究者ではないのであまり生意気なことは言えないが。31年間ビジネス界で働き、14年間は大学の運営に全力を注いだこともあって研究らしい研究はできなかった。かといって別に研究に実利がなければないという訳ではない。知的な興味を感じる研究は大好きである。ただその研究者のユニークな視点が欲しいがそれが感じられない研究が多い。
 第3は自分自身の発想による理論的な考察や地味な実地調査があまりないように思う。そして部屋の中でできる決まりきった数値分析に移る。だから人の心を打たない。自らの個性のある発想は研究者には大事なことだろうと思う。ベトナムではおそらく研究者として残るのは大変なことなのだろう。そのなかで自分の自由な発想でのびのびと研究する余裕はないのかもしれない。限られた時間のなかで海外のジャーナルに論文を発表せねばならない。
 またベトナムの政治体制の影響もあるのかもしれない。ベトナムでは政府の存在感が格段に高い。企業も国営企業が多い。民間の自由な活動は制限されることが多い。それだけに経済の問題点を考えるとどうしても国の直接批判になってしまう可能性が高い。だから自由に考える、あるいは書くのは難しいと言う面はあるだろう。
 翻って我が国のことを考えてしまう。最近は研究者の雇用期間が実に短くなってしまっている。論文をどんどんと書かないと研究者としての地位は守れない。我々の研究者にはもっと自由に自分の発想を大事にして欲しいものだ。あまり欧米の大学ランキングを気にせず長い目で研究者を育てる方が賢いのかもしれない。
 

2017年11月14日火曜日

APECでの学生ボラティア

 APEC CEO Summitの会場では多くの学生たちがボランティアとして働いていた。
 7日にセキュリティバッジを受け取りに行った会場で、ダナン経済大学客員教授と申し込み用紙に記入したら、「私、その大学の学生です。」と言われたり、インフォメーションデスクに行ったら、ダナン経済大学の学生だった。
席を探してくれたボランティア
8日には大ホールに開会式ということで出かけていったが、既に客席は満員でなかなか席が見つからず、困っているとボランティアのシャツを着た若者が側に来てくれた。「森先生、私は貴方の講義を聴いた学生です。」と言って、それから空いている席を一つ見てけて案内してくれた。一週間程前に商学部の学生のためにゲストレクチャーをしたが、そのときクラスにいた学生のようだ。お陰様でゆっくりと開会式を見ることができた。
 家内も学生のボランティアの様子を見ていて、「3日間の会期の間に学生のボランティアたちが毎日、自信をつけているのを感じるわね。」と話していたが、僕も同感である。
 ベトナム国外からの人が多く、英語で話しかけられることも多かったと思うが、一生懸命に対応して自信をつける。
 ぜひ日本でもこういうことを進めて欲しい。

APEC CEO Summitの様子

2017年11月8日(水)
 11月8日の午後からはアイオリオ国際見本市会場でAPEC CEO Summitが開催された。APEC CEO SummitはAPECの首脳会議と並行して開催される企業関係者の会合であり、参加者はAPEC参加国から合計2千人を超える企業関係者、マスコミ人などが参加する。小生は最早企業関係者ではないが、昔のご縁で今回は費用を出してくれる機関があり、参加することができた。家内も随行員として登録してあるので、夫婦で参加できた。
 初日のベトナムの大統領、Tran Dai Quangの挨拶はなかなか立派だった。人的な資本への投資の必要性を強く訴えたのが印象的だった。ただその後のセッションは議論もかみ合わず、CNNの司会の英語もよく分からず(小声で聞こえない)退屈だった。初日の議論は正直なところまったく印象に残らなかった。
 夕刻のウェルカムレセプションにはもう一度、我が家からタクシーでモンゴメリーリンクスゴルフ場に行かねばならない。タクシー代は26万ドンかかるが、日本円に直すと13百円に過ぎない。ゴルフ場のクラブハウスの横に大きな屋根が作られていて、雨が降っても大丈夫なようにはなっている。
 すでにたくさんの人が集まっており、ここで夕食を食べる。ミークワンがあまりにおいしかったので、二杯目を食べたら、椀の底に真っ赤なトンガラシの液が入っており、暗くて見えずにがぶっと飲み込んだものだから、口のなかが焼けるように厚くなり、舌がなくなるのではないかと思った。
 ステージではダンスが続いており、ベトナムらしいショーと挨拶が続いていたが、明日の朝早くからの授業もあるので30分ほどで失礼する。

2017年11月9日(木)
 午前中は授業があり、APECには参加できる。昼飯のあと、会場に戻った。何となく鼻がむずむずしている。ちょっとホール内が寒いためもありそうだ。今は大ホールにいる。京都の国際会議場ほどではないが、大きなホールである。今日は、家内とフィリピンのドテルテ大統領の話を聞き、見るためにやってきたようなものだ。今朝の講義の後、我が家に大学の車でフックさんに送ってもらったのだが、交通規制で大いに後れた。ダナンの街は多くの規制でかなり混乱している。
ドゥテルテ大統領
ドゥテルテ大統領の話はなかなか聞き甲斐があった。フィリピンの実状を踏まえて、人的な投資の必要性を話していたが、特に印象に残ったのは折角育てた多くの人材が皆フィリピンから出て行ってしまい、国内の成長には貢献しないという下りだった。いわゆるブレイン・ドレイン(頭脳流出)である。医師も技術者も海外に行ってしまう、必要な人材が国内で確保できないという。これは深い悩みであろう。決して浮ついたことのない語り口は好印象を与える人である。マスコミでたたかれる姿とはだいぶ異なる途上国の指導者を見た気がする。
夕方は市立体育館でGala Dinner。APRUの仲間と一緒に飲んで楽しかった。


2017年11月10日(金)
 金曜日は安倍首相とプーチン大統領はキャンセルだったが、トランプ大統領と習主席の話を聞くことはできた。ランプ大統領と習主席を含めてさまざまな政治家の話を聞くことができた。トランプの演説は確かに上手で、聴衆を魅惑するものがあり、多くの拍手があった。内容は新聞で報道されているように「アメリカファースト」であり、彼の主張そのものなのだが、その語り口がよくできている。声の抑揚、間の取り方、これで大統領選を勝ち抜いてきたのだと実感させるものがあった。
 習主席の話は静かでトランプとは好対照に緻密な話し方をする。そしてトランプ大統領以上の拍手があったと思うが、会場には多くの中国人がおり、彼らの拍手だったように思う。我々の側のベトナム人はまったく拍手していなかった。ベトナムでは中国に対する不信は大きなものがある。多くの人が中国のことはよく言わない。なかなか国際政治は難しいものである。

APRU(環太平洋大学連合)のAPEC University Leaderes' Forum

 先週、ダナンではAPEC会合が開催された。これに関連して多くのミーティングが持たれ、我々夫婦も結構忙しかった。もちろん政治家ではないので、APECの本会合ではなく、APEC CEO Summitが中心的なものだったが、これからの世界を考えるのには十分過ぎる刺激があった。
 あまりに色々なことがあったので、とても書き切れないが、思いついたことから書いておこう。
 まずはAPRU(環太平洋大学連合)のAPEC University Leaderes' Forumから。
開会の挨拶をするトレメワン氏
この会合は主催者がAPRUであり、共催がベトナム国家大学ハノイ校とベトナム教育訓練省である。APRUには京都大学が昨年まで参加しており、トレメワン事務局長も旧知のなかなのでダナン開催のお手伝いをしたこともあり、APRUのSenior Advisorということで参加させて貰った。
 7日には関係者がダナンに揃われて事務局のメンバーを招いて、ベトナム国家大学の総長さんによる夕食会が開催された。APRU事務局長のクリスや香港科技大のトニー学長と一緒に招待され、気心の知れたかつての仲間と一緒に楽しく時を過ごすことができた。
 8日の午前中に開催されたワークショップのテーマは「第4次産業革命における教育」が主たるものだった。参加者は、ベトナム、米国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、中国、台湾、韓国、などのトップ大学の学長・副学長、そして情報産業などの民間企業の代表だった。残念なことにAPRUメンバーの日本の5大学の学長・副学長の参加がなかったが、たまたまこの時期に日本で国立大学の学長会議が開催されていたこともあり、残念だったが、まあこれはしょうがないだろう。
写真 左から3番目が香港科技大のトニー学長、その右がMr. Huang
色々な議論があったが、主たる議論は、ビッグデータやAIなど、激しく変わっていく技術進歩のなかでどのような教育をしていくべきなのかということではなかったかと思う。AIは人間の職を奪って行くものだという議論があるが、参加者は皆、これに反対の意見であった。特に中国のIT企業、Malong Technologies社の創立者であるMr. Huang Dinglongの発言はとても印象に残るものだった。AIはルーティンワークを置き換えていくが、人間にはより重要な仕事がある。人工知能を何に使うかを決めることだ。デザイナーはコンピュータの専門家である必要はないが、デザイナーは人工知能に何を求めるかを言うことはできる。人工知能の利用にとって大事なのは何をさせるかだという。そしてルーティンワークから解放された人間はより深い仕事をできる。
 さまざまな知識がネットワークのなかに集積され、世界中のどこからもアプローチできる時代には、単に知識を学ぶのではなく、問題を設定し、それをどう解決するのかが重要になる。教育の力点は「知識」からより「問題解決」になっていく必要がある、ということが結論であったと思う。
 来年の6月には日本に帰って、また大学で教えることになるが、問題設定と問題解決というキーワードはこれからのカリキュラムを考える上で大事な視点であり、それをこの会合で改めて学ぶことができた。

2017年11月5日日曜日

ホイアンへの一泊旅行

 このところ特別講義を引き受けたり、セミナーがあったりで忙しく、先々週の土曜日に急にホイアンに行きたくなった。土曜日の朝、ふと一晩泊まろうかと考えた。授業の準備はほぼ終わっているし、慌てる必要はない。今までホイアンではのんびりと夜を過ごしたことはない。
 インターネットで調べると当日の予約も出来るサイトがたくさんある。知らなかった、3日ぐらい先でないと予約出来ないと思っていた。便利な世の中になったものだ。一泊二人で8千円のホテルを予約した。ホイアンの川に面した眺望のきく部屋とある。これまでの宿泊客の評判も良さそうである。
 家内に相談すると賛成してくれる。まあ、彼女もダナン生活にはこのところ少々飽きているので当然と言えば当然だが。
 ホイアンまでは車で1時間弱である。福禄園にはこのところ客待ちのタクシーが数台待っている。つい一月前までの観光シーズンのピークには呼んでも15分ぐらい来ないことがあったのだが、今は詮方なく前のカフェで運転手たちがコーヒーを飲んでだべっている。「ホイアン」と言ったら、たぶん大喜びだ。片道で50万ドンぐらい。ダナンでは5万ドンぐらいが普通だから、大きな稼ぎになる。

 昨日の1時半ごろにダナンを出て、ホテルに入った。とても良いホテルだが、ホテルの前の通りが夜中の12時頃まで賑やかだった。次は裏の部屋をとってもよいだろうと思う。ホテルの名前はリトルホイアンーブティックホテルという。よいホテルだ。客も外国人ばかりだ。値段は二人で85百円。
 このホテルの夕飯は素晴らしい。今までホイアンで食べた食事では一番と言って良い。ホイアンはやはり国際的な観光都市である。夜はホイアンの街をぶらぶらと歩く。

2017/10/29 07:56 日曜日
朝はホイアンの中心からタクシーで10分ほどの陶器の街「タンハー陶芸村」を訪れる。
ここは古くからの歴史があるようで大きな陶芸の博物館がある。特色は赤い素焼きの焼き物で、独特の風合いがある。多くの陶芸工房のある村のなかを歩けるようになっており、我々は村の西側の工房に気に入った作品があり、購入した。
 午後はトゥボン側のクルーズで、1時間ほど川を下る。メコンとは比べようもないが、熱帯的な川の様子は美しい。
 

ベトナムの肉 ー 豚肉編

 ダナンでは魚をよく食べる。魚のことはまた書くことにして、今日は肉のことを書いて見よう。
 ベトナム語では豚肉はヘオ(heo)という。家内に言わせると、ベトナムで一番高い肉は牛肉、そして鳥、最後が豚肉だそうだ。
 大学の2万ドンの食事では豚肉と鶏肉がよく出るが、豚肉は3種類ぐらいの調理で出てくる。また大学のそとの食堂でやはり1万5千ドンか、2万ドンのご飯を頼むと大きな豚肉を食べることができる。
 福禄園から朝ジョッギングに出るとゴークエン通りを北に1キロほど行ったところの料理屋で毎朝、豚の丸焼きを歩道の上で焼いている。大きなコンロをでんと置いて、炭をたっぷり入れて焼いているのだが、はて何時頃から焼き始めるのかは謎である。炭火はこんがりと肉が焼ける。よく中まで日が通っているのだろう。
 南に行った市場には丸焼き豚の肉を薄切りにして野菜と一緒にフランスパンに挟んだバインミーを売っている。壮大に(!)豚肉を切って挟んでいる。旨そうだが、小生はまだ食べていない。いずれ食べてみたいが、まだ勇気が沸かない。
 ベトナムでは薄切りの肉を買うのがなかなか難しい。市場では重さ300から500グラムぐらいの固まりを買って、自宅でさばくのが普通である。これは日本人には厳しい。日本ではスーパーに行って薄切り肉を買うのに慣れている。厚さも色々ある。向こう側が透けて見えそうなものから厚めのものまで様々だ。 だがベトナムでは違う。ベトナムの肉屋は大きなスーパーでも薄い肉を切る機械をもっていない。大きな肉切り包丁でボンと叩いて切る。
時々は薄い肉が食べたくなる。最近時々行き始めたドンダ市場は大きな市場でプロの料理人も買いに行くらしい。そこで肉屋のおばさんが薄切り肉を切っているのを見つけた。もちろん機械はないので、器用に包丁と金属の棒を使いながら薄切り肉を作っている。こ1年間ダナンに住んでこれが初めての薄切り肉である。家内とこれは買おうと決めて最初は3百グラム買い、炭火であぶってみた。旨かった。2回目は5百グラム買って、家内が「豚肉の野菜ロール巻き」を作ってくれた。
 日本であればお世辞にも薄いとは言えない肉ではあるが、ロール巻きができた。久々のロール巻きは旨い。
 大きなショッピングセンターのスーパーでも薄切り肉がないところを見ると、これは習慣のなせることなのだろう。1979年から2年ほどフランクフルトで生活をしたときには普通の肉屋には薄切りの牛肉がなかった。すき焼きを食べたいときは、中央市場に薄切りを売っている肉屋があった。一軒が元祖、もう一軒が本家という日本語の看板を掲げていた。代々の日本人が薄切り肉を食べたくて教えたのだろう。なかに洒脱な人がいて、元祖と本家という看板を贈ったのかもしれない。ベトナムでも誰か教えてくれないか。ただドイツと違って機械が買えないかもしれないが。

2017年10月30日月曜日

タイヤ屋の親父と私の初めての会話

 福禄園のそばにタイヤ屋がある。大きなトラックのタイアを取り扱っているが、どうも中古だけを取り扱っているらしい。しょっちゅう大型のトラックが前に止まっており、タイヤを外している。店は古い工場跡地にバラックを建てたような建物である。店は簡単なバラックなので、さびたトタンなどで囲っている。
 このタイヤ屋に3匹の犬がいる。この犬が前の歩道を我々が歩くとワンワンと吠えて出てくる。我々が歩道の上を歩いているとまるで飛びかからんばかりだが、歩道の外の車道を歩く分には歩道からは出てこない。最初は我々も驚いたが、今では慣れて歩道の外の車道を数十センチ離れて歩けば安全と分かって歩いている
 週に二度、三度はこの道を歩いてマーケットに行くので、店の人たちも慣れてきて我々が通ると「ハロー」と声をかけてくるようになった。
 昨日の朝、この道を私が一人で散歩していると店のオーナーとおぼしき男が大きなタイヤを前に馬鹿でかい金槌を持って作業している。こちらの顔を見て、その金槌を持って通りに出てきた。こちらの顔を見るなど、「ハーワーユ」と英語で言う。以下のような会話が続いて。
男:ハーワーユ?
私:ファイン
男:ハーワーユ?
私:ファイン。(どうも話が合わない。)そこでベトナム語で、「私は日本から来た。」
男:ハーワーユ?、ハーワーユ?
私:?
男:(顔をゆがめながら)ハーワーユ?ハーオーワーユ。
私:(あ、分かった。ハウオールドアーユーだったのか。)、アイアム66。(ついでにベトナム語で)私は66歳。(これぐらいは言える)。
男:(満足げに、ベトナム語で)私は50歳だ。
私:(英語で)お前は若い!

ということで我々の会話は終わったが、お互いに会話が出来たことは間違いない。彼の顔は赤銅色に焼けており、なかなか精悍な顔である。そして金槌、何という重さだろう。持っただけで私の右腕はすでに重さで震えている。とてもこれでモノを打つことはできない。さすがに彼は鍛えられている。
 明日からも彼の店の前を通る。これからも挨拶をしよう。もし出来れば彼と記念撮影をしたいものだ。犬よもうあまり吠えるなよ。私はお前の主人の友人なのだ。


2017年10月22日日曜日

ようやく涼しくなってきたダナン

 (先週16日に書いたものです、ちょっと遅れましたが。)
 今日の朝は美しい雨雲の観察出来る朝。夜半には雨が降っていた。昨日から夜寝るときに窓を小開けにして寝ている。窓は高いところにあるからコソドロが入る危険はなさそうだ。特に福禄園は団地の入り口ゲートに監視員が居て一応隔離された環境にあるので安心である。カーテンを開けてしまうと、隣の街灯のために多少明るいが、外気の入ってくる気持ちの良さが眠りの質を高めてくれるようだ。
 朝5時頃に目が覚める。窓からの涼しい風が心地よい。朝の気温は26度ぐらいになっているだろうか。買い置きのバナナを一本食べ、そしてベトナムコーヒーを飲む。そして6時からジョッギング。
 日課にしている3キロメートルぐらいのジョッギングをすると汗びっしょりになるのがダナンである。気温以上に高い湿度が効いているのかもしれない。ダナンの10月はよく雨が降る。有り難いのは夜の間、特に明け方に降るので、雨期という割には日中は曇りや気持ちのよい晴れ間が広がることが多い。 
 8時の朝食まではクーラーは入れないが、さすがにそのころになるとスイッチを入れる。気温もさることながら、湿度が高い。除湿をしないとカビが生えたりするので、クーラーを入れる。
 授業のある日は遅れぬよう大学にはタクシーで通うことが多い。大学まで乗っても4百円であるから安い。帰りは定期券を使って市バスで帰ってくる。ダナンの市バスは20分おきで運行し、その時間もかなり不安定なのでかなりの時間、バス停で待たされることもある。真夏はこれは大変な苦行である。近くの木の陰で太陽から逃げ回っていた。ところが、今はバス停のベンチに座って待てる。太陽が出ていると日焼けはするが我慢はできる。
 授業が引けると家に帰ってのんびりとして4時頃から午後の運動をする。朝のようなジョッギングはできないが、2キロから3キロを歩く。ダナンは海と川に挟まれた街である。海からの風が気持ちよい。日本の秋とはまったく異なる景色である。街路樹はほとんど常緑である。真夏は花が少なかったが、これからは火炎樹やイエローシャワーが花を咲かせていく。
 12月になるとダナンの最低気温は22度ぐらいまで下がる。その時期は太陽はほとんど出ない。毎日、空は雲で閉ざされている。しかも暑さに慣れた体には22度から25度の気温は恐ろしく寒く感じる憂鬱な季節になる。
 その前に10月の涼しさをエンジョイしておこう。

銀行のATMは現金ショップー現金切れも驚かない

 昼にATMで現金を引き出しにいったら、キャッシュカードを家に忘れてきたことを思い出した。家に帰って家内に「現金ショップに行ったのだが、カードを持って行くのを忘れたので帰って来た。」話して、家内に笑われた。でも家内に、「『現金ショップ』って結構言い得てる」と二人でもう一度顔を見合わせて大笑い。
 日本の銀行であればATMに現金を引き出しに行って、現金が下ろせなければ顧客は怒るだろう。ベトナムでは私の住む福禄園脇のビエトコム銀行の支店には2台のATMが置かれている。このATMがくせ者である。一台は古くて画面がよく見えない。しかしそれは日本でもありうる。
 もっと凄まじいのは、現金を下ろしに行くと「ATMに障害があります」あるいは「このATMは現金がありません」と堂々とメッセージが出て下ろせないことが頻繁にある。しかも2台とも動かない。こんなことがあったら、日本であれば銀行は新聞で散々叩かれると思うが、この国では誰も驚かない。こちらの銀行は2時間ほど昼休みがある。昼休みや閉店後であると、「しょうがない」という顔をして皆帰って行く。しかも私が口座を開いているビエトコム銀行はベトナムでもっとも信頼されている4大商業銀行の一つである。よく銀行業界全体が取り付け騒ぎにならないものである。
 そこで私の「現金ショップ」という言葉が無意識に出たのかもしれない。ショップなら品切れはあり得るだろう。ベトナムのATMは現金が切れているときは商店の品切れと一緒である。日本の銀行ではそんなことは許されないだろうが、ベトナムでは銀行もそんなものと庶民は考えているのかもしれない。私も無意識にそう考えて「現金ショップ」になったのかもしれない。

2017年10月21日土曜日

「鳥羽美花、ベトナム・ミクロコスモスの世界」美術展

「鳥羽美花、ベトナム・ミクロコスモスの世界」美術展がダナンのチャム美術館で20日から11月12日までの予定で開催された。
 20日の午後5時半からオープニングセレモニーがあり、家内が着付けを担当したご縁で我々もセレモニーに出席をさせていただいた。家内も張り切って前日には鳥羽さんと打ち合わせ、当日も早い時間に着付けをしていた。
 鳥羽さんは型染めの技法を使い、建仁寺の大きな襖絵などとても立派な作品を手がけておられる。1990年に初めてベトナムを訪問され、それ以来、ベトナムの風物を主題に多くの作品を創出され、すでに5回の美術展をベトナム各地で開催されている。今回は6回目の展覧会だが、APECのダナンでの開催を記念されて当地での開催となった。
 チャム美術館は奥の建物が改装され展示物も増えていたのだが、今回の美術展では改装された会場がいっそう華やいで見えた。
 オープニングセレモニーにはダナンの人民委員会の代表やベトナム美術界の要人も来られており、大変な盛会だった。
 翌日のベトナム語の新聞や英字新聞にもにも鳥羽さんの記事が数多く掲載されており、大きな反響が合ったことが分かる。数多くの作品のなかでホイアンの絵をトップに出している新聞が多かったことだ。ベトナムの人に訴える物があるのだろう。
ベトナム語での記事の一つ
英語での記事の一つ
 APEC開催中にはAPEC参加国の多くの人々がダナンの代表的な美術館であるチャム美術館を訪れるだろう。そしてベトナムの風物を描いた日本人芸術家の作品にも触れてもらえる。有り難い話しである。
 家内の着付け技術のおかげで我々も鳥羽さんと一緒に写真を撮ることができた。こんな機会を作っていただいたプロジューサーのWakayamaさんありがとうございます。

2017年10月18日水曜日

ジャックフルーツの解体

 我が家の庭にはジャックフルーツの木が3本ある。その一本に今年は大きな実が3つも実った。既に二つは食べたのだが、3つ目を一昨日、庭師さんが切ってくれ、「2日ほど置いたら開けて食べて下さい」と言って庭のテーブルに置いていった。
 このところ授業の準備も忙しく、放っておいたら、今朝、彼が来てくれ二人で開けることになった。ジャックフルーツの解体は2度ほどやって、大変なのが分かっていたので、これは助かった。
 とにかく大きな実で長さは60cm以上、重さはなかなか持つのが大変である。これを我が家の二人だけではとても食べられない。おじさんに我が家は6分の1でよいからと話して、彼を何とか説得し、残りは彼に持って行って貰うことにした。
 さてその上で解体に入る。実は大きなテーブルの上に段ボールを敷いて「まな板」の代わりにする。ジャックフルーツの樹液は大変に粘性があり、いちど何かに付くとなかなか落とせない。いつまでもベタベタしている。実からは大変に甘い香りが既に漂っている。
 庭師はまず実を上から3分の1ぐらいで輪切りにする。その上で、今度は小生がその上の部分を半分に縦に切る。そして庭師が真ん中の芯を切り取り、最後は私が手で実を掘り出していく。食べられる実の塊は長さ10センチ位の細長いテープの集合体のなかに埋もれているので、それを探してテープの中から掘り起こすように取っていく。 庭師が上手に切っておいてくれたので、今回はとても掘り出しやすい。前回自分でやったときは死ぬ思いだった。
 そして取り終えた実がサラダ用の深い皿に一杯になる。自分では5つも食べたら、もう腹一杯である。今日の午後は家内の授業があり、一緒に出かけて大学の国際部のベトナム人の皆さんに届けたら、大変に喜んでくれた。
 最後にノウハウを一つ。ジャックフルーツの樹液は大変に粘性が高い。実を切った包丁もアクでドロドロになって始末に負えない。庭師はガソリンで洗えというが、包丁はガソリンで洗いたくない。私の編み出した方法は、1)ハンドソープで一度よく洗う。ただしこれだけではなかなか落ちないので、スプーンでソープと一緒にそぎ落とす。2)残ったアクには沸騰したお湯をかけると嘘のように落ちる。

2017年10月16日月曜日

学生の研究発表

今日は開発経済学の学生発表、ブラジルの経済発展について。発表の仕方と言い、英語といい、感激。なかなかベトナムの学生もやりますな。







ベトナム学生の英語力はかなり上がっています。特に今日のグループのレベルは高かった。日本人学生も大いに頑張って欲しいですね。

終わった後で、学生諸君と記念撮影。よい記念になります。再来週からは毎週、学生諸君の発表が続きます。

学生発表のやり方は以下のページを見て下さい。
開発経済学の学生発表

熱帯モンスーン気候の川の色

ハン川には美しい橋が架かる
ダナンの街はハン川を挟んで東と西に分かれている。東側はソンチャ半島に向かう砂州が長く高くなったような地形で、西側はラオスとの国境までの山までの幅の狭い平野という感じである。
  ハン川は大きな川である。感覚的には大阪淀屋橋付近のようである。そこに観光船が上り下りし、あるいは漁船が錨を休めている。美しい景観である。夜はネオン、観覧車と橋のライトアップが美しい。
乾期のハン川の水は青い
このハン川の水量は雨期と乾期でかなり変化する。雨期と乾期の差は少なくとも3メートルぐらいはあるだろうか。乾期には水が減り川辺の土が見えるが、雨期にはもう少しで水があふれるのではないかと思うように水量が増える。 
 3月から9月頃までの乾期にはハン川の水の色はやや青みががった土色だ。10月以降の雨期になると一晩で100ミリ近い雨が降ることがある。するとハン川の色は濁った土色一色になる。大量の土砂が上流から流されてくるのだ。
 先日、クボタ(株)のウェブサイトを見ていたら、Kubota Urbanという情報誌のページがあり、農業などに関係ある地学などの研究資料を見つけた。この雑誌は今は刊行されていないようだが、そこに東南アジアの地形と気候についていくつかの研究報告があった。そのなかになるほどと納得させられる記事があった。
 「東南アジアの地形・地質ー大陸棚を中心に」という東南アジア研究所におられた高谷好一先生の寄稿であるが、そこに熱帯雨林気候と熱帯モンスーン気候の差が述べられている。
16年11月のハン川、雨期が遅かったが、すでに濁っています
熱帯雨林気候では毎日スコールが降る。毎日少しずつ降るのと木の根が張っているので本来の熱帯雨林は土砂が流れない。葉はたくさん落ちるので腐植はたくさん流れるが、泥の粒子は含まないので熱帯雨林気候の川は澄んでいる。
 熱帯モンスーンでは乾期と雨期がある。これは熱帯収束帯が季節により北上したり、南下するために起こるが、乾期にはほとんど雨が降らず、逆に雨期には大量の雨が降り続く。このため大量の土砂が川に流れ込む。熱帯モンスーン気候では川は土色である。これは大量の土砂が流れ込むためである。
 ハン川の色にも学ぶことがある。また一つ新しいことを学んだ。

2017年10月15日日曜日

ベトナムの教育システム PISAテストの高さ

 ベトナムの教育システムは優れていると言われる。特に2012年からはOECDが国際的に実施するPISAテストに参加しており、その結果はこの国の一人当たり国民所得などに比してとても高い水準にある。
 PISAテストは、科学リタラシー、数学リタラシー、そして読書リタラシーの3分野が主たる比較の対象となっている。ベトナムは2015年のPISAテストで、科学リタラシーで世界8位、数学リタラシーで世界21位、読書リタラシーで30位と高い順位を得ている。
 2015年6月のBBCの記事に「ベトナムの教育水準の驚くべき上昇(Vietnam's 'stunning' rise in school standards)」という実施の当事者である、OECDのアンドレアス・シュライヤー教育・スキル局長の寄稿が掲載されている。同氏はこのなかでベトナムが驚異的なパフォーマンスを上げていること、その要因として、科学や数学での教員の質の高さは素晴らしく、またベトナムは国家予算の20%は教育投資に当てられていることを上げている。私もOECDのウェブサイトで見てみたが、特に印象的なのは、成績レベルの低い子供の割合が低いことである。これは教室での指導がよく行き届いていると見るべきであろう。
http://www.bbc.com/news/business-33047924
 ただシュライヤー氏は、この成果には留意すべき点もあるとする。それはこの統計に含まれていない子供がいることで、15歳の子供たちの37%がまだ学校に通っていない。これらの子供たちはこのテスト結果には含まれていない。この学校に通えない子供たちの数を減らすことが大きな課題と述べている。
 確かに、ベトナム教育訓練省が2014年にまとめた「Education for All 2015 National Review」を見るとこの辺りについての細かなデータが参照できる。このレポートは就学前教育から中学校までの義務教育についての現状をまとめたものである。これによれば2013年の中学生(正確には11歳から15歳までの4年)のグロス就学率は92.51%(2000年80.35%)、またネット就学率は88.04%(2000年70%)だった。(同レポート57ページ)これはシュライヤー氏の挙げた数字よりもかなり改善したことになるが、この数値を引き続き上げる必要がある。(右の図は同レポート26ページのFig 15: Net intake in lower secondary education, bu region 2005-2013である。)
http://unesdoc.unesco.org/images/0023/002327/232770e.pdf
このような未就学の児童は高地などに住む少数民族に多い。2005年頃に京都大学の地球環境学堂がフエで実施しているプロジェクトに連れて行ってもらい、電気の通っていない山奥にある少数民族の村に出かけたが、そこにも新しい学校が建っており、驚いたことがある。この国の教育にかける情熱は本当のものに見える。
 ASEAN各国のPISAテストの高さと経済成長についての分析もある。大和総研の井出和貴子は「ASEANにおける教育の充実と経済成長」(大和総研、2014年6月11日)でASEAN各国のPISAテストと経済成長の可能性について分析し、ASEANの国の中でも教育インフラの不足や貧困にからドロップアウトする児童の問題があり、十分な質の教育が実施されていないと指摘している。井出はGDPに比してPISAテストの結果高いことから労働力の高度化を通じて今後の成長が高いだろうと結論づけている。
http://www.dir.co.jp/research/report/overseas/emg/20140611_008636.pdf
 この国は不思議である。ただ前向きの大きな波のなかにあることは確かだ。 

(参考1)
http://gpseducation.oecd.org/CountryProfile?primaryCountry=VNM&treshold=10&topic=PI
1)科学リテラシーでは、OECD諸国の平均493点と比較して525点となっている。女子は男子よりもパフォーマンスが良く、3点だけ男子を上回っているが、これは統計的には有意でない。(OECD平均は男子で3.5ポイント高い)
2)数学リテラシーでは、ベトナムの平均点は495点であり、OECD諸国の平均は490点である。 女子は男子よりも3点高いが、これは統計的に有意でない(OECDの平均は男子で8点高い)。
3)読書リタラシーの平均パフォーマンスは487点であり、であり、これはOECD諸国の平均493ポイントと比較します。 女子は男子よりも高く、その差は統計的に有意な25点となっている。(OECD平均:女子では27点高い。)

(参考2)
 我が国でPISAテストを担当している国立教育政策研究所のホームページによると、PISAテストとは以下のようなものである。
1)PISAテストは、義務教育修了段階の15歳児の生徒が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを評価。
2)読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野について、2000年以降、3年ごとに調査を実施し、2015年調査では科学的リテラシーを中心分野として重点的に調査
3)72か国・地域から約54万人が参加。我が国では、全国の高等学校、中等教育学校後期課程、高等専門学校の1年生のうち、198校、約6600人が調査に参加(2015年6月から7月に実施)
4)2015年調査において、筆記型調査からコンピュータ使用型調査に移行
http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2015/01_point.pdf

ベトナムでのBBC放送

 ベトナムの一般のインターネット網では英国のBBCを聞くことができない。日本では、英語で講義をしていたこともあり、できるだけBBCのWorld Serviceで英語のニュースを定期的に聞くことにしていた。ベトナムに来て、このニュースが聞けないことが分かった。以前にもそういうことはあったので、改めて驚きはしないが、がっかりした。
 BBCのWorld ServiceのPodcastニュースはBBCのその日のニュースから30分ほどに取りまとめて放送しているもので、世界のいろいろな出来事がバランスよく盛り込まれており、途上国の事情などもよく分かる。これがポッドキャストで配信されている。ところがベトナムでこれを聞こうとすると受信が出来ませんとメッセージが出る。
 ウェブページを見ることはできるのだが、音声はダウンロードできない。おかしな話しである。ウィキペディアなどで調べると、ベトナム政府がBBCに不快感を持っており、音声放送を遮断しているらしい。
 抜け道はある。VNP接続という方法で、あたかもベトナム外にいるようにして受信をできる。ただ一手間増えるのが面倒ではある。
 中華人民共和国ではもっと徹底しており、BBCだけでなく多くのウェブページそのものが遮断されており、ウェブ検索も多くがまったく機能しない。最近はVNPも禁止しているようだ。
 実は昔、北京の清華大学を訪問したときに驚いたことがある。清華大学のキャンパスのなかにインターネットコントロールセンターがあり、中国の東半分をコントロールしていると自慢げに話をしてくれた。中国の大学の科学研究は国策そのものなので、ここで国外との情報遮断の方法も研究していたのだろうと思う。残念ながら中国の大学には「学問の自由」はない。
 最近の中国を見ているとこんなことで将来の成長があるのだろうかと思うことがある。インターネットの情報はすべて国家がコントロールする。そのコストはいかほどになるのだろうか。最近の日経やWSJの記事によれば中国の大手IT企業に無理矢理、国の出資を受け入れさせ、国家が(すなわち共産党が)経営陣に参画することにより、情報を一層コントロールしようとしているという。
 3年ほど前にワシントンDCで講演会をしたときに中国人の学生から中国の将来をどう思うかと聞かれたことがある。私は「インターネットの情報管理などしていれば、将来若い人の創造性を奪うことになる。中国の成長を自ずと制限することになる。中国は『中所得国の罠』から抜け出せない」と答えたことがある。
 ベトナムには中国と同じ道を歩んで欲しくないと願っている。ベトナムは幸い政治的にも中国ほど強くはない。ぜひBBCの放送も自由に聞けるようにしてむしろもっとオープンにしていくことがこの国の将来の成長を約束することになるだろう。

2017年10月11日水曜日

ダナンの雨

 ダナンでは雨期に入っている。今年の10月はよく雨が降る。毎日のように降っているが、特に夜に降る。今日もベッドに入って横になったら、雨の音がする。何とも小気味のよいリズムである。原始の時代から人類はこの音を聞いていたのだろう。洞窟、芦で葺いた小屋で。おや雷鳴まで聞こえてきた。
 この時期の雨は夜、特に明け方に多い。今日は宵の口に降っているが珍しい。
 おやかなりの雨足になってきた。明日の朝には止んでいてほしい。
 日本であればこの時期には冷たい雨なのだろうが、ダナンの雨は暑い雨だ。雨が降ってもこの時期26度をなかなか下回らない。そうは言っても雨の翌朝は涼しい。庭の石畳や下草はびっしょりと濡れている。ソンチャの山には雲が低く垂れ込めているのだろう。
 そんなことを考えながら、次第に眠くなってきた・・・。

メインのPCが遂にダウン

 日本から持ってきていた東芝のdynabookが完全に倒れてしまった。2011年に購入したPCで15インチのスクリーンと1TBの大きなハードディスクが有り難く、7年間というもの、ずいぶんと酷使してきた。OSもWindows7から8、そしてWindows10とアップグレードしてきた。家でのメインPCとして貢献してくれた。 
 この3週間ほどかなりの頻度でダウンしていたので、心配だったが、何とかだましだまし使ってきていた。今日の9時半にもう一度ダウンし、自動修復できませんというメッセージが出た。ハードディスクに問題があるのだろう。何度やっても修復は出来そうにない。いよいよあきらめ時のようだ。
 そろそろかなと心配だったので実は昨年末に日本に帰ったときに新しい15インチスクリーンのdynabookを買ってあったのだが、まだ大丈夫だろうと日本に置いてきてしまった。
 次の帰国は11月の末と決めてある。ダナンには他に2台のdynabookがあるので、画面が多少小さいのを我慢すれば何とかなりそうだ。
 7年も使ったPCは古い友人のようなものである。日本で決められたリサイクルに回してやりたい。このPCをここで捨てていく気がしない。この国ではおそらく再生を試みるだろうし、その限りでは無駄にならないだろうが、ファイルが流出でもしたら大変だ。学生の個人ファイルは消してあるが、どんなファイルも復元できると聞いている。
 今朝は反応しなくなったPCを手でさすりながらご苦労さんと話している。 

2017年10月10日火曜日

熱帯でのジョッギング

 熱帯での体調維持は難しい。このところその難しさを改めて感じている。朝は多少涼しくなってきたが、それでも日中は32度ぐらいにはなる。太陽が強いので日中は外に出る気がしない。ベトナムは歩道に障害物が多く歩きにくいので、ついつい運動不足になる。すると熟睡できず、朝がだるい。また運動をするのが面倒になる。
 この悪い循環を防ごうと朝にジョッギングをしている。毎朝、できるだけ3キロを走ることにしているが、雨が降ったり、体調が悪かったりで月に80キロがよいところである。
 最近、新しい方法を考えて実践を始めた。これを「疑似インターバルジョッギング法」と勝手に名付けている。具体的にはその日の目標は定めず、車やバイクの少ない地域を選び、走ったり歩いたりして1時間ぐらいを戸外で過ごす。
 インターバル練習というのは、本来は速い速度での走りと緩やかな走り(ないし歩き)を規則的に組み合わせての練習であるが、「疑似インター」では規則性は考えない。歩きたいときは歩く。走りたくなったら走る。走りたくなければ歩けばよい。だからマトモなインターバル練習ではない。そこで「エセ・インターバル」と最初は名打ったのだが、どうもネガティブに響く。そこで「疑似インターバル」とした訳だ。
 一応、ジョッギング用の腕時計はしていくので、距離とスピードは測れるが、あまり気にしない。要は1時間なりを戸外で過ごして適当な運動ができることが大事だ。ジョッギングというとずっと走り続けなければいけないような気がする。疑似インターバル法は歩いても走ってもよいので、ぜんぜん気にならない。
 途中で居心地の良さそうなカフェがあれば入ってお茶を飲むのもよい。水分補給は熱帯では絶対である。
 ということで日本のまじめなアスリートには受け入れられないような運動法だが、自分なりの工夫である。
 そして金曜日はマッサージを受ける。

ベトナム、修理待ちの一日

 一軒家に住んでいるといろいろな故障が起こるものだ。ベトナムの家は日本以上に故障が起こる。つい最近も二カ所の故障が起こった。
 一つはキッチンの蛇口のパッキングが弱くなったようで水が垂れている。これがだんだんひどくなり、一回全体に響くようになった。パソコンで仕事をしていても「ポツ・・ポツ・・」と響く。
 もう一つは2階のエアコンが冷えなくなった。2階には3つのエアコンがあるが、客用寝室のエアコンである。
 こうなると外国人にはどうにも手に負えない。幸いなことに我が家の家主は頼りになる。なにしろ反応が早いのだ。英語で「2カ所修理をお願いします。」とメールを打つ。早速、反応がある。明日の2時と3時に職人が行きます。ありがたい。
 翌日の昼前に家内が悲鳴を上げている。どうしたのだろう。主寝室のエアコンから大量の水滴が落ちてベッドが濡れたという。幸いである。午後に修理が来る。いいときに序でに壊れてくれた。
 2時、家主がエアコンの修理人をつれてきてくれた。「3カ所になりました。」というと、「ノープロブレム」と言ってくれる。修理が始まると、家主が「仕事があります。次の職人が3時に来ます。」家を出際に、庭のジャックフルーツとポメロの実を見て、「あなたが好きなときに切ってください。」と言う。いや庭師と話をして未だ早いと言われています。」と説明すると、「大丈夫。」とポメロを切れと家内に手真似をしている。家内はポメロの砂糖漬けを作りたいと言っていたので、早速、生け花のハサミを持ってきて大きなポメロを切る。
 さてエアコンの修理は部品がないので取って来ますと言って15分ほどしてまた帰って来て無事終了。もちろん英語は通じないので、手真似である。
 今日の午後は落ち着かない。次は3時に来るなと思っていたがぜんぜん来ない。もう眠くてしょうがない。こちらでは昼寝が習慣になってしまい、何もできないので、一眠り。起きると3時45分になってもまだ来ない。しょうがない。また家主に電話をする。「修理は直ぐ行くよ。心配するな」との返答。
 数分もしないうちに修理のおじさんがやってきた。いつもの水関係の修理屋だ。以前から池の排水がおかしくなったりするとこの人が来ている。水を止めて、何かやっている。5分ほどで完了し、それではまた、と言って帰って行った。
 家内と「直って良かった。」と水を出して、何かが変だ。もう水を出す。分かった、蛇口を回す向きが逆になっている。今までは下に向けると水が出たが、今度は上に向けると水が出る。家内と顔を見合わす。思わず二人で吹き出す。「ベトナムだね、、ここは。」

2017年10月7日土曜日

東南アジアの石器文化

 今朝、東南アジアの狩猟採取の歴史はあまり見ていないと書いたが、以下のような本を読んでいたらホアビン文化についての記述があり、また多くの論文もあった。恥ずかしい次第。今日はこの辺をもう少し調べてみよう。

小生がKindleで読んでいる、"Southeast Asia: Past and Present" (D. R. SarDesai)には以下のような記述がある。

An early stage of the social and economic evolution of societies in Southeast Asia is provided by the Hoabinhian culture, first discovered in North Vietnam but later known to have existed over an extensive area from southern China to northern Sumatra.
(Kindle 370/11950)

またAustralian National Universityのホームページにも多くの研究結果が掲載されている。以下の様な講義のビデオは北ベトナムの気候変動と農業の問題を複雑系を軸に考えているようだ。ゆっくりと見てみよう。

The emergence of complex behaviour: Examples from ancient Southeast Asia



「人類と気候の10万年史」(中川毅著)

 一昨日からブルーバックスの「人類と気候の10万年史」という本を読んだ。大変に面白い。以前に訪れたことがある、福井県の三方五湖の一つ、水月湖のことが書かれているので興味を持って読み始めたのだが、どんどんと引き込まれていった。この本の内容については書きたいことが山のようにあるが、思いつくことだけをメモしておく。

・200個のボールのシミュレーション
 著者は第2章で「カオス的遍歴」の一例として、200個のボールのシミュレーションを取り上げている。気候変動の複雑さを理解するのに大変に分かりやすい。一言で言うと気候変動は線形モデルや周期モデルでは予測できない。複雑系は内在的に予測不能の極端な変動を招くことがあるということだが、このコンピューターシミュレーションをやってみたくなった。
 数式は非常に簡単で、若い頃だったら、あっという間にプログラムを組んで変化するボールの色の表示もできたと思うが、この20年以上、プログラムをしていない。正直なところ思い出せない。今やると相当に時間がかかりそうだ。やってみたいが、もう少し時間があるときに試みよう。

・農耕民族と狩猟民族
 特に興味を引かれたのは農耕民族と狩猟民族の生活の比較である。一般に農耕民族が進んでいると我々は考え勝ちであるが、著者は狩猟民族が狩猟を選んだのには気候変動上の理由があったとする。
 1万2千年前に地球は安定した温暖期に入った。それまでは地球は温度が低く、かつ気候変動が激しかった。10年に5年や6年は低温で農作物が安定してできる環境ではなかった。そんな気候下では採集と狩猟による生活の方がずっと合理的だった。その理由が簡潔かつ分かりやすく解説されている。一定の作物を大量に作る農業社会は気温の低下に壊滅的な打撃を受けるが、狩猟採集社会は変動の激しい気候下では多様性に富む森林から様々な食物を採集するので安定しているという理屈である。なるほどと思った。
 ベトナムではいろいろな果物が温室もなく無造作に植えられている。もし採取狩猟社会に戻ったら、この国では日本に比べて食べ物の採取は楽だろうと想像する。もっとも日本でも青森の三内丸山遺跡はエゴマ、ゴボウ、ヒョウタンなども栽培されていたようであるが、まわりに栗、クルミ、トチなどの木が植えられ、基本は狩猟採集社会だったろうと思う。青森のような寒冷地でも狩猟採集により生活できたのだから、南のベトナムでは狩猟採集はより容易だったのだろうか。
 
・カリアコ海盆
 日本では水月湖が世界でもっとも優れた「年縞」の所在地であるが、ベネズエラのカリアコ海盆でも優れた「年縞」が見られ、熱帯中南米の気候変動が分かるという。著者によれば、カリアコ海盆と近い緯度にあるユタカン半島の古典期インカ文明が9世紀頃に滅んだ理由は「熱帯収束帯」による雨が少ない年が続き、人々が移住をせざるを得なかったことがある。
 これを読みながら熱帯の農業のリスクを考えていた。わずか1年の滞在経験だが、ベトナム中部で農業を営むリスクはおそらく寒さではなく、洪水や乾燥だったろうと思われる。熱帯モンスーン地域では雨期の雨が非常に大事だ。ダナンでは4月ごろから9月の半ばまでは非常に雨が少ない。10月から1月頃までの雨が一年中の水のもとになっているようだ。この時期に雨が降らなければ夏には多くの作物が枯れてしまうだろう。
 ベトナムに住んで1年が経ったので、熱帯モンスーンの気候が分かってきたところだ。その経験をもってこの本を読むとなかなか面白い。

中秋の名月のお祭り

 10月4日は中秋祭である。10月3日の夕方、そして4日の夕方は街中のさまざまな場所でお祝いが行われる。日本でいうお月見である。昨年はこの時期、日本での所用があり帰国していたので、今回が初めての経験となった。
 大学から中秋祭の案内があったのは何と二日前だった。実はその前にグランドメルキュールホテルの中秋祭のビュッフェディナーを予約してあったので、そちらも出てから、大学の中秋祭に移動するという一晩で二つの掛け持ちになってしまった。
 写真はメルキュールと大学の中秋祭であるが、今回初めて分かったのはベトナムの中秋祭は子供のお祭りということだ。大学では教職員の家族ずれが校庭の中庭に宴席をおいて皆で軽食を取りながら大いに楽しむ。私たちも中央の席に座らされた。大学生が交代で幼児向けの歌を歌い、劇を疲労する。
 自分の孫たちと同じ歳の幼児たちが立ったり座ったり、思い思いのスタイルで楽しむ。
 最後は獅子舞である。実はホテルで獅子舞を見ており、これは失礼したが、あとで大学のホームページのビデオを見てすばらしいと思った。

ダナン経済大学のページ 

  余談だが、4日の月は満月ではなかった。日本では長い間お月見のお祝いはしていなかったので、9月の満月の日にやると思っていたのだが、旧暦は10月4日になるそうで日本でもそうだそうだ。これは初めて知ったことだった。ちょっと恥ずかしい。

2017年9月26日火曜日

APECの準備のための停電 ・・何だそれは?

「停電の一日、早朝編」
 9月17日の朝、5時頃である。朝起きたら妙に静かである。そして明かりをつけようとしたら明かりがつかない。停電である。まいったな、朝から停電だ。ようやく明るくなってきたので着替えて朝のラジオ体操をする。ラジオ体操のあと4キロほど走りたいのだが、走ると汗をかく。停電ではシャワーが出ない。ここの水道は水圧が低いので、ポンプで水道を汲みだして使っている。日本のように水圧が高く、一軒家なら停電でも水が出るのとはまったく違う。トイレも貯まっている水を使ってしまうともう出ない。トイレの使い方も考えないといけない。シャワーなどもっての他である。
 冷蔵庫も止まってしまうからむやみに開けるわけにもいかず、水は冷えていないペットボトルから飲んでいる。
 普通は1時間以内ぐらいに回復するのだが、時に2時間や3時間もある。そうなると大変だ。
 こちらの人は慣れているせいか、平然としている。この国に長く住んでいると「ある時に買っておく」「やれるときにやっておく」というのが大事になってくる。昨日の午後と夕方もインターネットを使ってやらねばならない仕事があり、なんとか午後9時頃までやって直ぐに寝てしまったのだが、もしやっていなかったら、今朝は気が重かったろう。
 この国に来て生活の不便についての抵抗力は大いに付いた。銀行のATMに行くと現金が切れていて引き出せないなどということも驚いてはいけない。現金がATMから引き出せないなどということはかなりの頻度で起こるのだ。日本だったら取り付け騒ぎになりそうである。
 そういえば家内からAPECに備えて停電の訓練があると聞いていたことを思い出した。どこかにそういう情報が流れていたらしい。午前3時から7時までの訓練となっていたらしいが、もう8時前なのに復旧しない。この辺がベトナム的だと思う。
 電気が止まると人間までだるくなる。現代では人間まで電気で動いているのではないかと疑いたくなる。何もできないからだるくなるのか、エネルギーが来ないのでだるくなるのか。自分がロボットになったような気分だ。
 停電の間にポメラで今日打たないといけないようなメールは全部書いてしまった。停電が収まったら、これらのメールを打てば今日の仕事の8割は終わりだ。後はのんびりしよう。一日一善だ。

「停電の一日、昼前」
 電気は依然として回復しない。驚いたね。朝の7時には復旧すると思っていた。幸い、ほとんど冷蔵庫のドアなどは開けていなかったので、何とかまだ大丈夫だろうと希望的な観測かもしれない。朝飯はバナナ2本とおつまみ用のひものをかじってすました。昼もこのままだと同じようなものになるかもしれない。日本だったら大騒ぎだろうが、ベトナムでは何もなしで済むのだろう。
 幸いに気温が32度ぐらいで風もあり、当地としては涼しいと感じるので、家中の窓を開け放して生活している。こういうときは大理石の床が心地よい。
 
「停電の一日、昼過ぎ編」
 暑くて、とても我が家には居られない、外に出ようと家の前に出たら、隣に住むマレーシア人のリーさんにビッグC(ダナンのショッピングセンター)と一緒になり、車で送ってもらい、おまけに中華料理をご馳走してもらうことになった。初めて黒い鶏のスープを食べた。甘いスープである。有り難かった。リーさんから、停電が何と夜の7時までということが分かりびっくり。リーさんの会社は自社で変電所を持っており、そこからの情報なので間違いない。ビッグCでの買い物が終わって我が家に帰って大理石の床の上にべったりと横になって昼寝をしたが、どうにも時間が進まない。ついに5時過ぎになり、まだ2時間もあるが、このままでは熱中症になって死にそうだというので、もう一つのショッピングセンターであるビンコムに行くことにした。
 ビンコムの「すもうレストラン(日本風を売り物にしている)」でビールを飲み、たらふく焼き肉を食べたのだが、これでようやく元気が出た。7時半頃に我が家に帰ると幸い電気が通じていた。
 本当に厳しい停電の一日だった。リーさんによればベトナム人のお金持ちは皆ホテルに部屋をとって過ごしているよという。今後にこのようなことがあったら高くてもよいので、冷房の利く高いホテルに行こう。

「停電の一日、後日談」
 停電の2日後、ダナンに来て初めて本格的な風邪を引いてしまった。停電の一日に、30度以上の我が家と冷房の効いたショッピングセンターを往復したり、半分熱中症になりかけていたのが効いたらしい。
 そして冷蔵庫であるが、16時間に及ぶ停電ではほとんど扉を開けなかったにかかわらず、ほとんどの物がダメになっていた。我が家のゴミ箱はおかげで一杯。
 それにしてもAPECの予備訓練とは何だろう。どうして朝3時から午後7時までの長時間停電が必要なのだろう。ベトナムには分からないことが多い。

猫の一家


 ダナンの庭に猫の一家が現れるようになった。どうも夜も庭で過ごすようだ。
 家内がこのごろ家の様子を見ている黒猫がいる。裏庭の壁の上から我が家を観察していると言っていた。あまり気にせずにいたら、ある日、猫の一家がやってきた。大きめの黒猫が1匹、中型の黒猫が1匹、そして生まれたばかりのみけ猫が3匹。合計5匹だ。我が家は借家だし、あと10ヶ月で帰る。責任を持って育てる訳にはいかない。それに庭師がやってくる。庭師に追い出されるのは不憫である。
 それで気が付いた二日目に追い出そうとしたら、母親猫がものすごい剣幕でうなっている。子猫は可哀想で追い出せないし、まあいいや、取りあえずは餌は与えず様子をみようということにした。
 実はその数日前から風邪を引いて体調が優れず、外にでるのも間々ならず、寝込みがちだったこともある。どうも気が弱くなっており、心のなかで「殺生をするのは嫌だ。世の流れに任せよう。」という言葉がどこからか聞こえてくる。
 このところ「徒然草」を読んでいるためかもしれない。高校時代以来読んでいなかったのだが、3週間ほどまえに「すらすら読める徒然草」なる本をキンドルで買って、時々、寝床などで読んでいた。そのせいかは知らないが、妙に心が仏教的になっており、さらに風邪を引いて一層諦念にあふれるようになっている。
 それにしても自然の生きる意志は強固だと思う。子猫を守ろうとする母猫の強さには感心する。簡単には引かず、自分の何十倍もある敵を威嚇する。
 どうも今夜は猫が化けて出そうだと怖くなり、風邪も引いているので寝床に伏せている。くわばら、くわばら。

(後日談:2017/10/8 その後、親猫だけがやってくるようになった。この猫は明らかに飼い猫である。子供たちは引き取り手が見つかったのだろう。よかった.)

2017年9月10日日曜日

開発経済学講義での学生発表

 京都大学にいた時代から私の開発経済学の授業では学生に発表をして貰っている。授業のいくつかのトピックを選び、学生がグループ単位で発表をする。京大では日本人学生と交換留学で学ぶ外国人学生に組んでもらってやっていた。日本人学生は初めての英語での発表でかなり緊張するようだが、やってみると結構できるのでホッとすることも多かったようだ。
 ベトナムに来ても、学生のプレゼンは継続したいと思った。開発経済学の授業をそもそも途上国で日本から来た教員が授業するのもそれなりに緊張する。途上国ではと分かったようなことを話しても、おそらく学生の方がよく事情を知っているかもしれない。その点、学生に話してもらうのは悪いことではない。この1年間やってみて分かったことはベトナムの学生はプレゼンが結構上手だということだ。
 これは授業時間の組み方のお陰で発表などの訓練されていることが大きい。ベトナムの授業は非常に長い。7時に始まる授業は9時40分まである。2時間40分(160分)の授業である。途中で20分ほどの休憩を入れるので140分として、日本は90分なので、一回の授業が日本の1.6倍もある。単位数は3単位となる。日本は2単位だから計算は合っている。
 教師側から見ると問題はこの長い授業をどうこなすかである。ドイツの大学であれば空いている時間を大学院生のチューターが学生にチュートリアルの形でさらに問題演習などをしてくれるのだが、ベトナムではそれは不可能だ。自分でやるしかない。
 私の作っていた資料は90分を前提にしていたのでまずはこれを作り直す必要もあった。いろいろと修正すると、おかしなもので1.6倍になっても、いくらでも話は出来ることは分かった。ただ学生の立場になればこれも厳しいだろう。そこでベトナム人の同僚にどうしているのかを聞いたら、全部を自分で話さずに、グループ発表や小テストなどに当てると教えてくれた。
 そこで多くの時間を学生の発表に当てることにした。ほかの授業ではどうやらベトナム語で沢山の発表をしているようで、学生は堂に入っている。英語でも一生懸命やってくれる。質問をすると質問の意が十分に取れなかったり難しいときもあるようだが、平均的には日本人のレベルとあまり変わらないと思える。
 学生の発表のあとは質問をしてそのあと簡単な講評をする。このときに私はどんな発表でも誉めることにしている。外国語での発表はやはり大変なものである。これを頑張ったら、どんな発表も誉めてやりたい。
 今期の授業もだいぶ様子が分かってきたので、発表のテーマを決め始めている。以下の様な発表テーマで行くか。多くの国を挙げたのは学生に広い世界を知ってもらいたいからである。最後のダナンの将来はベトナム人学生が私の興味のある分野をどう考えているか、知りたいわけだ。
1)Brazil
2)Pakistan and Bangladesh
3)Aging in Asia
4)Korea
5)Taiwan
6)Education Vietnam
7)Danang’s future: Transportation
8)Danang’s Future: Enviornment
9)Danang’s Future; Tourism
 今日はもう一日考えて明日学生に指示を出そう。